東京・六本木のサントリー美術館で、『扇の国、日本』展が開幕した(2019年1月20日まで)。意外なことに、扇は日本発祥の品だという。とはいえ、扇についてその起源の詳細は明らかではなく、「扇」をテーマにした展示もこれまでほとんど開催されていない。本展は、サントリー美術館でも56年ぶりに「扇」にスポットを当てた展示だ。美術品としての扇絵だけでなく、「扇」そのものが日本人にとってどんな存在だったのか。文化史にも迫る野心的な試みとなっている。

扇、それは日本文化の象徴だった

《遊女図扇面》歌川豊国 画 一本 江戸時代 18世紀 東京国立博物館(展示期間:11/28〜12/17)

《遊女図扇面》歌川豊国 画 一本 江戸時代 18世紀 東京国立博物館(展示期間:11/28〜12/17)

序章では「ここは扇の国」と題し、欧米でジャポニスムが流行り始めた頃、1878年開催のパリ万博に出品された扇のうち3本を紹介(展示替えあり)。当時、土佐派や狩野派、円山派など様々な流派が手がけた100本の扇が「日本を代表する美術品」として出品されたといわれている。その証拠ともいうべきか、それら100本の扇が収められた箱には「日本絵画の本領を正しく伝えるべく選ばれた100本の扇」と記されているとのことだ。「明治時代、扇が日本文化を象徴するものだったことがうかがえます」と、本展担当でサントリー美術館主任学芸員の上野友愛氏は言う。

神秘的な力を宿した扇

扇には大きくわけて、薄い板を綴じ重ねた「檜扇(ひおうぎ)」と、竹骨に紙や絹を張った「紙扇」の2種類がある。それらの発祥について詳細は不明だが、いずれも日本発祥であり、折りたためることが最大の特徴だった。檜扇は8世紀中頃の奈良時代には存在し、紙扇も平安時代、10世紀までには完成していたとされている。

当時、扇は単に風を起こす道具ではなく、神仏に祈りや信仰心を伝える媒体でもあり、儀式や祭祀にも欠かせない存在だった。そのことを物語るように、島根・佐太神社の檜扇は広げたまま箱に入れられ、社殿奥に大切に奉納されていたという。

手前が重要文化財《龍胆瑞花鳥蝶文彩絵扇箱》、奥が重要文化財《彩絵檜扇》。いずれも平安時代 12世紀、島根・佐太神社(島根県立古代出雲歴史博物館委託)所蔵(展示期間:11/28〜12/24)

手前が重要文化財《龍胆瑞花鳥蝶文彩絵扇箱》、奥が重要文化財《彩絵檜扇》。いずれも平安時代 12世紀、島根・佐太神社(島根県立古代出雲歴史博物館委託)所蔵(展示期間:11/28〜12/24)

また、扇にはものの霊を動かしたり、悪霊を払ったりする超人的な力が宿ると考えられていたことから、戦国時代には武将たちが手にするようになった。軍扇(陣扇)は、あおぐことで日時を進めて悪日を吉日に変え、勝機を手繰り寄せられると信じられていた。

左が《陣扇(毛利秀就関係資料のうち)》桃山〜江戸時代 17世紀(毛利博物館所蔵)(全期間展示、ただし場面替あり)

左が《陣扇(毛利秀就関係資料のうち)》桃山〜江戸時代 17世紀(毛利博物館所蔵)(全期間展示、ただし場面替あり)

儚さが日本人を魅了した「扇流し」

第4章 扇と文芸 展示風景

第4章 扇と文芸 展示風景

中世から近世初頭にかけて、絵画や文献史料に扇がしばしば登場する場面が「扇流し」だ。文字通り、扇を水に流して変化していく形や消えていく姿を楽しむ遊びで、そこに日本人ならではの趣や美を見出したとされる。

また、鎌倉時代の仏教説話集《長谷寺験記》には、流れてきた扇に導かれるようにして再会した男女のエピソードも残っており、扇は人と人を結ぶものとしても捉えられていた。

こうしたことからも「扇流し」を画題とした作品が数多くつくられた。様々な「扇流し」作品が並ぶ中、注目は《扇面流図(名古屋城御湯殿書院一之間北側襖絵)》(名古屋城総合事務所)だ。名古屋城の湯殿、いわゆる風呂場の脱衣所にあたる場所にあった襖絵で、波の上に姿形も多様な扇がちりばめられている。いまでもお風呂の時間はリラックスできるものだが、当時も優雅な時間を楽しんでいた姿が目に浮かぶ。

