『ラストエンペラー』『ラストタンゴ・イン・パリ』『シェルタリング・スカイ』『リトルブッダ』『暗殺のオペラ』『暗殺の森』・・・。

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 これまで2回にわたり、昨年11月他界したベルナルド・ベルトルッチ監督を追悼し、作品の軌跡をたどって来た。

 その独特の映像美、テーマ性に長けた秀作陣にもかかわらず、意外にも、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作はない。そんなベルトルッチの業績に対し、2011年、「名誉パルムドール」が贈られている。

 昨年、イタリア映画界は、弟パオロとの共同監督「タヴィアーニ兄弟」として知られるヴィットリオ・タヴィアーニ、エルマンノ・オルミというふたりのパルムドール受賞監督も失っている。

 今回は、10歳ほど年上だが、「早熟の天才」ベルトルッチと活躍時期の重なる彼らの作品も交え、ベルトルッチの5時間を越える2部構成の長編歴史絵巻『1900年』(1976)を中心に、イタリアが戦争へと進んで行った歴史をその詩的映像でたどりつつ、名匠たちの功績をたたえたいと思う。

1945年4月25日 「解放の日」

「戦争は終ったのに・・・」

ポー川流域の穀倉地帯で若者が軍服の男に撃たれ死ぬ

スターリンの名のもと、黒シャツをやっつけろ」

農民たちが自転車で逃げ惑うアッティラレジーナを追う

農場の邸宅では、当主アルフレードに銃を向けた少年が、反ファシストの英雄オルモを崇めていることを口にする

 そして物語は、ジュゼッペ・ヴェルディオペラ「リゴレット」前奏曲が流れるなか、酔っ払い、「ヴェルディが死んだ」と叫びながら倒れ込む男を映し出し、20世紀の始まりまで時間が戻される。

(ちなみに映画の原題『Novecento』は「20世紀」「1900年代」を意味する)

 多くの有名オペラのあるヴェルディは、ベルトルッチと同じ、北イタリア、現在のエミリア・ロマーニャ州が故郷。

 この映画のロケ地ともなっているブッセートの近郊で生まれ、1901年1月27日、ミラノで亡くなっている。

 酔っ払いは農場で働く「リゴレット」という名の男。前回コラムでも紹介したベルトルッチ監督の『暗殺のオペラ』(1970)でもオペラ「リゴレット」は重要なパーツとなっている。その主人公の一人の「道化」と同じ名である。

 ベルトルッチ自身の階級社会の記憶とでも言うべき、エミリア・ロマーニャの農場が舞台の物語『1900年』は、ヴェルディオペラのような劇的展開を見せていく。

その日、農場では2人の男の子が生まれる

農夫レオの孫オルモ、そして、地主アルフレードの二男ジョヴァンニの子で祖父と同じ名のアルフレードである

数年の月日が過ぎた夏の祭りの日、若者たちの精気に満ちた姿を目の当たりにし、老いを自覚した祖父アルフレードは自ら命を絶つ

遺体に向ってレオは語りかける

「働かない人間は考えるばかりで、結局、焼きがまわるのさ」

ジョヴァンニは遺言書を偽造し、当主の座を手にする
父の不正を目にする少年アルフレード・・・

 祖父アルフレードを演じるバート・ランカスターは米国の名優だが、イタリアでの活躍となると、まず思い浮かぶのが、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』(1963)の、リソルジメントイタリア統一運動)で激変のさなかにあるシチリアの貴族役。

 そこにも登場するジュゼッペ・ガリバルディの義勇軍「千人隊(赤シャツ隊)」が、シチリア、南イタリアで、ブルボン王朝軍を破り、1860年、その地をサルディーニャ王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世に献上することで、「統一国家」イタリア王国は誕生している。

