(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)

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 2019年の元旦は、お正月にふさわしいテーマとして「百人一首」の丸暗記を推奨した。前回はそれに続いて、シュリーマン式の丸暗記による外国語学習法を中心に取り上げた。いずれも「急がば回れ」の学習法だ。

・「2019年の目標、『百人一首』を丸暗記してみよう!」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55093
・「シュリーマン森鴎外、先人に学ぶ語学学習法」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55188

 古代ギリシアのトロイの遺跡を発見したシュリーマンが、成功した大商人で、語学の達人でもあったことは、半自伝の『古代への情熱』を読んだことがある人なら知っていると思う。とはいえ、効果的な語学学習法ではあっても、現代人向けではないという感想をお持ちの方も少なくないかもしれない。シュリーマンが生きていたのは、日本でいえば幕末から明治時代前半にかけてであり、その後のテクノロジーの発達を考えれば確かに古いことは否定できない。たとえエッセンスが優れているとしても、現代人にふさわしい方法があるはずだろう、と。

 そこで今回は、前回のテーマの発展系として、より現代人にとって取り組みやすい方法を取り上げたいと思う。

 それは、耳を徹底的に使うという方法だ。

 視覚と聴覚など五感すべてを使うシュリーマン式は語学学習法としては、きわめて理に適ったものではあるが、大声で暗唱できる場所は限られている。だからこそ、徹底的に耳で聴く学習法にこだわってみたいのである。具体的にいえば、オーディオブックを徹底的に聴き込むというメソッドである。本をまるまる一冊、耳で聴き込むのである。

聴覚を徹底的に鍛えよ

 関東地方に住んでいたこともあり、私は高校時代から、当時は「FEN」(Far East Network)と呼ばれていた在日米軍によるラジオ放送を聴いていた。現在では「AFN」(American Forces Network:米軍ネットワーク)という名称になっている。

 番組のほとんどはDJによる音楽番組やトークショーなどの娯楽番組であった。米国本土で放送されているヒットチャートの「American Top 40」がそのままFENでも放送されていたので、毎週のように聴いていたものだ。当時の日本は洋楽全盛時代だった。

 ただし基本的に米軍の放送であり、毎時間ごとに5分間のニュースが入る。私はこのニュース放送で、ソ連軍によるアフガン侵攻を知った。ジミー・カーター政権の1979年末のことであった。

 現在ではインターネットでTVやラジオをリアルタイムで視聴できるので、英国のBBCなり、カタールのアルジャジーラ英語版だけではない。日本国内では意外と知られていないのだが、日本から海外向けに発信しているNHK World(英語版)もあり、大相撲(Grand Sumo Tournament)の放送も英語で楽しめる。もちろんNHK以外は時差があるが、どこにいても最新のニュースを直接知ることができるのはありがたい。

 私が比較的よく視聴しているのはシンガポールChannel NewsAsiaだ。シンガポールは、英国の植民地時代から国際貿易港として発展してきた。現在の発展ぶりについては語るまでもなかろう。東南アジアの中心に位置しており、しかも中国とインドの中間にあり、ヨーロッパとアメリカの結節点でもある。そういった特性がニュースの選択にもあらわれている。ニュースキャスターの英語は、いわゆるシングリッシュではないので聴き取りやすい。特集番組も面白い。

 とはいえ、ニュースというものはあくまでも一過性のものだ。YouTubeなどにビデオがアップされていれば繰り返し視聴することもできるが、ニュースはしょせんニュースに過ぎない。繰り返し聴くに耐えるかどうかは、また別の話である。しかも、ニュース映像があると、どうしても映像という視覚情報に頼りがちだ。映像に目が奪われて、英語そのものに集中しないという欠点がある。

 では、繰り返し聴くに耐えられるものは何か。とっておきの教材と言えるのが、スピーチ(演説)である。

 格調高いものであれば、オバマ大統領ケネディ大統領のスピーチがある。ケネディの就任演説には、"Ask not what your country do for you, ask what you can do for your country. "(国があなたにしれくれることではなく、あなたが国のために何ができるか尋ねてほしい)など理想主義的な文言もあり、英語学習教材としても定番のものになっている。

