江戸時代の湯屋の仕事といえば「番台」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?忘れてはいけないのが、「三助(さんすけ)」です。三助は、男湯・女湯のどちらにも出入り自由なので、男性客としてはうらやましい限りだったのでは。

でも、三助の仕事は一日や二日でできるようになるものではありません。今回は三助の仕事内容について紹介します。

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三助になるために

流しの三助になりたいと思ったら、まずは下積みの木拾いからスタート。釜炊きの仕事を経て、ようやく洗い場に入ることができます。ここで湯の温度の調整をするほか、洗い場の様子に気を配らないといけません。この仕事ができるようになって、一人前の三助になれるのです。

『肌競花の勝婦湯』豊原国周

三助は、番台の拍子木の音で、男客か女客かを判断したら、湯を入れた桶を3つ持参します。客が湯から上がったら、さぁ三助の出番!垢すりまたは糠袋で背中~腕をこすったら洗い流します。

マッサージ後は、絶妙な具合で背中を「パンパン!」と叩くのですが、この音を出すのが大変。練習を重ねないと、良い音が出ないのだとか。

ほかにも、閉店後の浴槽・洗い場の掃除もあるから、かなりの力仕事。これが終わったら、翌朝の一番風呂の客のための準備をして、ようやく一日の仕事が完了するのです。

三助という名前の由来とは?

ところで、三助っていう名前はどこからきたのでしょう。いろんな説がありますが、越後から江戸に出てきた三兄弟の名前に「助」がついていたから、という説があります。

この三人はたいそう働き者で客にも人気だったので、いつしか三助と呼ばれるようになりました。実質的には湯汲番よりも上役の三助でしたが、社会的地位は低いとされていたとか。

でも、若くて体が引き締まっている美男子の三助は、女性客にモテモテ。祝儀もたいそうふるまってもらったそう。とはいえ若くなくても、きびきびと働き手際が良ければ、祝儀の額も良かったと言われています。

さらに紋日には番台の三方におひねりが積み上げられたので、収入はそれなりに恵まれていました。そしてコツコツと働きお金を貯めて、営業権である湯屋株を買って独立することが多かったそう。

でも独立までの道のりは、そう簡単ではありませんでした。彼らの忍耐強い性格は、出身地と関係していたかもしれません。越後・越中・越前と豪雪地帯で育った三助が多かったというから、なんだか納得ですね。

参考文献江戸の風呂

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