かつて、冬のお茶の間にはミカンは欠かせなかった。手が黄色くなるのを心配するほどミカンをたくさん食べたものだが、今はそんなこともないという人もいるだろう。ふと、「山盛りミカン」の光景が甘い香りとともによみがえってきた。

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冬の風物詩の姿も減り・・・

 若者の間では昭和レトロブームが続いているという。昭和の冬の光景といえば「こたつでミカン」だった。ミカンは箱で買い、食卓にはミカンのかごがあった。手を伸ばせばいつでも食べることができる身近な果物だったはずだが、いつからか、あまりミカンを食べなくなった。八百屋や果物屋の店先にミカンが占める割合も減っているような気がする。

 実際、ミカンの消費は激減し、生産量も最盛期だった1970年代の5分の1ほどまでに減っているという。この現状は寂しい限りだ。

 それにしても、思い起こすとあの頃、なぜあんなにミカンがあふれていたのだろうか。

 温州ミカンの親が明らかに

 私たちが食べているミカンは「温州(うんしゅう)ミカン」である。温州ミカンは、夏ミカンやオレンジ、キンカンなどとともに柑橘類と総称されるもののひとつ。柑橘類は香りがよく、果汁の多い実をつける果樹のことだ。

「みかんの花咲く丘」という童謡などから、ミカンの木は暖かい土地の山の斜面に生えているイメージがあるが、柑橘類は寒さに弱いため、熱帯や亜熱帯に多く分布する。日本原生の柑橘類にはタチバナがあるが、酸っぱくて食用になっていない。食用にされている柑橘類の多くは、中国からやってきたもので、耐寒性の強い種が栽培の主流である。

 温州ミカンは、鹿児島県でミカンの原種が突然変異して生まれたといわれるが、他にも諸説あり、その由来は長らく不明だった。そうした中、2016年に農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)がDNA鑑定により、温州ミカンの親は「紀州ミカン」と「クネンボ」であると推定した。

 紀州ミカンは温州ミカンとは別の種類で、「小ミカン」ともよばれる。小ミカンはかなり古い時代に中国から伝わり、16世紀に和歌山県の有田地方に導入されて、栽培が広まった。のちに紀伊国屋文左衛門とよばれるようになる文平が江戸に出荷し、財を成したことで知られるミカンだ。

 クネンボは、「九年母」と書き、紀州ミカンと並んで古くから親しまれてきた。東南アジアが原産で、沖縄を経由して九州に伝わった。味は濃厚だが、特異な香りがあるため、人によって好き嫌いがある。紀州ミカンが広がる前は主流だった柑橘類で、日本にある多くの柑橘類の祖先でもある。

江戸時代には、嫌われていた時期も

 紀州ミカンが栽培されていた江戸時代、温州ミカンも既に栽培されていた。ただし、温州ミカンとはまだ名付けられてはおらず、「仲島ミカン」とよばれていた。そのころ、ミカンは高級品だったが、温州ミカンに限っては人気がなかった。今では考えにくいことが、その理由としていわれている。

 温州ミカンの特徴は、皮がすぐむけて、種がないということ。種がないのは、受粉しなくても実が育ち、種が入りにくいという性質があるためだ。食べやすくていいと思うが、なんと江戸時代は種がないことが嫌われる要因だったのだ。かつて「嫁して三年、子無きは去る」といわれ、子供の産めない女性が離縁されることがあった。そこで、種なし果実を食べることは、子孫を生めなくなり、家系を絶やすことになると考えられていた。もちろん迷信である。

 江戸時代後期に「温州ミカン」と名付けられると、人びとにようやく認知された。「温州」とは中国の浙江省にあるミカンの産地で、「温州のミカンに勝るとも劣らないミカン」という意味が込められている。中国から伝わったミカンとよく間違えられるが、れっきとした日本のミカンである。