 数年前に大きな話題になったのが、スティーブ・ジョブズカリフォルニアの名門スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチだ。"Stay hungry, Stay foolish"(ハングリーであり続けろ、バカであり続けろ)という記憶に残るフレーズで有名になった。

 ちなみに、このフレーズはジョブズの独創ではない。ジョブズ自身がスピーチのなかで触れているとおり、「ホール・アース・カタログ(Whole Earth Catalog)」の創始者スチュアート・ブランドによるものだ。スピーチの最後の1分間はこの話にあてられている。ホール・アース・カタログは、1960年代から70年代にかけての伝説のライフスタイル誌で、いかにもニューエイジ的な、カリフォルニア的なものである。YouTubeにアップされているので、スピーチ全体を繰り返し聴いてみることをすすめたい。

 また、新しいアイデアをプレゼンするTEDも面白い。TEDのプレゼンには日本語の字幕がついているものもあるし、英語の字幕であればすべてのプレゼンで表示可能だ。だがそれでも、字幕を目で追いながらの視聴では、聴覚に集中することができない。プレゼンの勉強にはなっても、英語の勉強としては難点がある。

1960年の大統領選ディベートを聴き込んだ

 耳で聴く英語学習法として私が実践してきたものを、具体的な例を引き合いに出しながら紹介しておきたいと思う。

 大学を卒業して会社員になったのは1985年のことだが、20歳代前半に聴き込んでいたのは、「ケネディ VS. ニクソン」の大統領選のディベートである。民主党大統領候補ケネディ共和党大統領候補ニクソンが、1960年に4回にわたって対戦した史上初のTVディベートだ。これ以上のものはないと言われるほど有名なものだ。

 1980年代後半は、インターネット時代以前であった。もちろんYouTubeなど存在しておらず、このTVディベートを映像として見ることはできなかった。英語学習教材として音声だけを収録したカセットテープの教材として販売されていたので購入して聴いてみたのである(下の写真)。大学を卒業して会社員になった頃だが、その教材を購入し、通勤電車のなかで繰り返し、繰り返し聴き込んでいた。

 その当時の私の英語力では1回聴いただけではもちろん理解はできなかったが、「読書百遍、意おのずから通ず」の聴覚版ではないが、何度も繰り返し聴いていると、だんだんとわかってくるのが面白い。毎日のように聴き込んでいるうちに、内容を覚えてしまい、次にでてくるフレーズがなんであるかわかってしまうくらいまでになった。再生機器がウォークマンから iPod などに変化しようとも、耳で聴く英語学習法の本質に変化はないだろう。

 ディベートが行われた1960年は、まさに米ソ冷戦時代のまっただなかであり、ディベートの内容は、米国の国内問題だけではなく、外交問題にも幅広く触れていた。毛沢東が率いる大陸の中国共産党と、蒋介石が率いる台湾の中国国民党の対立も激しいものがあった。「人類危機の13日間」といわれ、米ソが核戦争の瀬戸際まで追い込まれた「キューバ・ミサイル危機」が発生したのは、ケネディ大統領に就任後の1962年のことである。

 1960年ディベートをラジオで聴いていた米国人はニクソン優位、TVで視聴していた米国人はケネディ優位を感じとったらしい。というのも、弁護士出身のニクソンのほうが説得力があるにもかかわらず、メディア戦略の観点から濃い色のスーツを身につけていたケネディ白黒テレビの画像ではテレビ映りが良く、視聴者に強い印象を残したからだとされている。当時はまだ、カラーテレビは普及していなかったのだ。

 音声だけを聴き込んでいた私は、ある意味ではラジオ視聴者の立場を追体験したことになるのかもしれない。たしかに、弁護士出身でプロの政治家であったニクソンは説得力があった。だが、声質に関しては、ややダミ声のニクソンに対し、ケネディのほうが耳に心地よい。これがフレッシュなイメージを与えたことも大きいのではないか。変化を求めるアメリカ国民に訴えるものが大きかったのではないかと思うのである。