 とはいえ、とり残された「イタリア人居住地域」はまだまだあり、以後、「イレデンティズモ(復帰運動)」が展開されていく。

 1866年、普墺戦争でプロイセン側にたち、ヴェネツィアを奪回。1870年には、普仏戦争後の仏軍撤退に乗じローマ入城をはたし教皇領を併合、翌年、ローマ遷都。

 それでも、南チロルやトリエステなどの「未回収のイタリア」と呼ばれる地域が残った。

 しかし、フランスチュニジアを保護国化するのを見、1882年、ドイツ帝国オーストリアハンガリー帝国と三国同盟を結び、「未回収のイタリア」問題はひとまず棚上げとなる。

「皆で損害を分かち合うしかない」
嵐で甚大な被害を受けた農場で、ジョヴァンニは語る

「小麦の損害は?」
「半分です」

「なら賃金も半分だ。正直、自分の利益だけ考えるなら、全員解雇するところだ、特に日雇いはな。最大の被害者は私なのだ」

「先代はここまでひどくなかった・・・」

農民はストライキに入った

公報を読むジョヴァンニ。農場主を擁護する内容を家族に読み聞かせる

「スト地域には警備隊が出動。農民同盟は粉砕せよ」
「ストには農場閉鎖で報いよ」

結局、仕方なく、ジョヴァンニたちも農作業を行うことになった

その姿を見たレオは「73年かかって初めて働く地主の姿を見た」とオルモに語るが、しばらくして、息を引きとる

 アルプスを水源としアドリア海へと流れるポー川流域に広がるポー平原は、イタリア有数の穀倉地帯。灌漑整備がすすみ、耕作も酪農も栄えてきた。

 ナポレオン支配の時代、封建的土地所有が廃されると、領主や教会のものだった土地を富裕層が買い集め、大土地所有者となった。そして、多くの労働者を雇い、農場経営をしてきた。

 オルミ監督のパルムドール受賞作『木靴の樹』(1978)には、そんな農民たちの厳しい日常が、職業俳優を使わず、オールロケで描かれている。

 現在のロンバルディア州、州都ミラノ近郊ベルガモ県の生まれで、ミラノ育ちのオルミが、子供の頃、母方の祖母から聞いた彼らの生きた世界であり、自らのルーツをネオレアリズモ的アプローチで描いた作品である。

19世紀末ベルガモ

日々農業に励むバティスティ一家。しかし、その住居も、土地も、道具も、そこに生える木の枝葉に至るまですべてが地主のもの

ある日、一家に子供が生まれた。しかし、新しく弟ができたというのに兄の表情は暗い

1つしかない木靴を壊してしまったのだ

バティスティは、靴をつくるため、ポプラの樹を切った
ある日、地主は樹が切られているのを見つけた

管理人が捜索し、切ったことを知られたバティスティ一家は農場を追われることになった・・・

 そんな生活苦から抜け出し、「アメリカンドリーム」を掴もうと、イタリアから米国へと渡ったものは数多く、20世紀最初の20年だけで、300万人を数えた。

 しかし、すでに米国に根づく欧州北部からの「旧移民」もいて、南欧東欧からの「新移民」に割の良い仕事などなく、大半の「アメリカンドリーム」は単なる安価な労働力という現実となった。

 『1900年』で孫アルフレードの青年期以降を演じているロバート・デ・ニーロは、『ゴッドPARTⅡ』(1974)では、1901年、シチリアから米国に入国、やがてマフィアの大立者となるヴィトー・コルレオーネを演じている。

 タヴィアーニ兄弟が監督した映画愛溢れる佳作『グッドモーニング・バビロン!』(1987)の主人公たちも、1913年、イタリアトスカーナ地方から、米国へと渡る。

 ロマネスク様式の教会の修復を一家で手がける優秀な職人だが、経営が思わしくなく廃業に追い込まれ、腕を磨くため、そして稼ぐため、やって来たのである。

 エミリア・ロマーニャ州の南に位置するトスカーナ州は、タヴィアーニ兄弟の故郷。常に共同で仕事をこなし、ともにジャーナリスト経験のある2人には、ドキュメンタリー畑の仕事もあり、イタリアの文化・風土が強く感じられる画調が魅力だ。

