私たちは「食」の行為を当然のようにしている。では、私たちの身体にとって「食」とは何を意味するのだろうか。本連載では、各回で「オリンポス12神」を登場させながら、食と身体の関わり合いを深く考え、探っていく。
(1)主神ジュピター篇「なぜ食べるのか? 生命の根源に迫る深淵なる疑問」
(2)知恵の神ミネルヴァ・伝令の神マーキュリー篇「食欲とは何か? 脳との情報伝達が織りなす情動」
(3)美と愛の神ヴィーナス篇「匂いと味の経験に上書きされていく『おいしい』記憶」
(4)炉の神ヴェスタ篇「想像以上の働き者、胃の正しいメンテナンス方法」
(5)婚姻の神ジュノー篇「消化のプレイングマネジャー、膵臓・肝臓・十二指腸」
(6)狩猟の神ディアナ篇「タンパク質も脂肪も一網打尽、小腸の巧みな栄養吸収」
(7)戦闘の神マーズ篇「腹の中の“風林火山”、絶えず流れ込む異物への免疫」
(8)農耕の神セレス篇「体の中の“庭師”、腸内細菌の多様性を維持する方法」

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深夜食堂』というマンガ作品がある。作者は安倍夜郎。深夜営業の小さな「めしや」を舞台に客たちの人生模様を描く、一話完結の佳品である。小林薫主演でテレビドラマや映画にもなっているので、ご存知の方も多いかもしれない。

 この作品の肝は、メニューにはない多種多様な料理をきっかけとして、客どうしの運命的な邂逅と別離が展開されるところであろう。「深夜食堂」を訪れる人々が変貌してゆく様は、動脈・門脈経由で肝臓へ入っていったさまざまな物質が変化して出てゆくのに似ている。

 その肝臓は、重さ1200g余りの巨大な臓器である。そのため、全血液の10~20%が肝臓に存在し、肝細胞と血液中の成分とのやり取りを効率的に行うための「肝小葉」とよばれる構造が存在している。肝小葉は肝臓に50万個程度ある機能的な最小単位であり、10人で満席になるような「深夜食堂」を彷彿とさせる。

 そんな「深夜食堂」のマスターは、ギリシャローマ神話でいえば鍛冶の神「ヴァルカン」であろう。第4回で取り上げた炉の神ヴェスタと同様、火を扱う神にして、他の神々の武器や道具を製作する実直寡黙なエンジニアである。そして、妻であるヴィーナスの浮気を知れば、その現場を見えない網で固定して、他の神々への見せしめとするなど「やる時はやる」側面もあり、肝臓に例えるにふさわしい神である。

 では、肝臓の具体的な働きについて見てゆこう。

低すぎても高すぎても危険な血糖値を安定に

 まず、血糖値の安定に肝臓は不可欠である。血糖値とは、血液中のブドウ糖の濃度のことである。

 生物が活動するうえでの共通のエネルギーはATP(アデノシン三リン酸)という化合物なのだが、そのATPは各々の細胞で合成しなくてはならない。そして、細胞はATP合成のためのエネルギー源を外から受ける必要がある。そのエネルギー源とはおもに糖質、脂肪酸、ケトン体、アミノ酸の4つである。このうち身体の全細胞が定常的に利用できるのが糖質、中でも血糖値の基準となるブドウ糖だ。そのため、ブドウ糖は身体の基幹エネルギー源として血中に一定濃度(1g/L)存在する必要がある。実際に低血糖(0.5g/L以下)になれば昏睡状態となり、放置すれば最悪、死に至る。

 とはいえ、血糖値は高すぎても困るのである。ブドウ糖は反応性の高い物質であるので、血糖値が高い状態が慢性的に続けば徐々に循環器系にダメージを与えてしまうのだ。

 しかし、ご飯やパンを摂取すれば、十数分後には大量のブドウ糖が小腸から吸収され、高血糖となる。各々の細胞がブドウ糖を消費するのを待っていてはリスクの方が大きくなる。逆に、外部からのブドウ糖の供給が長時間ない場合は低血糖になってしまう。

