2018年12月21日公開の映画『シュガー・ラッシュ:オンライン』。

ディズニーオタクが作ったディズニー映画 『シュガー・ラッシュ:オンライン』レビュー

2016年公開の『ズートピア』でバイロン・ハワード監督と共同監督を務めていたリッチ・ムーア監督と、前作『シュガー・ラッシュ』にて脚本を担当したフィル・ジョンストン監督、ふたりの共同監督作品です。

インターネットの世界を舞台にした今作は、まさに見所いっぱい!

ですが、ここでは私がこの映画から感じ取ったことについて、ご紹介したいと思います。

この映画、びっくりするほど深くて重いです。

見所はプリンセス大集合やインターネットの可視化だけじゃない!

2018年12月21日公開の映画『シュガー・ラッシュ:オンライン』は、2012年公開の映画『シュガー・ラッシュ』の続編になります。

前作から6年経った作中では、突如訪れたレースゲーム<シュガー・ラッシュ>の危機を救うため、インターネットの世界に飛び込びます。

果てし無く広いインターネットの世界で、ヴァネロペとラルフには、思いもよらない危険が待っていました。

なんでも叶う夢のようなインターネットの世界では、誰でもなんにでもなれるし、どこにでも行ける。

そんな誰しもが身近なインターネットを、壮大でユニークな世界として表現していることや、実在するWebサイト「OH MY DISNEY」を映像化し、様々なディズニーキャラクターや歴代のディズニープリンセスが大集合するなど、見所をあげたらキリがない映画になっています。

ですが、この映画の見所は、インターネットの可視化やディズニープリンセスの大集合シーンだけではありません。

私が感じたのは、この物語の本質は、面白い、面白くないってところにはない、ということです。

「人間関係に一度でも苦悩したことがある人」に見て欲しい映画

シュガー・ラッシュ:オンライン』を見て欲しい層は、男性? 女性? 大人? ティーン? 小さなお子さん?

いいえ、この映画は「人間関係に一度でも苦悩したことがある人」に見て欲しい映画なんです。

自分の居場所を誰かに預けている人。

夢を追いかけてなにかを投げ出そうとしている人。

どちらも悪いことじゃないし、見方によっては幸せなことでもありますよね。

新しい世界に行きたいヴァネロペは、自分の可能性を信じて止まない女の子。

今のままでいたいラルフは、安定した幸せをようやく手に入れ、それを失わないように願う男性。

シュガー・ラッシュ:オンライン』の主人公のふたりは、「今」を生きているすべての人に、どこか当てはまる要素を持ったキャラクターになっています。

ラルフとヴァネロペの友情は、何にも代え難く、特別な環境の元で生まれた、他にない友情です。

ですが、このふたりの友情の危機を目の当たりにしたとき、自分にも同じようなことがあった、と思う人も少なくないと思います。

誰にでも起こる、「他人への執着」

誰にでも起こる、「他人への執着」

下ネタバレを含みますので、出来れば映画を観た後に読んでください。

物語の中で、好奇心旺盛で新しいことやワクワクすることが大好きなヴァネロペは、レースゲーム<シュガー・ラッシュ>に物足りなさを感じ、新しい世界に魅了されていきます。

それに対してラルフはというと、変わらない毎日をヴァネロペと共にいつまでも永遠に繰り返すことを望み、ヴァネロペが新しい世界に魅了されていくのを不満に思います。

ラルフは自分のゲーム、<フィックス・イット・フェリックス>の中で27年間、悪役として友達もいない時間を過ごしていました。

それなのに、前作『シュガー・ラッシュ』を経て、ヴァネロペという最高にかわいくて、楽しくて、クールな女の子と親友になり、6年間毎日遊び歩いてたら、それを失い難くもなる気持ちもわかります。

ラルフのヴァネロペへの執着は、あくまでも「友情」の執着なんですよね。

中学生ぐらいの頃、仲のいい友達が、自分とはあまり仲が良くない友達と遊んでいると、「なんでその子とばっかり」みたいな嫉妬心を抱いた人も少なくないと思います。

少なくとも私はそうでした。

私自身友達が少なかったこともあり、唯一と言っていい友達は他の友達にも好かれるようないい子で、その子が私を置いて誰かと遊びに行ってしまうと、猛烈な妬みと寂しさに襲われていました。

もういっそ私以外と遊ばないで、と思ってしまうほどの気持ちだったので、新しい世界にうっとりするヴァネロペに、怒りにも似た嫉妬心をぶつけるラルフの姿は、非常に共感しました。