米国にやって来たニコラアンドレアの兄弟

しかし、現実は厳しく、何か月渡り歩いても、定職どころか、ロクな仕事がなかった

そんなとき、荒野をさまようふたりの耳に、列車のなかから、ヴェルディオペラの歌声が聞こえてくる

サンフランシスコ万博のイタリア館建築に向かう一行だった
2人は同行を決めた

万博会場ではイタリア映画の歴史大作『カビリア』が上映され大人気。そして、オーケストラまで借り切り、独りその作品を観る男、D・W・グリフィス監督がいた

グリフィスは新作『イントレランス』を構想中。帰る車の中からイタリア館「宝石の塔」を目にしたグリフィスは、「探せ、これを建てた者を。親方を」・・・

 当時イタリアは映画先進国。多くの史劇が製作され、輸出もしていた。なかでも評判だったのが『カビリア』(1914)。

 リウィウスの「ローマ建国史」をベースに、フローベールの「サランボー」などをとりこんだ脚本には、著名な詩人、作家で、のちにイタリア政治に大いに関与するガブリエーレ・ダンヌンツィオが参加している。

親方だと偽り、何とか認めてもらおうとする兄弟の願いは叶わなかったが、やがて彼らの製作した象がグリフィスに認められ、映画のセットに使われることになる

『イントレランス』は完成、プレミアを終え、劇場から外に出ると、第1次世界大戦参戦派の人々が、映画の反戦メッセージに抗議し集まり、騒ぎが起きていた

そんななか、2人の新妻たちが産気づき、子供が生まれるが、ニコラの妻は死んでしまう

失意のニコライタリアに帰り、北イタリアで戦った

やがて、米兵として戦場にやってきたアンドレアは、ニコラと再会・・・

 1914年、第1次世界大戦勃発。米国は中立を表明、16年の選挙でも、その主張を繰り返したウッドロウウィルソンが再選された。

 すぐ終わると考えられていた戦いは長期化。

 英国からの参戦要望にも応えなかった米国だったが、客船ルシタニア号のドイツ潜水艦による撃沈、米墨戦争で失った領土奪還に手をかすからと、同盟を求めるドイツ外相からメキシコ政府への電報の暴露、と続き、ついに、17年4月、参戦した。

 その頃、イタリアも、同じ連合軍で戦っていた。

 イタリアも当初は不参戦。独墺との三国同盟が外交の軸だったにもかかわらず、中立を表明。

 その一方で、秘密裏に英仏と交渉、「未回収のイタリア」の「回収」を約束したロンドン条約(密約)が1915年結ばれ、同年5月、オーストリアハンガリー帝国に宣戦布告するという「神聖なエゴイズム」と表される自国第一主義を貫いたのである(対ドイツ宣戦布告は16年8月)。

 イタリアは奇襲をかけ、はやばやとオーストリアの都市を占領するつもりだった。

 しかし、もともと戦争準備が整っておらず、兵士の装備も不十分、「アルプス戦線」とも呼ばれる山岳地帯での戦いでは大規模な軍展開も難しく、オーストリア軍の2倍の兵力を擁しながらも、戦況は芳しくなかった。

 そして結局は、西部戦線同様、塹壕での消耗戦の様相を呈することになるのである。

1917年北イタリア、深い雪に覆われたアジアーゴ高原

塹壕で戦うイタリア兵。戦いは膠着状態

雪かきをする兵士、雪を照らす満月、民謡を歌う兵士、駆け回るウサギ

兵士の間でインフルエンザが流行・・・

塹壕に士官がやって来る

通信を傍受されているようなので、新たなケーブルをひけ、との指令を持ってきたのである

状況を考えればとてもできるものではないが、背くこともできない

最初に命令を受けた兵士は、塹壕を出るとすぐに撃たれ、死んだ

次の兵士は、外に行くより、とその場で銃を自らに向け撃ち、死んだ

砲撃が始まった
兵士が次々と負傷し、死んでいく

そして退去命令・・・

 映画は、最後、子供の頃、父親から従軍経験を聞いたことを感謝する字幕で終わるオルミ監督の遺作『緑はよみがえる』(2014)は、『木靴の樹』同様、厳しい状況におかれた兵士たちの「日常」を映し出すネオレアリズモ的映像。

