高橋一生主演のドラマ「僕らは奇跡でできている」が最終回を迎えた(12月11日)。変わり者でマイペースな動物行動学者・相河一輝(高橋一生)と彼をとりまく人々の姿を描いてきたが、ラストシーンはまさかの宇宙! しかもカメのジョージと一緒!

脚本の橋部敦子さんはインタビューで「一輝も一生さんも“地球人のふりをした宇宙人”なんですよ」と笑って答えていたが(マイナビニュース 12月2日)、本当に一輝が宇宙に行くとは思わなかったよ!

祖父の教えと一輝の光
同僚の准教授・樫野木(要潤)に「ここから消えてほしい」と存在を全否定されてショックを受けた一輝は大学を休んで祖父・義高(田中泯)のもとへ向かう。

「光を大きくしたら、嫌なことまで入ってきて、辛くなっちゃって」
「……そうか、よかったな」

第5話で義高は幼い頃の一輝の心を「光」に例えていた。一輝の持つ「楽しい」という気持ちは光で、一輝の中は光で満たされている。そしたら、どうする? 「他の人が、光の中に入る」。どんどん光を大きくしていって、他の人を照らすだけでなく、光で包み込む。でも、その光の中に嫌なことまで入ってきてしまった。

もうひとつ、義高はマイナスなことを常に前向きに受け入れるよう教えていた。器を落として割ってしまったら、どうすればもう一度輝かせることができるか考えればいい。歯を抜いたら歯のありがたみがわかるし、山田さん(戸田恵子)に破れたギョーザの使い方を教えたのも義高かもしれない。気を取り直した一輝は言う。

「辛い気持ちだって、光だから。これからも僕の中の光を広げてく」

そして大学を辞める決心をする。

やりたいことの見つけ方
一輝の内面については解決したようだ。では、樫野木が第9話で発した「キラキラした大人なんてほんの一握りしかなれない」という問いかけについてはどうだろうか? 

答えを出したのは、一輝を大学に導いた鮫島教授(小林薫)だった。「相河先生みたいになりたいです。でも、やりたいことが見つかりません」と話す新庄(西畑大吾)ら学生に向かって、鮫島は樫野木の言葉を引用しながら語りかける。鮫島が例に持ち出したのは、一輝がいつも大切そうに持ち歩いている缶のことだ。

缶の中にはガラクタがいっぱい詰まっている。だけど、一輝はそのガラクタをうまく活かして使っている。アイスについてくる木のスプーンだって、捨てずにとっておけばフィールドワークならいろいろ役に立つ。

スプーンスプーンのままで、他の何かにならなくても、いろいろと活かされる。スプーンが他のものと比べて、何ができるとか、できないじゃない。ただ、そのものを活かしきること」

鮫島が語っているのは人との出会いの大切さだ。新庄が言うように、自分でやりたいことを見つけるのは実は大変なこと。でも、誰かと出会うことでやりたいことが見つかることがある。「キラキラした大人」になるきっかけを掴むことだってある。鮫島はいつ捨てられてもおかしくない木のスプーンのような一輝の魅力をうまく引き出した。自分を偽って大好きなフィールドワークを捨て、その苛立ちを一輝にぶつけてしまったとうなだれる樫野木には、こう言う。

「だから、相河先生と出会えたかもしれないねぇ」

樫野木は一輝にフィールドワークに誘われて、彼の光の中に入っていく。フィールドワークを終えた一輝は、彼を大学に引き止めたい学生たちに語りかける。

「みなさんが僕の中にいるってことです。僕はみなさんでできているってことです。今まで出会った人、もの、自然、景色、生き物全部でできています。だから時間も距離も関係ありません。いつでもつながってます」

そして、自分を導いてくれた鮫島にはこう話す。

「鮫島先生に呼ばれて、ここに来て、いろんな人たちに出会って、歯医者の人たちや虹一くんとにも出会って、僕の中の光が大きくなっていきました。嫌なことも辛いことも消そうとしないで全部光で包んだら、僕の光は無限大になります。つまり、僕の光の中に宇宙も入るってことです。だから僕は宇宙へ行くんです」

やりたいことがあれば、光が生まれる。やりたいことが見つからなくても、人と出会うことで光に包まれる。やっぱり出会いから何かが生まれるのだ。そして一輝は宇宙にまで行ってしまった。

