思い起こせば2019年。平成最後の正月は東スポのスクープとともに始まったといっても過言ではありませんでした。
「巨人・長野 丸の人的補償で広島移籍へ」
お屠蘇気分をぶっ飛ばす、破壊力満点の独自ダネ。
「どうせ東スポだろ」とシニカルな笑みを浮かべていた「意識高い系」の人々が逆に恥をかく平成31年の始まりとなりました。まさに「東スポを嗤(わら)う者は東スポに泣く」という格言が実証された格好です。
そして。平成時代を思い浮かべると、その初期は東スポの一面見出しが絶好調で、部数を大きく伸ばした時期であることに気づきます。温故知新。当時の傑作選を再び味わいながら、平成という激動の日々をもう一度、かみ締めていこうではありませんか。
「マドンナ痔だった?」(1990年11月4日付)
東スポ史に残る衝撃の一面見出しです。記事は東スポの記者がマドンナを直撃したわけではなく、アメリカのゴシップ誌の記事を引用したもの。ビバリーヒルズにあるマドンナの豪邸のゴミ箱取材を敢行したところ、ゴミ袋の中から痔の座薬の空箱が見つかったというのです。
よくよく考えれば、豪邸ゆえに同居人やスタッフも住んでいることが想定され、必ずしもマドンナ本人が座薬を使用したという確証はないのですが、そこは東スポ。「?」をつければ誤報にはならないという豪快な手法で、一面トップを成立させています。
しかし…。内容も内容だけに今の時代、このような一面を力付くで創り上げることはさすがに至難の業とも言えるでしょう。30年間という時の流れを実感させられる一面でもあります。
「フセイン・インキン大作戦」(1990年11月23日付)
1990年8月2日、イラク軍がクウェートに侵攻します。イラクの指導者はサダム・フセイン大統領。世界中のメディアの眼は中東へと注がれることになります。それは東スポといえども例外ではありません。11月、東スポは「フセイン 米国にインキン大作戦 兵士はカユくて戦意喪失する」という大スクープを一面で打つのです。
記事では和平攻勢に転じるフセイン大統領の狙いについて、「猛暑の夏まで米国との開戦を引き延ばせば、40度を超す熱地獄の中でインキンや水ムシに大わらわ、戦うどころではない」と伝えています。インキンや水虫…。米軍の兵士のみならず、日頃からココロとカラダの充実を心がける読者の皆さんにとっても、生きていく上でこれほどの恐怖が果たしてあるでしょうか。
結果的にこの「大作戦」は幻に終わります。翌年1月、米軍は「砂漠の嵐作戦」を敢行。イラクへと空爆を始めることになるのです。
それにしても…。「フセイン」「インキン」と語感をうまく配置した見出しには、平成の世を席巻したラップやヒップホップにもつながるムーブメントへの萌芽を感じることもできます。
「人面魚 重体脱す」(1990年12月29日付)
年末はスポーツ新聞にとってネタ枯れの季節でもあります。独自のスクープがあってもついつい、注目度の高い元日付へと「取り置き」してしまうもの。そんな年の瀬に東スポが一面にぶっ込んできたのが、よりによって人面魚の話題でした。
その内容とは…。山形県鶴岡市のお寺の池に棲む、人の顔に似た「人面魚」が、あまりの人気沸騰で見物客が多数集結し、えさを与えられすぎてブクブク太ってしまい「肥満魚」になったというものです。これはよろしくないと、お寺の方々が「えさを与えないで下さい」と呼びかけ、「中性脂肪過多症から生還」「彼はこうしてダイエットに成功した」と記事では伝えています。
えさを食べ過ぎたことが「重体」といえるのか。いや、そもそもあまりにどうでも良すぎる話題ではないのか。さらにいえば、なぜこれを一面で報じなくてはならないのか…。皆さんの頭の中は吉沢秋江の名曲「なぜ?の嵐」になっているかもしれません。
しかし、あらためて断言したい。東スポ一面がどうでもいい話題で飾られていることこそ、ニッポンが平和であることの証明であるのだと。
私達は願います。新元号の時代も、人々にとって穏やかな日々が続きますように。そして東スポが未来永劫、エキサイティングなメディアでありますように…。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
コメント