 動きの少ないひとときの「平和」も、砲弾を浴びる悲惨さも、命令に対する人々の反応も、そして自然の描写も、全く飾りがない。

 開戦当初から断続的に繰り返されてきた北イタリア、イゾンツォ(川)の戦い。その11回目の戦いでのオーストリア軍の損害は大きく、戦線崩壊の危機にあった。

 ドイツは援軍を送った。そして、1917年10月のカポレットの戦いではイタリア軍が大敗。イゾンツォ川の戦線からも後退、人的にも装備的にも、甚大な被害を被った。

 しかし、ピアーヴェ川の戦いで踏みとどまり、さらにオーストリア軍単独での攻勢も返り討ち

 オーストリア軍に厭戦感情が蔓延するなか、1918年10月末、イタリア軍が川の対岸ヴィットリオ・ヴェネトを陥落させると、11月3日、ヴィラ・ジュスティ休戦協定が伊墺間で調印され、戦いは終わった。

 60万人以上の戦死者を出した戦いで戦勝国となったイタリア王国は、戦後発足した国際連盟常任理事国となった。

 しかし、「回収」が約束されていたはずの「未回収のイタリア」のうち、ダルマチアやフィウメは獲得できず、「骨抜きにされた勝利」「講和での敗戦国」などと呼ばれ、国民の間に不満が残った。

 英仏のような多額の賠償金も得られず、莫大な戦費は経済の大きな負担となり、深刻な不況へと突入。失業者があふれ、労働者、農民の暴動も多発、社会主義台頭の一因ともなった。

 そんななか、1919年9月、『カビリア』の脚本にも参加していた詩人ダンヌンツィオが、連合国共同管理下にあったフィウメに向かうと、復員軍人などが義勇兵として加わり、フィウメを占拠、「カルナーロ・イタリア執政府」を樹立してしまう。

 結局、イタリア軍と交戦状態とまでなり降伏するが、15か月間占拠は続いた。

 ダンヌンツィオは「ファシスト運動の先駆」と言われることもある人物だが、19193月23日ベニート・ムッソリーニは、「イタリア戦闘ファッシ(Fasci Italiani di combattimento)」を結成している。

 『1900年』の主人公たちも「戦後」を迎える。

 第1次世界大戦に従軍したオルモが帰郷、カネの力で兵役を回避していたアルフレードと再会をはたし、変わらぬ友情を確かめあうが、農場では新しい管理人アッティラが幅を利かせていた。

