あんたがたどこさ」という童唄(わらべうた)をご存じですか?

あんたがったどっこさっ 肥後(ひーご)さっ 肥後どっこさっ 熊本(くーまもっと)さっ……♪

元々は手毬唄ですが、筆者はこれをもっとアグレッシブにした遊びを、よく地元の子供たちとやったものでした。

みんなで手をつないで輪になって、唄いながら回り、唄の途中で「さ」が来るたびにしゃがんですぐ立ち上がり、今度は逆方向へ進み……を繰り返し、最後まで脱落しなかった者を褒め称える、というもの。

それはそうと、この唄には「肥後」とか「熊本」という地名が出て来るので、唄の舞台は肥後国(現:熊本県)だと思っていたのですが、どうやらそうではないのかも知れない、という「異説」があったので、考察かつ紹介したいと思います。

「あんたがた」はどこから来たの?

まず、「あんたがたどこさ」の歌詞をおさらいしてみましょう。

あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ せんば山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲でうってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょっとかぶせ」
※Wikisourceより。

異説によれば、この唄は肥後や熊本について言及していながら、歌詞が関東方言であることを指摘。

そして唄に登場する「せんば山」という地名は、武蔵国川越藩(現:埼玉県川越市)にある仙波山(仙波古墳群一帯の別称)だと言うのです。

もしそうだと仮定するなら、この唄は何を意味し、どんな風景を描写しているのでしょうか。

歌詞を見る限り、複数名による問答形式の会話であることが推測されます。

肥後からきたおじさん達(イメージ)。

甲「あんたたちは、どこから来たのさ?」
乙「肥後国から来たのさ
甲「肥後ってどこさ?」
乙「熊本のことさ」
甲「ふーん。熊本のどこさ?」
乙「『せんば』から来たのさ」

このやりとりで、甲は地元住民、乙は肥後国(あるいは熊本県)の「せんば」から来た、いわば「よそ者」であることが判ります。

つまり、唄の舞台は少なくとも肥後国の話ではなく(肥後の住民が「肥後ってどこさ?」と訊くのは、いささか不自然に過ぎます)、遠い他国……ちょうど関東あたりの話だったのかも知れません。

熊本の「せんば」と、川越の「仙波山」

さて、唄でのやりとりは続きます。

甲「(せんば、と言えば)仙波山にはタヌキがおってね、それを猟師が鉄砲で撃ってね……(以下略)」

これ以降、甲がベラベラとおしまいまで喋り続けますが、これは子供が何か、自分の知っているワードに接したときに「僕知ってるよ。えーとね、えーとね……」などと、訊いてもいないのに喋り出すのと同じです。

つまり「せんば」という単語にピンときた子供が、自分の知っている「仙波山」について、先日見たのであろうタヌキと猟師の話をしたがったのでしょう。

「ちょうど肥後の『せんば』から来たおじさんも、カッコいい鉄砲を持っているし……」

異説では甲を「川越藩領に住む近所の子供」、乙を「薩長軍兵士(肥後国出身)」としているのです。

しかし、史実的にはそんな事があったのでしょうか。

せんば山のタヌキ=徳川家康?

歌川芳盛「本能寺合戦之図(上野戦争)」明治三1870年

時は幕末、戊辰戦争(慶応四=明治元1868~明治二1869年)において薩長軍が上野の戦闘で敗走する彰義隊(しょうぎたい。旧幕府軍)の残党を追撃するべく、仙波山に隣接する川越城に駐屯。

城内に収まりきらない兵士たちが仙波山にも陣を張り、それを珍しがった子供たちが近づいていった時のやりとりが、唄に描写されているのかも知れません。

そして仙波山のタヌキというのは、日本三大東照宮の一社・仙波東照宮に祀られている、戦国一の「古狸」。

つまり、唄の中に登場する「せんば山のタヌキ」とは仙波東照宮に祀られている初代将軍・徳川家康=徳川幕府を表わし、それを撃つ(討つ)猟師とは薩長軍を表わし、徳川幕府というタヌキを撃ち殺し、煮て、焼いて、食って……最後は「木の葉で隠して」……つまり「用に足して」しまえ、というオチがつきます。

……しかし、よくできた話ながら決定的な証拠がないため、仮説の域を出るものではありませんが、もしかしたら、誰もが唄ったことのある童唄に「そんな謎が秘められていたのかも知れない」と思うと、ちょっとワクワクしてしまいます。

参考文献:太田信一郎『童歌を訪ねて』富士出版、昭和63年5月30日発行

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