月刊ザテレビジョンで掲載中のハロー!プロジェクト誕生20周年記念連載「ハロ!愛(ラブ)」。本誌2月号に登場してくれた、アンジュルム和田彩花モーニング娘。’18の譜久村聖Juice=Juice宮本佳林がWEB版にも登場! ハロプロエッグ(現ハロプロ研修生)時代から含めると、ハロー!プロジェクトに10年以上所属するメンバーが、今までを振り返ってくれました。

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■ 最初の印象とかって覚えていますか?

和田彩花「(宮本)佳林のことはすごく覚えてますね。最初は宇宙からやって来た子どもだと思ってた(笑)。人間味がないぐらい肌が白くて」

譜久村聖「白かった(笑)」

和田「いっつも頭にちょこんって2つ結びをしていたんですよ! あと、本当に細くて」

譜久村「細かった(笑)」

和田「本当に人類じゃない生物がやって来たのかっていうぐらいな感覚でしたね」

譜久村「佳林はハロプロエッグ(現ハロプロ研修生)に、私の初めての後輩として入って来たんですよ。私は妹がいないので、本当に超かわいい妹のように愛でてたな〜」

宮本佳林「和田さんは、すごくふしぎなオーラを持っているなって思ってました。一番印象的だったのは“和田彩花の100のこと”という企画で『おでんで好きな具は?』という

質問に対して『トイレットペーパーの芯みたいなやつ』って答えていたのを一生忘れないと思います。多分、ちくわぶのことだと思うんですけど」

和田「自分で忘れちゃった」

■ 2009年に和田さんがスマイレージ(現アンジュルム)としてデビュー。当時の心境は覚えていますか?

譜久村「ハロプロエッグに加入してすぐのときだったので、全然デビュー出来るとか思っていませんでしたね。でも何か、やっぱり悔しい気持ちもありました。けど、明らかにスマイレージに選ばれた4人はアイドル性を持っていたんですよ! 私がすごく覚えているのは、初めてパフォーマンスしたときの前の曲で和田さんが『十七の夏』を歌っていて、『あ、こういうのがアイドルっていうんだな』って思った記憶があります。だから、和田さんのデビューはファンとしてうれしかったですし、スマイレージのCDとかはしっかり買ってましたね」

和田「え~! すごいうれしい」

宮本「私は、当時小学4年生だったので何も考えてなかったですね。何か名前が呼ばれているときも『何でこの人たち、名前を呼ばれているんだろう?』って思っていた記憶があります。デビュー出来る出来ないとかそういう問題じゃなかったです。とにかく食いついていくしかなかったので、頑張ってやっていました」

和田「私もデビューとか意識していなかったので、本当に良く分からなかった。デビューっていう、そのカタカナの文字を理解してなかったですね。デビューとは何かを分かっていなかったので…。でも何か『グループを作る』って言われたときは『あ、そうか。尊敬する先輩と同じことが出来るなら、それはうれしいことか』とは思ったんですけど、大喜びっていう感じはあまりなかったですね」

■ 2011年、譜久村さんがハロプロエッグから既存グループであるモーニング娘。に加入しました

和田「すごいと思いましたね。モーニング娘。さんはずっとお姉さんなグループで、本当に憧れの存在。ずっとそれは変わりなかったから、そこに入れるメンバーが研修生から出たということが、そのときはすごいって思いました。ちょっとうらやましいなって」

宮本「そのころは結構『負けたくない』みたいな気持ちもあったのですが、デビュー出来る自信はないっていうか、そういう感じじゃなかったですね。単純に『すごいね、おめでとう!』みたいな感じでした」

譜久村「あまりの出来事で、選ばれた瞬間はびっくりして頭が真っ白になって階段から落ちそうになったんですよ。モーニング娘。の9期オーディションは受けていたんですけど、受かるって思っていなかったというか、実際は落ちていたので…。まさかサプライズがあると思っていなくてびっくりしたんですけど、やっぱり実感がなかった。でも新学期に学校へ行って、友だちから『おめでとう!』って言ってもらってから、少しずつ実感が湧いてきました」

■ これ以降、それこそ宮本さんがJuice=Juiceとしてデビューされたり、ハロプロ研修生がデビューするチャンスが増えました。見ていて自分たちのころとは変わったなって思うことはありますか?

譜久村「さっきも言ったんですけど、今はハロプロ研修生の子たちにもスポットが当たっていて、ちょっといいなって。私たちのころはそんなに当たってなかった(笑)」

和田「それは思うよね。あと、出来るメンバーが増えたことは嬉しいです。だからこそ私たちのときは出来ない人たちの方が多くて『なんだろう?』ってたまに思いますね。出来る子が増えたのは単純に嬉しいことだし、これからもっと盛り上がっていったらいいなって。でもちょっと悔しいですね、私たちの仲間でデビュー出来ない人たちもいたので、そこは単純に同じ仲間としては悔しいです」

宮本「でも『デビュー出来ないかもしれないけど、大丈夫?』って、すごく言われて(ハロプロエッグに)入って来ましたもん。『本当に確約してないよ』ってすごい言われた」

譜久村「そんなこと言われたんだ(驚)」

宮本「すごい言われたんですよ! だから、なんか『はい…や、やります…』みたいな(笑)。本当にそれが当たり前だから、デビュー出来なかったときの不安もすごかった。研修期間が長くなればなるほど、『ああ、やっぱ確約されてないから』みたいな」

譜久村「そんなこと言われてたんだ、知らなかった」

宮本「確約がないから『もう私は終わりだ』って、中3ぐらいになったら終わりにならなきゃいけないんだ」って。中1で選ばれてないときに『もうそろそろ、辞めなきゃいけない、辞める時期が来るのか…』って思ってたから」

和田「でも、中3は何か1つの区切りだったよね」

譜久村「ね。私も中2の終わりのころ、死にそうな顔してたな」

宮本「この世界、怖っ!って思いましたもん」

和田「うん」

ハロー!プロジェクト20周年が終わりますね。最後に一言お願いします

和田「20周年イヤーが終わると、こういうことを意識する機会もきっと少なくなっていくと思うんです。でも、ハロー!プロジェクトが続いていったり、私たちの活動はずっと続くもの。ある意味、未来に向かっている進行形のときだからこそ、本当に気が抜けないというか、変わらずにこれまで通りに一生懸命やっていかないといけない。そうやっていかないといけないなと思います。また、30周年、40周年といった記念の年にみんなで集まれたらうれしいですね」(ザテレビジョン

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