平成が4月で終了する2019年プロ野球も昭和と比較すると、様々な部分が変化している。特に変わったのが外国人選手の重要性。昭和時代よりも飛躍的に高まっている状況だ。

 その理由は、外国人枠が拡大したこと。支配下登録枠が撤廃され、一軍に投手野手合わせて4人同時登録できるようになったため、数多くの選手が来日するようになったのだ。アレックス・ラミレス選手やウラディミール・バレンティン選手など大記録を残した選手がいる一方で、「サッパリ」だった選手や、不祥事を起こした選手もいる。

 そこで今回は、平成時代に来日した「記憶に残るダメ外国人選手」を紹介しよう。

1.ダン・ミセリ投手(読売ジャイアンツ)

メジャーリーグでの高い実績を買われ、2005年読売ジャイアンツ入団。開幕から抑え投手として起用されたが、開幕戦でセットポジションからのクイックモーションが出来ず、盗塁からリズムを崩し、ホームランを打たれるなどして逆転負けを喫してしまう。

その後も救援失敗が続き、首脳陣は二軍に落とそうとするも、「本人の同意なしに落とせない」契約となっていることから、ミセリがそれを拒否。この不可解な契約を結んだフロントに批判が集中することになった。

首脳陣は苦肉の策として敗戦処理で起用するが、これにミセリが激怒。結局二軍落ちとなり、わずか4試合で解雇される。また解雇当日、ミセリは浅草観光に繰り出したことも話題に。長い巨人の歴史のなかでも、「最低レベル」の外国人投手といえよう。

2.ブラッド・ペニー投手(福岡ソフトバンクホークス)

メジャーリーグで最多勝をとった超大物。その年俸は2億2800万円(推定)と超高額で、ソフトバンクが資金力をフル活用して獲得。エースとしての活躍が期待された。

ところが日本に現れたペニーは、丸々と太り、球に全くキレがなくオープン戦から打ち込まれる。そして、仙台で行われた公式戦に先発したペニーはクイックモーションができず、5盗塁を許し敗戦投手になってしまう。

すると登板後、「右肩が痛い」と訴え、アメリカに帰国。医師から「異常なし」の診断を受けたものの、「環境に馴染めない」として退団してしまう。Twitterで「アメリカに戻れて最高」「テニスをやるつもりはない」と日本プロ野球を罵倒するような発言を行い、ファンを激怒させた。

1試合しか投げず大金を手にし、日本プロ野球を罵倒したペニーについては、「史上最悪の外国人投手」との評価がある。

3.ルイス・デ・ロス・サントス内野手(読売ジャイアンツ)

台湾プロ野球・兄弟エレファンツで3年連続首位打者を獲得した実績を買われ、1996年シーズン後に巨人にテスト入団。その力を当時の長嶋茂雄監督が高く評価し、レギュラーとして開幕を迎える。

しかし、打撃・守備ともまったく奮わず。特に三塁守備は酷く、エラーを連発。結局シーズン途中に二軍に落ち、解雇されてしまった。当時のマスコミは「長嶋監督の批判はタブー」という風潮があったが、ルイスは激しいバッシングに晒される。なお、本質を見抜けなかった長嶋監督については、ネットが普及してなかったこともあり、ほとんど批判を受けなかった。

4.スティーブ・コックス選手(横浜ベイスターズ)

2003年、低迷していたベイスターズ救世主として来日。メジャーリーグで4番を打った実績を買われ、3年契約推定年俸3億円で契約。大砲としての活躍が期待された。

ところが春季キャンプで膝を故障し、開幕から出遅れてしまう。復帰後も怪我の影響で活躍することができず、二軍落ち。同年入団のタイロン・ウッズ選手が大活躍したことで存在意義がなくなり、3億円の年俸で二軍暮らしを続けた。本塁打は、わずか一本だった。

同年オフ、球団は契約を残して解雇を決定。コックスは2年目の年俸と違約金を要求。その金額は推定だが、7億円ともいわれる。TBSが親会社だった横浜ベイスターズを象徴する出来事だ。

 平成時代に日本で大失敗に終わった選手はメジャーリーグで実績を残し、観光気分のような「ナメた」気持ちでプレーする選手が多い傾向があった。もちろんアンドリュー・ジョーンズ選手やシェーン・マック選手など、例外もあるのだが。

 昨今、日本のプロ野球球団はメジャーリーグでも実績のある選手ではなく、「これから」の若手選手や3Aで実績のある選手が中心となり、「大物」が来日することは少なくなった。

 その要因には、日本人選手がメジャーリーグで活躍していることや、アルフォンソ・ソリアーノ選手、コルビー・ルイス投手、マイルズ・マイコラス投手など、日本の野球を勉強した外国人選手がアメリカで成績を残していることも大きく、「成功へのステップ」と考える外国人選手が増加したことが大きいといわれている。

 昭和の時代には考えられなかった日本人選手のメジャーリーグ入りによって、日本プロ野球で活躍する外国人選手にも影響を与えたといえるだろう。

文 櫻井哲夫