 温州ミカンの栽培が盛んになったのは明治時代以降のこと。政府の勧農政策の後押しもあり、紀州ミカンに代わって普及した。

戦後にブーム到来、水田をミカン畑にする農家

 戦後になり、食糧難が落ち着くと、米に代わる作物として温州ミカン(以下、ミカン)の栽培が広がった。この頃は、普及したとはいえ、ミカンはまだ高級品で、「黄金のダイヤ」とよばれていた。古くからの産地が栽培面積を広げるのみならず、新しい栽培地も広がり、水田を掘り起こしてミカン畑にするほどだったという。

 こうして1960年代から1970年代にかけて、高度経済成長期とともにミカンブームが到来した。1960年代の生産の拡大により値段が安くなり、また消費者も豊かになり、かつて高級品だったミカンは庶民の味になった。改良され、甘くて酸味の少ない品種が出回ったこともミカンブームの要因である。

 1960年代後半にはミカンの消費は急増。1975年の生産量は、なんと366万トンを超え、消費のピークを迎えた。「こたつでミカン」が昭和の冬の光景になった背景には、ミカンブームがあったのである。

 1990年代以降、ミカンの消費や生産や消費は下がり始めた。その要因には、1991年にオレンジの輸入が自由化されたことがある。一方では、1972年の過剰生産による価格の大暴落を機に作付面積が減少しており、近年では高齢で生産をやめた人も多い。

生活習慣病を防ぐ効果が明らかに

 ミカンが長年トップを誇ってきた果物の購入量についても、2004年、ついにバナナに追い越された。生産者や農林水産省などはミカンの消費を拡大しようとさまざまなピーアール活動をしている。そのキーワードは「健康によい」だ。

「ミカンが色づくと医者が青くなる」ということわざがあるが、これは果物が色づく秋は気候もよく、病人が減るという意味である。ミカンはビタミンCが豊富で風邪の予防にいいなどと昔からいわれてきた。

 今、注目されている成分は「βクリプトキサンチン」だ。これは、ミカンのオレンジ色の成分でカロチノイドの一種である。生活習慣病の予防によいといわれ、βクリプトキサンチンの機能に関する研究が盛んに行われている。

 ミカンの産地である静岡県浜松市の旧三ケ日町では、2003年から農研機構によって疫学調査が行われている。ミカンの摂取が生活習慣病の予防に役立つかどうかを明らかにするためのもので、毎年同じ人の生活習慣を詳しく調べるとともに、血中のβクリプトキサンチン濃度も測定する。この調査から、ミカンをたくさん食べ血中のβクリプトキサンチン濃度の高い人は、肝機能障害、動脈硬化メタボリックシンドローム、糖尿病などのリスクが有意に低いことが明らかになっている。

 甘い果物を食べると太るとか、糖尿病に悪いというイメージを持つ人もいるかもしれないが、興味深いことに調査結果は、それらの予防に有効であると示しているのだ。その科学的メカニズムを解明するための研究も行われている。

昭和の団らん気分を味わう

「健康によいなら、早速ミカンを買ってみよう」と思った人もいるかもしれない。そういえば、冬の間ずっとミカンが店頭に並んでいるが、これはみな同じ品種ではない。ミカンには収穫時期により、「極早生」「早生」「中生」「晩生種」までがあり、産地も異なる。時期をずらしながらさまざまな産地から次々に出荷されているのだ。

 1月以降に出荷されるのは、晩生の「普通温州」だ。10月や11月に集荷される早生や極早生は熊本や佐賀など暖かい九州地方での生産量が多いが、普通温州では静岡産が多い。疫学調査が行われている旧三ケ日町は、晩生の「青島ミカン」の産地でもある。今頃、店頭には、三ケ日ミカンが多く並んでいるはずだ。

 もう1カ月もすると、ミカンは姿を徐々に消し、主役は伊予柑デコポンなどの柑橘類に変わってしまう。その前に久しぶりにミカンを買って、昭和の団らん気分を味わってみよう。

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「こたつでミカン」の光景。近年はだんだんと見られなくなってきている。