陸上自衛隊の土浦駐屯地にある武器学校には、日本が初めて量産化した戦車である、旧陸軍の八九式中戦車が動く状態で保管されています。修復されたうえでの現状ですが、もしかすると動く姿は見納め間近かもしれません。

クルマの技術史にも一枚噛んでいる歴史の生き証人

日本は戦前から戦車を国産していますが、実は戦車を独自開発し国産できる国は2018年現在、世界でも十指に足りません。自国生産している国も、ライセンス生産や、他国の技術協力を得て独自戦車に仕立てているのがほとんどです。

第二次大戦開戦時(1939〈昭和14〉年)から現代まで、戦車を独自開発し純国産したといえる国はアメリカ、ロシア(ソ連)、ドイツイギリスフランスイタリアスウェーデンスイスイスラエル、そして日本のみです。このなかでイギリスは、2009(平成21)年に戦車生産ラインを閉鎖してしまったため、2018年現在では9か国ということになります。

日本国産戦車の歴史は90年以上前の1925(大正14)年、「試製一号戦車」の開発に成功し始まります。まだ国産トラックがやっとという時代でしたから、開発には大変苦労しました。

1929(昭和4)年には最初の量産戦車、「八九式中戦車」が生まれます。1939(昭和14)年までに404両(409両説もあり)が生産され、後期の乙型から、当時の戦車としては一般的ではなかったディーゼルエンジンを搭載したことが特徴でした。このディーゼルエンジンも国産です。現代日本の自動車産業を支えるディーゼルエンジンの歴史は、八九式中戦車から始まったといえ、日本のクルマの技術史を語るのにも外せない戦車です。

八九式中戦車は、陸上自衛隊土浦駐屯地に所在する武器学校に保存されています。1980(昭和55)年には一度、稼動状態に復元され、記念式典で自走しています。その後、静態保存されていましたが、土浦駐屯地開設55周年の2007(平成19)年に、再び稼動させるプロジェクトが始まりました。学生教育の一環として、創意工夫の向上を目的とし、「オリジナルに近づける本格的なレストア」というよりも「過去の技術を確認し、現在の自分達が持っている技術で動かすことができるのか、確かめる」という意味がありました。

次々と立ちはだかる復元へのハードル

プロジェクト最初のハードルは、野外の展示場から整備工場まで移動させることでした。通常であればレッカー車で牽引していくのですが、覆帯(いわゆるキャタピラー)が錆び付いてしまっていると簡単には動かせません。無理やりレッカーで引っ張れば破損してしまいます。そうした懸念のなか無事、覆帯は動き、レッカー移動ができました。1980(昭和55)年に動かしたことが幸いしたようでした。

しかし、レッカーで牽引して動いたといっても、自走させるにはハードルがたくさんあります。長年にわたり屋外展示されていたこともあり、車体各部の腐食が進んでいて、復元、補修、補強が必要でした。

次のハードルはエンジンでした。自走させるにもエンジンがなかったのです。オリジナルである三菱A六一二〇VD空冷直列6気筒ディーゼルエンジンの復活は無理で、現代のものを搭載することで妥協、地元市民から提供された中古建設機械のエンジンを使うことになりました。搭載位置は車体中央に変更され、トランスミッションもコントロールデフ(左右の駆動輪の回転差を吸収する装置)の配置もオリジナルとは異なっています。またこのエンジンは回転方向がオリジナルと逆になるため、ギヤを新造して対応したそうです。

細部を復元することもハードルです。静態保存当時の姿は、必ずしもオリジナル状態に近いものではありませんでした。そこで、武器学校に保存されていた1万点以上の旧軍技術資料にあたり、戦前、八九式中戦車を生産していた三菱重工にも協力を要請して、当時の図面を取り寄せるなどしました。その結果、砲身は木製ながら作り直されるなど、よりオリジナルに近い形状を復元することができました。当時の塗色を再現することもハードルでしたが、上塗りされていたオリーブ・ドラブ色を落とした際に出てきた、原色のカーキ色を基にしたといいます。

最大のハードルは…?

劣化が激しい箇所もあり、技術的に困難なレストア作業が続きましたが、最大のハードルはこの八九式中戦車が、正規の「装備品」ではないということでした。旧軍の戦車を自衛隊が復元しているとなれば、疑問も出てくるでしょう。あくまで歴史的資料の長期保存を目的として、作業も隊員が休日に自主的に集まって行われたため、完成までには9か月という時間が掛かってしまいました。

こうして2007(平成19)年の「土浦駐屯地開設55周年記念行事」には、八九式中戦車の走る姿が展示され、多くの見学者が集まりました。その後、毎年の記念行事では走る姿を見せ、某アニメの設定資料取材なども受けていましたが、レストアから10年以上が経過すると走らせることが困難になってきました。車体、エンジンはともかく、覆帯やピンの磨耗が進んだためで、交換部品も無く、覆帯が切れてしまったらそれでおしまいです。2018年11月10日の開設66周年記念行事では、三式中戦車と並んで展示されましたが、倉庫から展示場所まではそろそろと自走させたそうです。マニアからすれば、隣の三式中戦車レストアして欲しいと願いますが、その予定は無いようです。

せっかく復活した八九式中戦車も、このままではまた動けなくなるのは自明です。旧軍の戦車を自衛隊が「装備品」にして整備予算を付けるのは難しいかもしれませんが、外部の博物館などに貸与して稼動状態を維持するなど、歴史的技術遺産として次世代に残す方法を真剣に考えなければならない時期にきていると思います。

レストア完成後2007年にお披露目された八九式中戦車。フロントに旧陸軍の星徽章が取り付けられたのはこの時のみ(画像:月刊PANZER編集部)。