 本来はTV向けのディベートやスピーチを、あくまでも音声情報として捉えると見えてくるものもある。

視覚に頼らないほうが記憶しやすい

 文字と音声の違いについて考えてみよう。読書に関していえば、黙読と音読の関係になる。歴史的に見たら音読が黙読に先行していた。世界的にみて、黙読は近代になってから主流になったに過ぎない。

 日本を例にとってみれば、世界最古の長編小説である『源氏物語』は、もともと音読によって共有されていた。このことは、女性たちが朗読に耳を傾けるシーンが、『更級日記』に登場することからもわかる。『更級日記』の作者は、菅原孝標の女(むすめ)としてのみ知られている平安時代中期の人だ。

 脳科学的にいえば、黙読とは文字を目で追って、脳内で文字を音声に変換するプロセスであるらしい。だから、黙読は声に出さないだけで、音声が関与している読書なのである。その意味でも、音声のほうが人間にとってより根源的な性質を持っているといえるだろう。

 中世に誕生した『平家物語』もまた、文字で読むよりも、盲目の琵琶法師の語りを中心にして伝承されてきた。『源氏物語』であれ、『平家物語』であれ、文字化されたものが読まれるようになったのは、江戸時代中期以降のことだ。古代ギリシアの詩人ホメロスが作者だとされる『イリアス』や『オデュセイア』といった叙事詩は、もっぱら口伝えによって伝承されてきたものを、後代になって文字化したものだ。北海道アイヌに伝承されてきた『ユーカラ』などの叙事詩は、無文字社会だからこそ、口伝えで音声情報として伝承されてきた。

 西欧社会でも、中世は聴覚が中心だったといわれている。文字の読み書きができるのはごく少数に限られていた。西欧中世で支配的であったカトリック教会は、あくまでも司祭による説教を聴くことに重点をおいてきた。初期近代の16世紀に生まれたプロテスタントは「万人司祭説」を説き、信者みずから聖書を読むことを推奨してきた。聴覚から視覚へ、音読から黙読への転換が始まったのであり、ドイツ北部や北欧、そして英国といったプロテスタント地域で識字率が向上したのはそのためだ。基本的にプロテスタント国の米国もまたその延長線上にある。

 つまりキリスト教の聖書もまた、必ずしも黙読することが前提とされているわけではないのである。新約聖書は、イエス・キリストとその弟子たちの言行録である。そう考えれば、新約聖書を耳で聴くのも悪くはないのではないだろうか。

 というわけで、私が実践した英語学習法でもう1つ推奨しておきたいのが、新約聖書」の英語訳を耳で聴くというものだ。

 英語の朗読を耳で聴きながら、現代に生きる日本人にとっての「教養」でもある新約聖書を読んでしまうという "two in one" (一挙両得)の方法である。いや、通勤時間の活用という点では "three in one" (一挙三得)の学習法でもある。

通勤電車のなかで聴いた「英語版新約聖書」

 大学の教養課程でのことだが、「新約聖書時代のユダヤ史」という授業をとっていたことがある。英語の文献を読みながら、イエスが生まれる前後のユダヤ史を勉強するという内容だった。私はキリスト教徒ではないが、関心があるので参加していた。イエスが生きた時代は、ハリウッド映画でよく取り上げられるテーマなので、子どもの頃からなんとなく知っていたということもある。

 授業内容はさておき、担当教授の発言で、強く記憶に残っているものがある。それは、「国際ビジネスマンを目指しているのであれば、常識として聖書ぐらい読んでおいたほうがいい」というものだ。大学時代には、聖書は必要な箇所を見るだけで、結局のところ日本語訳すら通読しないで終わってしまった。だが、その発言は記憶の底から離れなかった。

 大学卒業後のことだが、当時の勤務先が東京の大手町にあったので、ときどき日本橋の丸善本店に行っては洋書売場を見て歩いていた。あるとき見つけたのが英語版新約聖書を朗読したカセットテープのセットだった。そんなに安くはなかったような気がするが、「こんなものがあるのか、これはいい!」と思って衝動買いしてしまった。

 いまでは手元にないので確認できないが、その英語版は "New King James Version" だったと記憶している。格調高い "King James Version" (=欽定訳聖書)をより現代英語に改訂したものだろう。これを最初から最後まで全部聴いたのである。

