地面はもちろん線路も走れる、見た目はほぼ戦車の「九五式装甲軌道車」は、なぜ作られたのでしょうか。鉄道の重要性が現代よりはるかに高かった昭和初期の、“撮影禁止の秘密兵器”だったそうですが、当時の写真もあります。

鉄道をめぐる攻防の切り札

戦場を走り回る車両といえば戦車や装甲車、トラックやジープが中心ですが、レールの上を走る鉄道車両も多く戦場で使われています。鉄道は大量の人や物資を一挙に運べ、軍用としても価値が高いため、敵にねらわれやすく戦闘の焦点にもなり、線路をめぐる戦いは多くの戦争映画にも描かれています。

味方の線路を守るため、戦闘用に装甲列車、装甲軌道車というものが存在します。貨車やモーターカー(かんたんにいえば小型の鉄道車両)を改造し防弾装甲を貼り付けて、なかに兵士が乗るだけの簡易な車両から、本格的な装甲を施し、機銃や大砲、対空機関砲まで装備した重武装の装甲列車も存在し、第2次大戦でも多く使われました。旧ソ連は戦後になっても、線路もそれ以外も走れる装甲車(いわば「装甲軌陸車」)を使っていました。日本国内では見ることはありませんが、ロシアなどの鉄道網が広がる大陸国では、現代でも装甲列車は使われているようです。

中国大陸で活動した旧日本軍も、さまざまな軍用鉄道車両を使いました。当時、中国大陸では道路よりも鉄道が、主要な補給・連絡線だったのです。日清戦争後の1896(明治29)年11月には、早くも軍用鉄道を運用する専門の鉄道大隊が創設されています。

線路を警備する装甲軌道車もさまざまに作られましたが、鉄道車両なので線路しか走れないのが泣き所でした。敵が線路から離れていってしまうと追いかけることができませんし、線路が破壊されてしまうとそれ以上進めません。装甲列車に騎兵を載せたり、先頭や最後尾の貨車に軽戦車を積載し、貨車から降ろして戦闘を行ったりした例もありますが、いきおい長大編成になってしまい使いづらいものでした。

旧日本軍はその問題を解決するため、ユニークな戦車を開発しました。「九五式装甲軌道車」です。外見は覆帯(いわゆるキャタピラー)を履きどう見ても戦車ですが、車体には引き込み式の4つの鉄輪があって、それで線路上を走ることができるというものです。

撮影禁止の秘密兵器!

この九五式装甲軌道車は工兵出身である深山少佐のアイデアとされており、工兵装備として東京瓦斯電気工業社で開発が始まりましたが、当初は設計図のみで実車の製作は不可能なのではないかといわれるくらい難航したそうです。それでも1935(昭和10)年に完成し、採用にこぎつけました。秘密兵器の指定を受け撮影禁止だったのですが、工兵用器材は秘密指定されたものが多く、この九五式装甲軌道車だけが特別な秘密兵器だったというわけではありません。

線路走行用の4つの鉄輪は、狭軌1000mmから当時のロシア広軌である1524mmゲージ(線路の幅)まで、車輪の幅を自由に変えることができました。線路から路上に降りるには、乗員が車外に出ることなく1名で操作でき、動力を鉄輪から覆帯に切り替えて1分で路上走行が可能でした。この迅速性と柔軟性が本車の最大の武器であり、線路上なら最高70km/hの高速で移動できました。路上を走る戦車には、こんな高速はとても出せません。味方への応援にもすぐ駆けつけられます。

陸上自衛隊が配備を進めている16式機動戦闘車は、道路を高速移動して目的地に早く駆けつけられるのが特徴ですが、九五式も線路を使って高速移動できることが強みでした。線路破壊を目論むようなゲリラの武装は、ぜいぜい小銃を持っている程度でまともに対戦車戦闘はできません。線路から戦車が追いかけてきたら、もう逃げ出すしかありません。

ちなみに路上から線路に戻るには鉄輪を線路上へ正確に載せるため、車外からの誘導が必要ですが、慣れれば3分程度で済んだといわれます。

固有武装がなかったちょっと意外な理由とは

九五式装甲軌道車は、84馬力エンジンを搭載して貨車を牽引することもできたので、鉄道部隊では大変重宝されました。121両が生産されて中国の鉄道第1、第2、第5、第6連隊に配属されたほか、太平洋戦争では鉄道第1連隊第3、4大隊がビルマ(現在のミャンマー)に派遣され、本車もイギリス軍と戦闘を交えています。

装甲は前面でも10mm程度と、小銃弾に耐えられる程度の軽装甲で、砲塔はあるのに固定武装はありませんでした。陸軍の管理区分で本車は工兵用器材とされたため、武装は乗員が持ち込む携行小銃とされたのです。現場部隊からは機銃を固定武装化する要望も出されたようですが、固定武装を持つ装甲車両は工兵器材ではなく、正式に歩兵管轄の「戦車」という扱いになります。そうした、管理区分が違うという「お役所的な縛り」から、固定武装は取り付けられませんでした。

終戦時に何台が残っていたのか不明ですが、日本国内には1台もありません。中国で接収されたと思われる車両が、中国の人民革命軍事博物館とロシアのクビンカ戦車博物館に保存展示されています。クビンカの車両は、実際に線路に乗った姿で展示されています。こんなユニークで貴重な日本戦車が国内に残っていないのは残念です。

【写真】どう見ても戦車な九五式装甲軌道車の「鉄輪」

ロシアのクビンカ戦車博物館に展示されている九五式装甲軌道車。塗装はオリジナルとは違うが、よく手入れされた状態である(画像:月刊PANZER編集部)。