学生時代って、世界がすごく狭くて、今自分がいるグループに見捨てられたらどうしようって言う不安が常に付き纏っていて。

今となっては、別に友達の一人や二人いなかろうが生きることに支障はないのに、なぜあの頃は世界の終わりのような気持ちでいたんでしょうかねえ。

映画を観終わってしばらく考えていたら泣けてきた

そして、ラルフにとって、ヴァネロペとふたりだけの楽しい世界は、「学校」よりももっと狭い。

ヴァネロペが居るか居ないかしかない世界を生きているラルフにとって、ヴァネロペを失うことは絶望以外のなにものでもないことを、私は知っています。

映画を観終わってしばらく考えていたら泣けてきたのですが、今まで見たどんなディズニー映画とも違う涙でした。

心が痛くて、怖くて、寂しいよね、ラルフ

この映画は、「自分は正常な人間関係を自分の力で築いてきました! 今の自分はとってもハッピーです! 」という自覚のある人が見ると、ちょっと伝わりづらいかもしれません。

というか、ラルフに感情移入しづらいかもしれない。

私はリアルの友達0、ツイッターのフォロワーさん数人にだけ仲良くしてもらってるという、人間関係がそこそこ破綻している人間なので、ラルフの気持ちがすっっっごいわかるんですよね。

自分の居場所を他人に委ねてしまうような、誰かに縋らずにはいられない気持ちに覚えがない人が羨ましい。

それくらいヴァネロペを失うまいと健闘するラルフは痛々しくて、昔の自分を見ているようで居心地が悪かったです。

でもヴァネロペの、新しい世界に飛び出したい気持ちもわかるので本当にしんどい。

どちらもに感情移入してしまって、見ている最中本当にしんどかったです。

人間関係って難しいよね。

心が本当に望む、新しい世界への渇望

自分の心が本当に望む、新しい世界への渇望

これまでのディズニープリンセスたちは、自分の置かれた状況や立場に疑問を抱いたり、もっと素晴らしい世界があると信じて、今いる世界を飛び出すような女性たちです。

私の大好きなラプンツェルはきっとその筆頭で、彼女は「空の光を見に行く」という夢を叶えるために、18年間住んでいた塔から裸足で飛び出します。

ヴァネロペも「ディズニープリンセス」らしく、自分の心が望むまま、新しい世界を求め、歩き出します。

シュガー・ラッシュ>の世界の住人からしてみれば、ヴァネロペが新しい世界に行きたがるのは無責任にも見えるかもしれません。

でも一度きりの自分の人生で、好きな場所で生きたいと思えるのはすごいことです。

「ここは私が居るべき世界だ」と思える人が、世の中にはどれくらいいるのでしょうか。

全てを捨ててまで叶えたい夢が見つかる人は、どれだけ幸せなのでしょうか。

新しい世界を選んだヴァネロペは、それでもちゃんとラルフの気持ちを慮っていますし、ラルフと離れることに耐え難い罪悪感を抱きます。

それでも彼女は夢を選んだ。

だって、ヴァネロペの人生はヴァネロペしか歩けない。

いつまでもラルフと一緒に、シュガー・ラッシュの世界にいることを彼女は望まない。

その想いの強さこそが、ヴァネロペがヴァネロペであるために必要なものなんです。

「背が高くて強い男性」からの解放

「背が高くて強い男性」からの解放

ディズニー映画は、そのほとんどが、どれだけ時が経っても色褪せない作品ばかりです。

ですがこの『シュガー・ラッシュ:オンライン』は、絶対に「今」見ないといけない映画なんです。

きっとこの映画は、他のディズニー作品と違い、30年後に見たら「時代遅れ」になると思います。

30年後はiPhoneも今の形じゃないかもしれないし、SNSは全く新しい変化を遂げているかもしれない。

ディズニー映画は半永久的に愛されるエンターテイメントであり、それがディズニーが「ディズニー」たる理由でもあると思うのですが、この作品はそれを投げ捨てているとも受け取れます。

その、ディズニー作品である軸のような部分を投げ捨てでも、この作品には「今」伝えたいメッセージが込められてるんだと思います。

例えば、2018年の今、社会における女性の立ち位置がどんどん変わっていっていますよね。

それは白雪姫だけが「ディズニープリンセス」だった時代から、自分の体1つで船を漕ぎ、村を救うために大海原に飛び出したモアナが最新の「ディズニープリンセス」であるように。

