クックドゥが手抜きだと……?

仕事に家事に子育てにと忙しい主婦は、日々の料理にそれほど時間をかけてはいられません。そんなとき「クックドゥ」などの合わせ調味料は、材料さえあれば簡単に味がまとまって野菜とタンパク質がとれる時短料理の強い味方です。料理に慣れていないお父さんでも、箱裏の手順通りにやれば、あっという間に本格中華の出来上がり。筆者宅でも度々お世話になっています。

ところが先日、はてな匿名ダイアリー「クックドゥを使うのって手抜きじゃない?」とのエントリーがありました。「手抜きが悪いとは言わないけど、手抜きだと思ってる人は結構いるんじゃない?」と始まり、クックドゥや総菜を買う人はちょっとした罪悪感があんじゃないかな?と予測しています。

手抜き料理しか作れないのなら、それは手抜き料理ではなくて、その人にとっての料理そのものだから、そりゃあ自分の料理を手抜きと言われたら怒りたくなるのはわかるけど、普段手順を踏んで料理してる人からするといやいや手抜き手抜きだよねってなるよね」

と持論を展開していました。(文:篠原みつき)

「みんな手抜きせず頑張れという、日本に蔓延する同調圧力の集大成」

投稿者自身は、幼少期から料理をしており、祖母や母が専業主婦だったせいか「基本調味料から作らないとという強迫観念のようなものが植え付けられてる」という人です。とはいえ顆粒ダシなどは使っており、「料理結構やってる人なら自分と同じラインの人もいるんじゃないかな?」とのこと。

料理にかける手間は人それぞれと分類しつつ、「手抜きかどうか」や「妻や夫の問題」を絡めるのではく、「『ダシをとるところから始める人』の強迫観念をどうやったら取り除けるかを議論すべきなんじゃない?」と問いかけました。

この投稿にはブックマークが500以上つき、批判的な声が相次ぎました。「クックドゥは必要素材が中途半端なんで意外と手抜きできない。そして2人前ぐらいの少量料理を作る場合はクックドゥを素直に使ったほうが安くて旨い。(腐ったコチジャンの容器を捨てながら)」といった見方や、

「"みんな手を抜かず頑張らなければいけない"という日本に蔓延する地獄のような同調圧力の集大成だよ、クックドゥの件は。いい加減に気楽に生きさせてくれ」

といった悲嘆の声も。

確かに、冷凍食品や合わせ調味料の件は散々話題になりますが、忘れたころに火種が戻ってきます。なぜかまだまだ、「料理は手間暇かけるほうが正解」という思い込みがあるのでしょう。

勝間和代の「無理をして頑張り続けたら、体も心も壊れてしまいます」に共感

一方で、「タイトルしか読んでいない人が多すぎる。投稿はクックドゥを攻めているわけじゃない」とフォローする人も。確かに、「ダシから取る人の強迫観念をどうにかしなくては」という問題提起は、料理のハードルを下げたほうがいいと言っているようにも見えます。

しかし、「手抜きじゃない?」と書いた時点で、既に批判や悪口です。「ダシをとる人=強迫観念あり」という決めつけにも違和感があります。単に美味しいからやっている人が多いでしょう。筆者には、投稿者自身の料理に対するプレッシャーを、勝手に「大勢の人の思い」にすり替えているように感じます。

経済評論家勝間和代さんの著書『勝間式ロジカル家事』(アチーブメント出版)には、こんな言葉があります。

「働くお母さんが昔のままのやり方で、家事を全て行うことは不可能です。仕事も家事も手間をかけて仕上げて、その上、メイクやファッションにも手を抜かないで頑張る、というのは、時間的にも気力的にも無理があります。無理をして頑張り続けたら、体も心も壊れてしまいます」

勝間さんは、それ故にAI家電を駆使して便利に生活することをお薦めしているので、合わせ調味料とは別の話ですが、基本的な考え方はまったくこの通りだと思います。共働き世帯が圧倒多数の現在、他人の家事のやり方に口出しすること自体、ナンセンスというものでしょう。