海外キャリアはオランダVVVでスタート「ホンダはすぐに魅力的な存在となった」

 元日本代表MF本田圭佑メルボルン・ビクトリー)の海外でのプレー生活は10年を優に超えた。そのファーストステップとなったのはオランダVVVフェンロだ。当時を回想したオランダサッカー専門誌「Voetbal International」は、本田の奮闘ぶり、そして参考にしていたオランダレジェンドについてのエピソードなどを紹介している。

 本田がJ1名古屋グランパスからオランダへの挑戦を始めたのは2008年1月のこと。当時名古屋の監督を務めたセフ・フェルホーセン氏の推挙もあって、フェンロの地に渡った。その際の入団会見で、「私はホンダです。車ではなくサッカー選手だよ」とジョークを交えたことも記事では明かしている。

 本田のフェンロの活躍ぶりは、日本でも知られるところだろう。加入1年目こそチームは降格したものの、在籍2年目の08-09シーズンは圧倒的なパフォーマンスでチームを昇格に導いた。そこには本田のパーソナリティーも大きく影響したと同誌は見ているようだ。

ホンダはすぐに魅力的な存在となった。彼は一般的な日本人ではなく、彼らが控えめなのが典型的だ。しかしホンダの仕事への理念は独特で、他の日本人と比べてはるかに大胆だった」

当時はDVDでベルカンププレーをチェック「いつも手本にしてきた素晴らしい選手」

 有言実行でゴールを奪い取るスタイルは、オランダにおける日本人のパブリックイメージを吹き飛ばすには十分だったのだろう。その一方で当時の本田への取材で、お手本としていた存在も明かしている。それは“アイスマン”の異名を取った元オランダ代表FWデニス・ベルカンプだ。DVDでそのプレーぶりをチェックするとともに、このようにも語っていたという。

「僕はああいったプレーをまだ十分に手に入れてないと思う。ベルカンプは僕がいつも手本にしてきた素晴らしい選手です」

 ベルカンプと言えば恵まれた体格からは想像し得ない芸術的トラップと、ゴールに直結する動きが真骨頂だった。そういったところからも若き日の本田は学んだからこそ、飛躍の時を迎えたのだろう。

 VVVでの活躍後、本田はCSKAモスクワへと移籍し、ACミランパチューカ、そしてメルボルン・ビクトリーと渡り歩いている。わずか2年弱のオランダ生活だったが、記事は「ホンダの記憶は恒久的なものだ」と締められている。その活躍ぶりは10年の時が経とうとしている今も、語り継がれるもののようだ。(Football ZONE web編集部)

現在はメルボルン・ビクトリーでプレーするMF本田圭佑【写真:Getty Images】