小澤社長が面接に訪れたのは北海道樺戸郡月形町にある月形刑務所。幼少期から出所者がそばにいる環境で育った社長にとって、出所者の雇用はごく当たり前のこと
小澤社長が面接に訪れたのは北海道樺戸郡月形町にある月形刑務所。幼少期から出所者がそばにいる環境で育った社長にとって、出所者の雇用はごく当たり前のこと

これまで雇用した出所者は500人以上。罪を犯した者を積極的に受け入れてきた北海道の建設会社「北洋建設」。社長自らが行なう刑務所内面接に、今回初めて同行が許可された。

そこでは何が語られるのか? 難病を抱えながらも、今なお面接を続ける理由は? 前編に続き、その真意に迫った!

■入社が決まったことで得られた「安心感」

法務省の政策評価企画室の『再犯防止対策の概要』(17年10月)によると、15年の検挙者23万9355名のうち48%の11万4944名が再犯者。その再犯者の約72%が逮捕時に無職だった。

小澤社長の行動の原点はここにある。出所者は刑務所を出たはいいが、所持金も少なく、身元引受人がいない場合は住所を持てず、働きたくても働きようがない。結果、出所してもその多くの人が三度の食事と雨風をしのげるすみかを求めて、あえて微罪を犯してまで刑務所に戻るケースが後を絶たないのだ。

「だから仕事です。仕事があれば罪を繰り返すことはありません。実際、ウチの社員は一生懸命働きますから」

北洋建設では内定を出した出所者には、小澤社長自らが身元引受人となり、社員寮を用意し、仕事を与えることで社会復帰と更生を図っている。そして、この取り組みを取材した地元テレビの報道や刑務所内に張り出されている北洋建設の求人ポスター(小澤社長いわく全国すべての刑務所)を見た受刑者が、小澤社長宛てに求職の手紙を書くのだ。

A氏が退室した後、受刑者B氏が入室してきた。30代、前科3犯の元暴力団員だ。

B氏は、昨年所内で見た北洋建設の取り組みを描いたテレビ報道に感銘を受け、人生をやり直したいと小澤社長に手紙を書いた。そこに「反省とやる気」を見出した小澤社長は、すでに昨年に一度、B氏に面接して内定を出したのだが、出所予定が来春ということもあり、今回その意思を再確認しに来たのだ。

B氏の意思が変わらないことを確認すると、小澤社長は「ウチでは67歳の社員が今年3月に家を建てた。あなたも頑張って」と励ましの言葉をかけた。

筆者は、B氏への短いインタビューが許可された。

──前科3犯ですが、なぜ再犯を繰り返したのですか?

「土建業などにも2、3年就いたのですが、お金の面などで暴力団の魅力に負けてしまったんです」

──今回は懲役何年ですか?

「4年8ヵ月です」

──もし、北洋建設に就職が決まっていなかったらどうなっていたでしょうか?

「まったくわかりません。それが不安でした」

──北洋建設の入社が決まったことで安心しました?

「そうです。ひと言で言えば安心感です。だから今、所内で品行方正に努めています。もう暴力団には戻りたくないです。70代の母に安心してもらいたいんです」

──これからの目標は?

「今までは自分のことだけを考える人生でした。これからは、自分よりも人を大切にできる人生にしたいです」

少し強面のB氏だが、私もそこに「やり直したい」との気持ちを感じた。

B氏は一礼して退室した。

社屋の隣にある北洋建設の社員寮。食費は一日3食で1500円、寮費は水道光熱費込みで月5万円ほどかかる
社屋の隣にある北洋建設の社員寮。食費は一日3食で1500円、寮費は水道光熱費込みで月5万円ほどかかる

■雇用しても9割が辞める。それでも......

月形刑務所からの帰りの車中で、筆者は北洋建設の社員に「出所者を雇用し続けることで社員寮があふれることはないのですか?」と尋ねた。

答えは意外なものだった。

「ほぼないです。雇用しても、その9割以上が辞めるか突然いなくなりますから。結局、実際に働かないと、続くかどうかわからないんです」

北洋建設はこれまで500人以上の出所者を雇用してきたが、独立や転職、あるいは定年退職を除けば、その多くが辞めるのが現実だという。

実際、車中で社員が「社長、Yが今日いなくなっちゃいました」と報告をしていた。

だが、出所者の社員がいなくなるのはほかの会社でも珍しいことではない。

NPO法人「全国就労支援事業者機構」が、16年2月、過去に出所者を雇用した1000社に実施したアンケート調査によると(回答企業646社)、「出所者の在籍日数」については「1年以内」が67・2%との結果が出た。大卒者の離職率が3年で3割程度だから、出所者の離職率は極めて高い。

「でもね」

小澤社長が言葉を続けた。

「ほんの少数でも、きちんと更生して社会人として生きる。それを見るのがうれしい」

この前日の小澤社長への取材で同行していたのが、殺人未遂で収監されていた50代社員の山村強さん(仮名)だ。

付き合っていた女性のことでからかわれ「謝れよ!」と包丁で脅したら、つい相手を刺してしまい栃木県刑務所に5年間収監された。

山村さんも小澤社長に手紙を書き、15年、刑務所内面接で内定が決まった。翌年の出所後すぐに北海道に向かうと、札幌駅で小澤社長が出迎えてくれた。その日の夜には社員有志によるジンギスカンでの歓迎会があり、山村さんはすぐに会社になじめたという。

また、小澤社長がうれしいのは、山村さんの結婚が決まったことだ。小澤社長は山村さんにこう声をかけた。

「社会復帰して、一生懸命働いて納税者となり、家族も持つ。こんなにうれしい更生はない。山村、おまえ頑張ったな!」

山村さんは彼女の両親に過去を打ち明け、結婚が許されたことに安堵(あんど)している。

「僕は自分の罪を背負って生きていきますが、更生を支えてくれた北洋建設のため、これからも一生懸命に働きます」

仕事があれば再犯はしない。これを信じ続ける小澤社長の願いは、余命あるうちに、できるだけ多くの会社が当たり前のように出所者雇用に取り組んでくれることだ。

今月も小澤社長は日本のどこかの刑務所に行くはずだ。

●小澤輝真(おざわ・てるまさ)
1992年、創業者の父が亡くなり、17歳で北洋建設に入社。2014 年には社長に就任。父と同じ、難病の「脊髄小脳変性症」に罹患した。移動は車椅子で、発声も不明瞭になりつつあるが、受刑者の採用で全国を飛び回る

取材・文・撮影/樫田秀樹

小澤社長が面接に訪れたのは北海道樺戸郡月形町にある月形刑務所。幼少期から出所者がそばにいる環境で育った社長にとって、出所者の雇用はごく当たり前のこと