 そこで肝臓の出番である。

 肝臓は、高血糖時にはブドウ糖をグリコーゲンという形で貯蔵し*、低血糖時にはその蓄えられたグリコーゲンを分解してブドウ糖を放出し、血糖値を調節している。

 さらには、身体が蓄えられる300g程度のグリコーゲン量を上回る糖質が一気に入ってきた場合、肝臓は糖質を中性脂肪へと変換させ、血糖値を下げようとする。逆に、就寝時など8時間以上にわたって糖質の供給が途絶えてグリコーゲンが枯渇しそうな場合は、アミノ酸からブドウ糖を合成するようになる。これを糖新生とよぶ。

 血糖値が大幅に変動しないように肝臓は大活躍なのだ。ヴァルカンは火を扱う神でもあるので、基幹燃料の供給コントロールを請け負っているわけだ。

*:高血糖時には筋肉でもグリコーゲンが蓄積されるが、肝臓と違って筋肉の細胞内でしかそのグリコーゲンは使えない。

さまざまなアミノ酸を合成してタンパク質に

 さまざまなアミノ酸を合成するのも肝臓の重要な役割である。身体を構成するタンパク質はアミノ酸でできているのだが、どんなアミノ酸でもよいというわけではない。ヒトのタンパク質の材料となるアミノ酸は約20種類あり、タンパク質ごとに必要なアミノ酸の種類と数が決まっているのだ。

 ヒトは、必須アミノ酸とよばれる最低9種類のアミノ酸があれば、それらを用いて20種類のアミノ酸を合成することができ、これらを材料に多様なタンパク質を作ることが可能となる。特に、血液中の血漿タンパク質(アルブミン、グロブリン、フィブリノーゲンなど)のほとんどが合成されている場所は肝臓である。そのため、血漿タンパク質の血中濃度が低いと、肝機能の障害が疑われる。

 タンパク質はそれぞれに個別の機能があることを考えると、肝臓でのアミノ酸代謝は、まさにさまざまな部品を組み合わせて使用目的に合わせた武器をヴァルカンが製作しているかのようである。

代謝により脂質の濃度を調整

 脂質の代謝においても、肝臓はなくてはならない存在だ。肝臓で合成された中性脂肪コレステロールは、VLDL(超低密度リポタンパク質)という脂質輸送体の形で血中に放出され、体内の細胞へ供給される。コレステロールというと健康に悪いイメージがまだ根強いが、細胞に必要であるから血中にあるのであって、血糖値と同じように適切な血中濃度が維持されている必要がある。よって、血中のコレステロール濃度が低下すれば、肝臓でコレステロールが新たに合成される。

 そして、余ったコレステロールなどはHDL(高密度リポタンパク質)という形で肝臓へ回収される。さらには肝臓内のコレステロールの一部は、第5回「婚姻の神ジュノー篇」で登場した胆汁酸へ変換されて消化管へ分泌され、脂質の消化を助ける。

 結局、血中の脂質の濃度も肝臓が総元締めとして調整しているのである。

糖質不足を補うエネルギー源を合成

 また、何日も糖質が供給されない状態が続くと、アミノ酸による糖新生の他に、補助的なエネルギー源としてケトン体が肝臓で合成されるようになる。これは、脂肪酸の分解産物から生じる化合物で、ブドウ糖に次いで汎用性の高いエネルギー源である。

 ただし、皮肉なことに肝臓自体(と赤血球)はケトン体をエネルギー源として利用できない。これはヴァルカンが「どんな剣も通さない楯」と「どんな楯をも貫く剣」を同時に作れないような話であろう。

リクエストに合わせて臨機応変にものを作る

 これら多様な肝臓の働きは、食欲中枢や消化器系と同じくホルモンや自律神経系によって制御されている。たとえば、グリコーゲンや中性脂肪の合成促進により血糖値を下げる作用を持つのは、インスリンというホルモンである。逆に副腎皮質ホルモンやグルカゴンなどは、糖新生やグリコーゲン分解を促進させて血糖値を上昇させる。どちらの方向にも自律神経系が密接に関与している。

 すなわち、ヴァルカンが製作する武器や「深夜食堂」のマスターが作る料理は、神々や客たちのリクエストや状況(ホルモンや自律神経系)に合わせて臨機応変に変わってゆくというわけだ。

 さて、肝臓にやってくるのは栄養分だけではない。他所では処置に困る化合物もやってくる。あるいは肝臓内で発生する廃棄物的な化合物もある。次回はそうした「はぐれモノ」の行方について考えてみよう。

(第10回へ続く)

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腹腔の右上にある大きな臓器「肝臓」は、多能なエンジニアのような働きをする。アイコンは鍛冶の神ヴァルカン。