左が狩野杢之助 画 重要文化財《扇面流図(名古屋城御湯殿書院一之間北側襖絵)》(名古屋城総合事務所蔵)

左が狩野杢之助 画 重要文化財《扇面流図(名古屋城御湯殿書院一之間北側襖絵)》(名古屋城総合事務所蔵)

大量生産、大量消費の時代へ

14世紀以降になると、日明貿易が盛んになり、刀や屛風などと並んで扇は日本からの輸出品として人気となった。また、贈答品やアクセサリーとして国内での需要も高まり、分業による大量生産の体制が敷かれ、14世紀半ばには京都の路上に扇屋も出現している。《扇屋軒先図》(大阪市美術館)では、当時の扇屋の様子が垣間見れるので、ぜひじっくり鑑賞してほしい。

右が《扇屋軒先図》江戸時代 17世紀(大阪市立美術館所蔵・田万コレクション)

右が《扇屋軒先図》江戸時代 17世紀(大阪市美術館所蔵・田万コレクション)

国宝《東寺百合文書 絵所益継扇代物請取》 六角益継 筆 寛正3年(1462)(京都府立京都学・歴彩館所蔵)は、扇を注文した際のいわばレシート

国宝《東寺百合文書 絵所益継扇代物請取》 六角益継 筆 寛正3年(1462)(京都府立京都学・歴彩館所蔵)は、扇を注文した際のいわばレシート

このように、扇は大量生産される消耗品であったが、単に使い捨てられるのではなかったところが面白い。気に入った扇絵は骨を外し、屛風や画帖に貼り付けて保存・鑑賞する習慣があったそうだ。

左が《扇面貼交屛風》狩野派ほか 画 室町〜江戸時代 16〜17世紀(京都・南禅寺所蔵)(全期間展示、ただし場面替あり)

左が《扇面貼交屛風》狩野派ほか 画 室町〜江戸時代 16〜17世紀(京都・南禅寺所蔵)(全期間展示、ただし場面替あり)

メディアやファッション、造形デザインなど、広がりを見せた扇の世界

扇絵の中でも特に人気だったのが、物語絵だという。絵巻が物語全体を楽しむのとは対照的に、扇絵は物語の名場面を楽しむ、いわばダイジェスト版。しかも、同じ物語の名場面を集めて屛風や画帖に貼ることで、物語の全貌も味わえた。

右は《源平合戦扇面貼交屛風》江戸時代(個人蔵)、左は《北野天神縁起絵扇面貼付屛風》室町時代 16世紀(大阪・道明寺天満宮所蔵》(ともに全期間展示、ただし場面替あり)

右は《源平合戦扇面貼交屛風》江戸時代(個人蔵)、左は《北野天神縁起絵扇面貼付屛風》室町時代 16世紀(大阪・道明寺天満宮所蔵》(ともに全期間展示、ただし場面替あり)

江戸時代半ば頃には、路面店だけでなく、扇を売り歩く「扇売り(地紙売り)」と呼ばれる行商人も存在。手持ちの扇絵を簡単に差し替えてもらうことができ、扇はより身近なファッションアイテムだったという。江戸時代の絵師たちも流派関係なく、扇絵を数多く手がけ、その小さな画面に各々の技巧を凝らした。展示終盤では、さまざまな絵師たちによる多種多様な扇絵を紹介しているので、自分のお気に入りを探してみるのも楽しい。

第5章 花ひらく扇 展示風景

第5章 花ひらく扇 展示風景

さらに本展では、扇絵だけでなく、扇という「形」にも注目。扇を開くとその形が末広がりで縁起がいいことから、刀装具や陶磁器、漆器などのデザインモチーフとしても人気だったという。

右が《銹絵山茶花図扇面手鉢》江戸時代 18〜19世紀、左が《銹絵染付絵替扇形向付》江戸時代 18世紀(いずれも尾形乾山作、MIHO MUSEUM所蔵)

右が《銹絵山茶花図扇面手鉢》江戸時代 18〜19世紀、左が《銹絵染付絵替扇形向付》江戸時代 18世紀(いずれも尾形乾山作、MIHO MUSEUM所蔵)

左:《梅樹扇模様帷子》江戸時代 18世紀(女子美術大学美術館蔵)(展示期間:11/28〜12/10)

左:《梅樹扇模様帷子》江戸時代 18世紀(女子美術大学美術館蔵)(展示期間:11/28〜12/10)

夏以外に扇を日常的に使うことはすっかりなくなってしまったが、この年末年始は縁起を担ぎに、華やかでめでたい扇を愛でてみてはいかがだろうか。