大河ドラマ「いだてん」第2話が放送され、主人公のひとり、金栗四三の誕生から少年期までが描かれました。

前回の振り返りはこちら。

それにしても父親が43歳のときの子だから「四三」とは、父親が56歳のときに生まれた山本五十六と同じ命名理由。昔の人の名づけは意外と適当だったらしい……。

さて、今回はのちに四三の妻となる春野スヤが登場しました。医者の娘で、少年のころの四三とも面識があるという設定。女学校に進んだスヤが自転車に乗って歌いながら登場したシーンが印象的でした。

「逢いたかばってん逢われんたい たった一目でよかばってん」

元気よくかわいく歌うスヤ。この歌が頭から離れないという方も多いのではないでしょうか。

熊本自転車節とは

この歌は「熊本自転車節」と呼ばれる歌で、もともとは明治期に東京で大流行した「ハイカラ節」を替え歌にしたものなんです。熊本自転車節の歌詞はこんな感じ。

1番

逢いたかばってん逢われんたい
たった一目でよかばってん
あの山一丁越すとしゃが
彦しゃんのおらす村ばってん
今朝も今朝とて田のくろで
好かん男に口説かれて
ほんに彦しゃんのおらすなら
こぎゃん腹も立つみゃあばってん
千代八千代
どうしたもんじゃろかい

2番
チリリンチリリンと出て来るは
自転車乗りの時間借り
曲乗り上手と生意気に
両の手離した洒落男
あっち行っちゃ危ないよ
こっち行っちゃ危ないよ
危ないよと言ってる間に
そらずっこけた
千代八千代
どうしたもんじゃろかい

スヤが歌っていたのは1番の冒頭部分ですね。1番だけ見ると方言はたしかに熊本らしくはあっても、あまり「自転車」らしさがないですね。ですが2番はちゃんと自転車について歌った内容。

「ハイカラ節」とはいからさん

元となったハイカラ節の歌詞はこうです。

1番

ゴールド眼鏡の ハイカラ
都の西の 目白台
女子大学の 女学生
片手にバイロン ゲーテの詩
口には唱える 自然主義
早稲田の稲穂が サーラサラ
魔風恋風 そよそよと

2番

チリリンリンと やってくるは
自転車乗りの 時間借り
曲乗りなんぞと 生意気に
両の手放した シャレ男
あっちへ行っちゃ ヒョーロヒョロ
こっちへ行っちゃ ヒョーロヒョロ
それあぶないといってるまに
ころがり落ちた

1番はいろんな女学校の女学生について歌われていて、とにかく西洋のものばかり登場していていかに「はいからさん」が目立った時代だったかがわかります。並べてみるとわかりますが、2番のほうは熊本自転車節もあまり内容にかわりがありません。

新版引札見本帖 第1 国立国会図書館デジタルコレクション

ところでこの歌、あの漫画「はいからさんが通るにも登場しているんですよ。

第一話、紅緒がはじめて伊集院少尉に出会う場面。紅緒は桜ばかり見ていて自転車でずっこけてしまうのですが、それを見ていた伊集院少尉は上の「ハイカラ節」の2番を歌って、「こんな歌をごぞんじですか?」と尋ねる。その意図は、次の台詞で明らかになります。「まあ女だてらにのれもせぬのに自転車などといきがるなという意味ですな」と。

つまりこの歌は、時代が変わって女性がイキイキし始めたという明るい歌であると同時に、それをはたで見ている人が皮肉交じりに歌う歌でもあるということ。「はいからさん」ってそういう見方をされていたわけです。

熊本の「はいからさん」のスヤは

東京でもそんなふうに捉えられていた当時の女学生たち。

では、田舎の熊本で女学生として暮らしていたスヤはどうだったんでしょう。日本に自転車が持ち込まれてもう20年以上は経っているとはいえ、片田舎で軽快に自転車を乗りこなしながらでかい声で「熊本自転車節」を歌うスヤは、それはそれは目立っていたのではないでしょうか。

すくなくともおしとやかさとは遠く、どちらかというと「はいからさんが通る」の紅緒さん寄り。もしかすると、伊集院少尉がああ言ったように、地元では肯定的には受け取られず、かなり派手な存在だったかもしれませんね。

 
関連画像