稀勢の里を「19年ぶりの日本人横綱」と呼ばないわけは?

2019年1月16日に、第72代横綱・稀勢の里が引退を発表しました。稀勢の里といえば、昇進当初からずっと「19年ぶりの日本出身横綱」と言われてきました。稀勢の里の前に昇進した横綱は、朝青龍・白鵬・日馬富士・鶴竜と、モンゴル人力士が続いていたからです。

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しかしこれを聞いて「『日本出身横綱』って『日本人横綱』と何か違うの!?」と、ちょっと気になっていた方も多いでしょう。彼が横綱になる前に横綱を張った最後の「日本人横綱」は、いったい誰だったのでしょうか?

稀勢の里の前の「日本人横綱」は「お兄ちゃん」…ではなく、あの人だった!

稀勢の里の直前の「日本人横綱」として、「お兄ちゃん」の愛称で知られた第66代横綱・3代目若乃花(現在の花田虎上氏)を思い浮かべた方も多いかもしれません。

ところが、実は違うのです。

稀勢の里の前に日本人として最後に横綱を張った力士は、武蔵丸でした。

1989年9月場所で初土俵を踏んだ武蔵丸は、1999年5月場所後に第67代横綱に昇進しました。この時はすでに曙・貴乃花若乃花の3名が横綱として在位していたため、平成に入ってから2例目の「4横綱時代」となりました。

そんな時代に幕内最高優勝12回・通算連続勝ち越し記録歴代1位(55場所)などの記録を残した武蔵丸は、まさに「大横綱」と呼ぶにふさわしい横綱の1人でした。

JR両国駅構内の特設コーナーにて撮影/2018年2月

ちなみに武蔵丸の横綱昇進から数えると、稀勢の里「17年ぶりの『日本人横綱』」だったことになります。

ハワイ出身、でも日本人として横綱に!

「えっ!?でも武蔵丸ってハワイ出身でしょ?」と、驚いた方もいるかもしれませんね。確かに武蔵丸は小錦や曙と同じハワイ出身(生まれはアメリカ領東サモア)の力士で、帰化する前の本名はフィアマル・ペニタニ(Fiamalu Penitani)といいました。

しかし彼は、大関時代にすでに日本国籍を取得していたため、日本人力士として横綱に昇進したのです。

西郷隆盛に良く似た容貌の武蔵丸は、日本人、特に西郷隆盛の出身地である鹿児島県民から人気を集め、彼を応援する「さつま武蔵丸の会」が結成されるほどでした。

さらに武蔵丸自身も、前相撲が終わった後に「ビザが切れて日本に滞在できなくなった(だから1度出国して、ビザを更新しなければ)」と親方から聞かされ、まだ日本語があまりよくわからなかったために「お前はもうこれ以上相撲ができない。もう今日で終わりだ」と言われたと勘違いして泣いてしまったり、大関昇進時の口上が「日本の心を持って相撲道に精進致します」であったりと、本当に日本の心を持った力士だったことがわかるエピソードが残されています。

メディアが稀勢の里「19年ぶりの日本『出身』横綱」と報じるのは、3代目若乃花稀勢の里の間に、記録・存在感ともに決して無視はできない、日本と相撲を愛した「日本出身ではない日本人横綱」の存在があったからなのです。

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稀勢の里の引退は大変残念ですが、横綱には心よりの「ありがとう」そして「お疲れ様」という言葉を贈りたいですね。

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