Windows 10 October 2018 Update」騒動が与えたインパクト

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「デジタル遺品には、オフラインのものとオンラインのものがあります。故人がスマホやパソコンに保存してある写真や文書はオフライン、SNSに投稿したものやネット口座の契約などはオンラインです――」
筆者はセミナーなどで、デジタル遺品についてそんな感じの説明をよくしている。しかし、ちょっと変えたほうがいいかもしれないと、不安になる出来事があった。

2018年10月のWindows 10アップデートの適用により、「ドキュメント」や「ピクチャ」などに保存したファイルを失ったという報告が相次いだ騒動だ。事態を把握したマイクロソフトはすぐに調査と復旧の道筋を探り、現在はこのトラブルに遭遇する心配はない。被害にあったのも、手動でいち早くアップデートを試そうとしたうち様々な条件が重なった0.01%のユーザーに留まるという。

とはいえ、オフィシャルなオンラインサポートによってオフラインの領域が脅かされる可能性を現実化したインパクトは小さくないだろう。

「オフラインはいわば家の中。本棚やタンスの中身みたいなものです。オンラインは家の外。会社にある私物であったり、スポーツジムの会員権だったりというイメージです――」

冒頭に続けてこういう説明を添えることが多い。この例示に合わせると、マイクロソフトの騒動は、家の管理会社が室内をメンテナンスする際に誤って家具を捨ててしまったという状況に近い。

筆者がプレゼンでよく使うデジタル遺品の概念図。端末内のオフラインデータは家の中、オンラインデータや契約は家の外という表現をしている。

ただ、デジタル機器周りをよくよく考えてみると、OSのアップデートにより「家」の内装が急に変わって見覚えない道具が増えていることは普通によくあるし、マルウェアなどの被害に遭って「家」に泥棒に入られたというニュースも珍しくない。よくよく考えてみると……

 オフラインとオンライン。
 家の中と家の外。
 所有物と借り物。

そもそも、両者の境界というのはそこまで絶対的なものではないんじゃないか?

廃仏毀釈に負動産、サブスクリプション…
「手元にある所有物」という幻想


ロングスパンで考えてみると、だいたいの所有物はかりそめなんじゃないかと思えてくる。

今年は維新150年ということで、幕末から明治にかけてのエピソードがフィーチャーされることが多い。あの時代は四民平等や廃藩置県といった価値観や制度の大きな転換が連発するが、なかでも個人的に強く引っ張られるのは数年のうちに多数の宝が霧散した廃仏毀釈だ。

廃仏毀釈は僧侶や寺院の特権を排して仏教と神道を分離する民衆運動で、明治時代最初期の数年に全国に拡大した。これにより多くの仏像や経典が失われたといわれている。岐阜県の山間部では今もその爪痕が残っており、仏式の葬儀でも神式の道具や様式が融合していたりする。代々の住職が大切にしてきて周りも崇めていたものが、世間の風に流されて消滅せざるを得なかった。その無常なところがとても興味深い。

最近の日本に戻って考えてみても、絶対的な財産として君臨してきた不動産が“負動産”と揶揄されるようになったのが印象的だ。家を建てるのはいつでも市民の夢だったし、バブル時代には郊外の避暑地などに別荘を所有するのがステイタスだった。

いまではそれらは空き家問題の対象物として行政から動向を見つめられる存在にもなってしまっている。2013年時点で、全国の空き家は全住宅比率13.5%の820万戸。2033年には2170万戸に達するという民間推計も算出されている。

そして、デジタルの世界でも、従来は買い取り式だったコンテンツやアプリケーションがサブスクリプション方式(定額制)に切り替わったりしている。サブスクリプション方式は保存場所を選ばずにリーズナブルな価格でいろいろ利用できて便利だが、やはり所有感は持てない。フォトレタッチソフトやオフィスソフトを買いとり時代のバーションから切り替えたとき、本棚や引き出しからモノがなくなった感じがした。

オフライン領域は永遠に不可侵なプライベート空間なのか?
つまるところ、オフラインというと、何者にも侵されない永遠のプライベートな領域という安心なイメージがついてくるが、それは幻想に過ぎないということだ。

インターネット経由でなく、自分が持っている機器のハードディスクやSSDのなかに大切な何かを保存していても、OSがお節介してくるかもしれないし、再生や編集に必要なアプリケーションがインターネットを介してしか使えなくなるかもしれない。

また、データを所有すること自体の社会的な価値観が転換することもあり得る。たとえば、ここ10年を振り返っても、個人情報保護法の改正によって他人の個人情報をリスクは跳ね上がっている。法の対象で5000人以上のデータの管理者という条件が外れたため、町内会や学生時代のOBOG会名簿などを管理しているだけでも重い責任を伴うようになった。

オフラインの不可侵神話はデジタル遺品ほど崩れやすい
そうした所有する意味の変化は、数年よりも10数年、10数年よりも数10年と、時間が空くほどに大きくなっていく。だから、故人が残していって時が止まったままのデジタル遺品は、生きている人のデジタル資産より取り扱いが難しくなっていくだろう。

あるデータ復旧技術者が言っていた。故人のスマホやパソコンを長らく保管しておきたい場合、できるだけ通電しないこと、そしてインターネットにつなげないことが重要だという。

古田雄介(ふるたゆうすけ:デジタル遺品の現状を追うライターで、デジタル遺品研究会ルクシー理事。著書に『故人サイト』(社会評論社)『[ここが知りたい!]デジタル遺品』(技術評論社)など。

※『デジモノステーション』2019年1月号より抜粋。

text古田雄介
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掲載:M-ON! Press