吉原遊郭は、庶民のあこがれの場所でした。とにかくお金がかかる場所で、遊女屋に上がらず張り店を見て歩くだけの「冷やかし」も多かったとか。吉原に足を運んだからといって、必ずしも客になるわけではなかったのです。

とにかくお金がかかる吉原

吉原でお目当ての遊女が見つかったら、三回通う必要がありました。始めて登楼する「初会」、二度目の「」、三度目の「馴染み」でようやく馴染み客になることができます。この三度目で、客は、「遊女が気に入ったので長く通う」という意味を込めて、馴染み金を出します。

さらに遊女に寝床で与える祝儀(床花)も必要でした。床花は遊女に直接渡すより、そっと煙草盆の引出しに入れておくのが粋だったそう。この時点で、かなりお金がなくなっていそうですね…。

等級によって売値が違う遊女

そして遊女は、等級によって売値が異なりました。最上級の花魁となると、揚代(売値)は 1両1分!花魁と遊ぶには、かなりの財力が必要でした。遣手や若い者への心付けも必要なので、実際に必要な金額は揚代の倍ぐらい。

しかも紋日になると特別料金で、通常の倍に!年間数十日も紋日が決められているので、遊女はこの日に客を取らねばなりません。客にとっては、ただでさえ吉原は高いのに、紋日は勘弁して…というのが本音だったかもしれませんね。

江戸藩邸の留守居役のように金払いが良い客は、吉原で最上の客と言われていました。時に、紋日に遊女の一日を買切る(仕舞)客もいたようです。さらに仕舞をつけたけれど当日来ない客は通とされ、遊女はお金をもらえるし張見世にも出なくていいので、いいことづくめ。こういう客ばかりだったら遊女はさぞかし助かったことでしょう。

さらに豪快な客になると、一つの妓楼の遊女をすべて買切る(惣仕舞)客もいました。とはいえ、こんなに豪快にお金を遣える客は、ほんのひと握り。

ほとんどの客は、お金にさほど余裕はなかったでしょう。せっかく登楼しても、馴染みの遊女が病気だった場合は、妹分の遊女が代理を務める(名代)ことに。揚代は馴染みの遊女と同じ金額だから、客としてはたまりません。

お金を払っても、花魁が客をふることも

さらに、名代には手を付けないのが通とされたそう。お金を払っても、花魁が客をふることもあったので、お金さえ払えば遊女と床に入れるわけではなかったのですね。

客にとって、吉原は人生勉強の場でもあり、粋な男としてのたしなみも求められたのです。

吉原は華やかな場であるのと同時に、現実を知る場でもありました。きっと、出費はハンパなくても、夢の世界を満喫したいと思わせるだけの魅力が存分にあったのでしょう。

参考文献大江戸ものしり図鑑江戸吉原図聚図解落語入門

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