「収穫の半分は我々のものだ」と語るオルモ。しかし、今は違うらしい

「いろいろ変わったの。今年は機械や日雇いをいれたから」と言われ激怒

「働くのは俺たちだ。半分すらよこさないのか」
農場管理人アッティラは「説明」する

「戦争で人手不足になり、旦那は最新機械を借りたんだ。機械の働きは機械の取り分。これこそ進歩さ」

川沿いの土手道を多くの農民たちが去っていく

11月となり、収穫が終わり、追い出されたのだ
「馬に乗った悪魔が追い出しにくる」との叫び声も聞こえる

警備隊は「法の名のもと」退去を要求する

農民が「契約はまだ残っている」「地主の方がおかしい」と言っても受け入れない

社会主義だから追放」「法はいつも地主の側」農民の声が虚しく響く

「団結すれば同盟は育つ。社会主義者の願いは自由。自由を求め力をあわせる」

残った者たちが、団結し、歌い、行進し、座り込む

去っていく警備隊を見て、地主の一人が銃を撃ち、叫ぶ
「追っ払ってやる!ボリシェヴィキめ」

 ポー平原の農民たちは「同盟(レーガ)」でつながり、地主たちとの闘争を始めた。イタリア社会主義運動の強固な地盤が、大規模農業が中心のこの地域の農民たちだった。

 その一方で、小地主、自作農の保守派などは、超党派的に、様々な反社会主義勢力とつながり、ファシスト運動は広がっていく。

 そして、ポー平原では、特に頻繁に、両者の衝突が起きたのである。

人民集会所が火事となり、通っていた4人の老人が焼死した

1000人をこえる葬儀の列が街をすすむ
身なりのいい男たちが仕立屋に集まっている

その中の1人はアッティラ

「求めるのは強さ。このシャツはシンボル。服でなく旗だ」と黒シャツを着る

 小地主は軍隊では、多くが士官、下士官。部下だった退役兵を呼び寄せ、「自衛組織」をつくった。

 イタリア戦闘ファッシは、彼らを「行動隊」として組み込み、実力行使も厭わぬ準軍事組織とした。

 そして、その勇猛さで有名なアルディーティ隊の「黒シャツ」の軍服が、やがて、彼らの服装となっていくのである。

「武器を取れ。我らファシスト、アカの脅威。我らファッショ、ひとつに束ね、命の限り戦わん」

アッティラは仲間を引き連れ街を行進する・・・

 こうして5時間を越える大作『1900年』の2時間40分ほどの第1部が終わる。

 続いて、ファシズムの時代を描く第2部まで一気に見れば、よりイタリア現代史の流れも見えてくるだろう。

 しかし、様々な要素を描く5時間を超える長編を集中して観ていくのは大変だ。そして、それを追いながら、このコラムを続けるとなると、こちらもいささか長くなってしまう。

 ベルトルッチ自身も語っているが、第1部も第2部も、それだけで十分映画として成立している。

 とりあえず、今回はここまでとして、第2部の物語は、また回を改めて、ということにしよう。

(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)

(1385)1900年 (1386)木靴の樹 L’ (1387)グッドモーニング・バビロン! (1388)緑はよみがえる

1385.1900年 Novecento 1976年イタリアフランス西ドイツ映画

(監督)ベルナルド・ベルトルッチ
(出演)ロバート・デ・ニーロジェラール・ドパルデュー、ドミニク・サンダ、ドナルド・サザーランド
(音楽)エンニオ・モリコーネ

 20世紀の始まる頃大農場に生まれた階級の違うふたりの男の友情を軸に、イタリアの20世紀前半の歴史を、2部構成で描くエンニオ・モリコーネのスコアも秀逸な大作。

『ラストタンゴ・イン・パリ』のヒットを受け、予算も時間もふんだんに使い、国際キャストで描く歴史巨編である。

1386.木靴の樹 L’ albero degli zoccoli 1978年イタリア映画

(監督)エルマンノ・オルミ
(出演)ルイジ・オルナーギ、オマール・ブリニョッリ

 自身の祖母から聞いた話をもとに、19世紀末の北イタリアの農場で暮らす貧農の生活をネオレアリズモ的アプローチで描きカンヌ国際映画祭パルムドールを獲得したエルマンノ・オルミ監督の代表作。

1387.グッドモーニング・バビロン! Good Morning Babiloia 1987年イタリアフランス・米国映画

(監督)タヴィアーニ兄弟(パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ)
(出演)ヴィンセント・スパーノ、ヨアキム・デ・アルメイダ
(音楽)ニコラ・ピオヴァーニ

イタリアトスカーナ地方でロマネスク様式の教会の修復を家族と手がけてきた職人兄弟が、米国へと渡り、D・W・グリフィス監督の超大作『イントレランス』のセットを手がけるようになる様を、『父/パードレ・パドローネ』(1977)『塀の中のジュリアスシーザー』(2012)などのタヴィアーニ兄弟が描くユーモアと人情味あふれる一品。

1388.緑はよみがえる Torneranno i prati 2014年イタリア映画

(監督)エルマンノ・オルミ
(出演)クラウディオサンタマリア、アレッサンドロ・スペルドゥーティ

 第1次世界大戦中、深い雪に覆われた北イタリアの塹壕で戦うイタリア兵の厳しい現実を、第1次世界大戦開戦100年となる2014年、ネオレアリズモの後継者と言われた『木靴の樹』などのオルミ監督が撮った「静かな戦争映画」。

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