女性だから、で不遇な扱いを受ける時代を終わらせるために、「今」、世界が動いている。

ヴァネロペはレースゲーム<シュガー・ラッシュ>のプリンセスであり、人気のあるメインキャラです。

そんな彼女は単調な毎日に不満を感じ、新しい世界を求めています。

ヴァネロペは魔法の髪も魔法の手も、動物と喋れる能力も、誘拐や監禁もされたことはないけれど、とある一つの理由からディズニープリンセスたちから、「本物のプリンセス」と認定されます。

それは、「背が高くて強い男性に幸せにしてもらったってみんなに思われている」こと。

これ、今までのディズニープリンセスに対する強烈な皮肉ですよね。

ヴァネロペは、これから先、ディズニープリンセスがこんな皮肉を言われなくなるようになるためのプリンセスなんだと思います。

ヴァネロペがヴァネロペであることに、「背が高くて強い男性」は必要ない

シュガー・ラッシュ:オンライン』でのヴァネロペは、自分のやりたいこと、自分の信じる自分、自分の居たい世界を見つけ、自分の力で夢を叶えていきます。

ところが、変化を求めないラルフは、夢を叶えていくヴァネロペの足を引っ張るようなことをしてしまいます。

あれ、こういうの、現実世界でもよくあるよね。

女性がやりたいこと、居たい世界を見つけることを良しとしない光景を、私自身経験しているし、何度も見てきました。

しかも足を引っ張る方はさもそれが「当たり前のこと」という顔をして押し付けてくる。

そんなの、嘘でしょ?

シュガー・ラッシュ:オンライン』のクライマックスでは、ディズニー映画らしからぬシーンが続きます。

前作『シュガー・ラッシュ』の甘くかわいい世界は終わり、ヴァネロペは自分の力で、埃まみれの荒んだ世界で戦うことを選びます。

ラルフのためでも、誰のためでもない、自分の願いを叶えるために。

ヴァネロペがヴァネロペであることに、「背が高くて強い男性」は必要ないのです。

ですが、それがヴァネロペとラルフが、親友でなくなる理由にはならないことは忘れないでください。

ラルフは背が高くて強い男性だけれど、ヴァネロペと親友であることにその要素は関係ありません。

この映画のクライマックスは、「夢を叶ようと新しい世界に踏み出す女性」と「その女性の足を全力で引っ張る大きな男性」が出てきますが、それはヴァネロペとラルフの話でもあり、彼らの話でもない。

世界全部の話なんです。

だからこそ、ラルフの決断は素晴らしいものになるのです。

0から1、1から無限大へ進む物語

シュガー・ラッシュ:オンライン』は、なぜ居心地が悪いのか

この映画をつまらなかった、居心地が悪かった、意味がわからなかったという人がいたら、できればもう一度見てください。

この映画の居心地の悪さは複数あります。

「背が高くて強い男性」の視点の居心地の悪さなのか、「友人への執着が止まない自分」視点の居心地の悪さなのか。

あるいは、「安定を何よりとする保守的な」視点から来る居心地の悪さもあるし、「何かを犠牲にして夢を追いかけることへの罪悪感」からの居心地の悪さもある。

もしもこの中のどれか、あるいはどれでもなくても居心地の悪さを感じたとしたら、どんなシーンに居心地の悪さを感じたのか考え抜いてください。

そこで答えが出たら、どうかその居心地の悪さを受け入れてください。

そうすれば、少なくともきっとあなたの世界はより良くなるはずだから。

「0から1へ踏み出す勇気」と「1から無限大へ進む決意」

この物語は、無限に広がる世界のほんの隅っこで起きた、「0から1へ踏み出す勇気」と「1から無限大へ進む決意」を描いた物語です。

インターネットという果てのない世界で描かれた、たった一人の男の感情と成長、そして夢を願った小さな女の子の物語。

ラルフが何を思いどんな行動をして、どのような結末になったのか。

ヴァネロペが何を選んで、願って、どんな選択をしたのか。

この映画を全世界の人が見て、ラルフとヴァネロペの行動の意味を理解したら、きっと世界は変わるはず。

そう思わずには居られないくらい、メッセージに溢れた作品になっています。

だからこそ、この映画は「今」見て欲しい。

手元にスマートフォンがあって、SNSで誰かと繋がって、世界中の情報が一瞬で手に入るこの時代だからこそ、『シュガー・ラッシュ:オンライン』は映画としての役目を果たせるのだと思います。

ほんと、今! 映画館に! 見に行って!

シュガー・ラッシュ:オンライン』

2018年12月21日(金) 全国公開

2018年12月21日公開『シュガー・ラッシュ:オンライン』 ©2018 Disney. All Rights Reserved.