「変化」は楽しいこと
登場人物たちそれぞれに優しい最終回だった。沼袋(児嶋一哉)の優しさも良かったし、やりたいことが見つからなかった新庄が沼袋の影響でコンニャクユーチューバーになってしまうのもおかしかった。虹一(川口和空)に厳しかった母・涼子(松本若菜)も彼のいいところを見るようになっていた。育実(榮倉奈々)と別れた雅也(和田琢磨)まで登場して、清々しい笑顔を見せたのには驚いた。

時間に厳しい熊野事務長(阿南健治)も最後まで慌ただしかった。「この世界からひとつだけなくせるとしたら、何をなくしますか?」「時間です!」と禅問答みたいなことを言い始めるが、これは脚本の橋部敦子さんがどうしても言わせたかった一言らしい。

「やらなきゃいけないこと」に追われていた育実は、やりたいことを見つけて実現していくのが楽しそうだ。

みんな一輝とふれあうことで変化した。樫野木は授業で「変態」について教えていた。変態とは「動物の正常な生育過程において、形態を変えること」だ。樫野木本人もずいぶん変わったようだ。

一輝も授業でミミックオクトパスについて講義していた。ミミックオクトパスは環境にあわせて、形や色、体の表面まで変えて敵や獲物に対応する。変化しているのはまわりの人たちだけじゃない。一輝だって変化している。楽しいこと、興味のあることを大切にしながら、どんどん環境にあわせて自分を変えようとしていた。ロシア語を学んだり、水泳をしながら宇宙飛行士を目指すのもその表れ。しかも、とても楽しそうだ。そう、変化は楽しいことなのだ。

「社会で調和を乱すような存在」のドラマ
『僕らは奇跡でできている』は脚本の橋部敦子さんと豊福陽子プロデューサーの会話から生まれている。「社会で一見調和を乱すような存在だけれども、ある見方によってその人自身が内なる調和の一番取れている人というような見え方がする話を作りたい」という豊福プロデューサーの話に橋部さんが共感したところから物語づくりが始まった。

構想を練っていく中で高橋一生を主演に起用するために会ってみたところ、高橋一生のほうから動物や自然、宇宙の話をしはじめたのだという。豊福プロデューサーは話し続ける高橋一生を見て「ああ、ここに一輝がいた!」と思ったのだとか(マスカット 12月3日)。

他人と同じことができなかった一輝は「社会で一見調和を乱すような存在」だろう。彼も嫌なことをたくさん経験しながら自分との付き合い方を覚えていった。第1話の講義の中に出てきた、弱くても自分の弱さを受け入れて生きのびてきたパンダのようだ。第4話に出てきたコンニャクのように周囲が手をかけて育ててきたことも忘れてはいけない。一輝は第9話の講義に登場したレゴリスのように、何の役にも立たなさそうに見えるかもしれないが、実は月の端々まで光を行き渡らせている。

「社会で一見調和を乱すような存在」が社会に包摂されることで、社会全体が破れたギョーザを入れたスープのようにとてもいい味わいになる。摩擦が起きる可能性もあるが、それぞれ歩み寄ることで調和が生まれ、そのつど光は大きくなっていく。

好きなことをやることの大切さ、オルタナティブの選択の大切さ、自分が今いる世界にとどまらず向こうの世界と行き来することの大切さを声高にならずに語り続けていた優しいドラマだった。もうちょっとでスピリチュアル方面(大きな木とか宇宙とか)や自己啓発の方面に行ってしまいそうな危うさもあったが、絶妙なバランスで持ちこたえていた。

大きなわかりやすいストーリーがなく、場面展開も少なかったため、何をしているかわからなかった視聴者も多かったかもしれない。視聴率的にもかなり苦しかったが、さまざまな人たちと共生していく今の時代を生きる人たちにとって、大事なメッセージを持ったドラマだったように思う。
(大山くまお

「僕らは奇跡でできている」
火曜21:00~21:54 カンテレフジテレビ系
キャスト:高橋一生榮倉奈々、要潤、児嶋一哉、田中泯、戸田恵子、小林薫
脚本:橋部敦子
音楽:兼松衆、田渕夏海、中村巴奈重、櫻井美希
演出:河野圭太(共同テレビ)、星野和成(メディアミックスジャパン
主題歌:SUPER BEVER「予感」
プロデューサー:豊福陽子(カンテレ)、千葉行利(ケイファクトリー)、宮川晶(ケイファクトリー)
制作協力:ケイファクトリー
制作著作:カンテレ

イラスト/Morimori no moRi