 気になる文章は何度も繰り返し聴き、キリスト教の信者でない私にとっては関心のないものは一回聴いたらそれで終わりというやり方で、とにかく全部聴き通した。ストーリー的に面白いのは4つの「福音書」や「黙示録」だが、何度も繰り返し聴いていたおかげで、福音書のさまざまな登場人物のセリフが耳に残っている。

 耳で音声だけを聴いていると、強く訴えてくるものがあり、非常に強い印象として残るのである。たとえば、 "Crucify him ! Crucify him !" (その男を磔にせよ!)とか、 "You will deny me three times until dawn." (夜明けまでにあなたは私を3回否認するだろう)というイエスがユダに語ったことばなどが耳にこびりついている。こういった印象的なセリフは、30年以上たっても記憶から消えることはない。視覚記憶よりも聴覚記憶のほうが、より人間の内面に訴えるものが強いのだろう。

「知識としてのキリスト教」は、グローバル時代の現代に生きる日本人にとっては「教養」というべきだ。欧州ではキリスト教は衰退過程にあるが、米国では依然として活発だ。英語訳「新約聖書」を耳で聴くことは、ぜひ実行してみることをすすめたい。

ビジネス書もオーディオブックで聴いてみよう

ケネディ VS. ニクソン」の大統領ディベートと英語訳「新約聖書」を取り上げたが、じつは私が最も多く聴いてきたのは米国のビジネス書のオリジナル英語版である。いずれも通勤電車の往復で聴いていた。1990年に米国留学に出発する以前のことである。

 その当時最も聴き込んでいたのは、レーガン政権時代に自動車メーカーのクライスラー再建で有名であったリー・アイアコッカ氏の「自伝」、敵対的買収で有名だったブーン・ピケンズ氏の「自伝」、不動産王ドナルド・トランプ氏の「自伝」などである。トランプ氏については今や説明不要だろう。1980年代においては、もっぱらやり手のビジネスマンとして有名だった。

 そもそも米国でオーディオブックという朗読本が早くから普及していたのは、自分でクルマを運転しながら朗読を聴く人が多いからだ。このことは、留学のため米国に住んでいたときに気がついた。私が滞在していた東海岸のニューヨーク州のトロイは、ニューヨークシティからはクルマで片道約2時間半、ボストンまでは同じくクルマで片道3時間かかる。クルマの運転以外に何もしないのは、あまりにも時間がもったいない。クルマ社会の米国で、音楽テープ以外に、書籍の朗読テープが普及しているのは理由があったのだ。視覚障害者向けが主目的ではない。

 オーディオブックは、耳だけを使う。時間節約術としても効果の点でもオーディオブックはじつに理に適っている。多忙なエグセクティブ向けには短縮版もある。もちろん、現在ではCDだけでなく、iPod向けのダウンロードもできるので、大いに活用したいものだ。

 内容的にも、ビジネス関係だけでなく、自然科学の一般書も、英文学のタイトルも豊富にあるし、英語訳の『孫子の兵法』や『宮本武蔵の五輪書』『チベット死者の書』などもある。ただし、文学作品は豊富なボキャブラリーを持っていないと耳で聴いただけで理解するのは難しいかもしれない。

 人間が受け取る情報の9割は視覚情報で、聴覚を含めたその他の知覚器官は1割程度といわれている。先にも述べたが、現代人はあまりにも視覚に依存しすぎており、目を酷使することが多い。会話よりも文字情報に依存したメール、さらにはSNSの時代ではなおさらだろう。

 現代人は、いろいろな意味で、もっと聴覚を重視したほうがいいのである。語学学習に関しても、映画やドラマを視聴するよりオーディオブックのほうが集中できるはずだ。何度も耳で聴いた内容は、思った以上に血となり肉となる。これは、私自身が実証済みだ。

 ただし、リスニング能力を高めるには、前提条件としては、日頃から個々の英単語を正確に発音する訓練をしておくことが重要だ。正確に発音できるなら、正確に聴き取ることができるのである。蛇足ながら付け加えておこう。

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