昨年7月、東京都内の自宅マンションで派遣型マッサージ店の女性従業員に性的暴行を働いたとして、映画俳優が逮捕されたケースが広く報道されています。

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 こういう案件は、関係者にとっては本当に迷惑なもので、様々な波及効果が懸念されます。

 私も、すでに四半世紀ほど昔になりますが「題名のない音楽会」の監督時代、せっかく番組を収録した後でゲストに「都合」が発生して、オンエアに影響が出るという経験、幾度か記憶があります。

 芸能界という水商売は様々な「お約束」もあり、かなり理不尽な世界でもあって、私のような性質のものにはちょっと耐えられない面もありました。

 しかし、今回のようなことは今も昔もあっていいはずのないことです。

 そうした裏面に踏み込んでもいいのですが、今回はちょっと別の側面に切り込んでみたいと思います。

 報道の文面で

 「・・・容疑者が、強制性交の疑いで1日に逮捕・・・」とあるのに、気づかれた方も多いかと思います。

 「強制性交」とは、要するにレイプ、強姦のことではないのか?

 このあたりについて、ここ数年で起きた変化と、その不徹底と見える点について、以下で考えてみたいと思います。

ジェンダーフリーとなった「強制性交」?

 「強制性交等罪」は2017年6月、改正刑法案が可決されて成立し、同年7月13日に施行された「新しい犯罪」「出来立てほやほやの罪」で、必ずしも周知されているわけではないように思います。

 2019年初の段階でいまだ1年半を経ず、耳新しく感じる人は少なくないのではないでしょうか?

 少なくともこ2017年7月13日をもって、日本から「強姦罪」が消滅していることには、注意を払っておく必要があると思います。

 日本にはすでに「強姦」という犯罪、罪は存在しない・・・。

 よく考えると、なかなかショッキングな事態です。どういうことか?

 つまりこれは、女性が力ずくで暴行され、犯されるというケースだけでなく、被害者として男性が犠牲になるケースをも含めて、犯罪として処罰するために刑法が改正された、いわば「レイプジェンダーフリー化」にほかなりません。

 すなわち、この新しい「罪」は、女性の被害者が「性器」を犯される、“伝統的な”強姦のみならず、男性の被害者が「肛門」「口腔」その他(・・・その他って、でも、いったい何でしょうか・・・)を凌辱されたケースをも含めて「強制性交」を拡大定義して、そうした「レイプ」を、親告罪ではなく、一般の刑事犯罪として取り締まることができるようにした。

 一面でこれは大変に大きな進歩だと言えると思います。主として2つの面が挙げられるでしょう。

 第1は、男性の被害者が救済されるようになったこと。

 すなわち、「男性が男性に強姦されるなどと言うことはあり得ない」というのが明治刑法以来の「伝統的な考え方」だったわけですが、現実にはそういうことは可能であって、それに対する取り締まりができるようになった。

 今回世間で問題視されているケースは女性の被害者を男性の加害者が襲った容疑が取り沙汰されているものですが、現実にはいろいろなケースが考えられます。

 第2は「親告罪」でなくなったこと。これもとても大きい。すなわち、以前の強姦罪は「被害に遭いました」という申し出があって、初めて成立していたわけです。

 しかし、そのような被害に遭ったという事実を知られること、それ自体が被害者にはマイナスであるので、しばしばやられた側が泣き寝入りせざるを得なかった。

 そうした長い間不都合だった現実が、2017年6~7月になって、ようやく解消された。大きな進展だと言っていいと思います。

 しかし、法の条文をつらつら眺めて見るに、「現行法に問題なしと言えるか?」と問われると、私には、疑問に思われることがないわけではありません。

「性交」は定義できないものか?

 改正された刑法の当該部分は177条から180条にかけてが該当します。平成29年改正前の明治刑法と改正後の条文とを比べてみましょう。

旧第177条 強姦

暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、三年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。

となっていたものが

現177条(強制性交等)

十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。

 確かに、被害者は男性女性双方に拡大されています。ここで注意すべき点として、旧刑法では

 「姦淫」となっていたものが、現行法では「性交等」とされている点が挙げられるのですが、この「性交」が、実はワイルドカードになっているように思われるのです。

 すなわち、明治刑法での「姦淫」は男性器女性器に挿入すること、「膣性交」と限定されていたわけです。

 それが「それ以外」すなわち「性交、肛門性交、口腔性交<等>」に拡大されたというのですが、関連の資料をいろいろ当たってみて、どうにも「行為の主体」がいまだ男性に偏っているように思われてならないのです。

 つまり、こと「性交」に関しては、男性が主体であるとする想定が圧倒的に多いように見えるのです。図式的に記すなら

改正前:明治刑法<レイプする側 男性  レイプされる側 女性>

 という組み合わせのみが、法的に問われていたものが

平成29年改正<レイプする側 男性 レイプされる側 女性><レイプする側 男性  レイプされる側 男性>

 までは拡大された。でも、形式的な組み合わせとしては、もう2つ

レイプする側 女性 レイプされる側 男性>
レイプする側 女性 レイプされる側 女性>

 という組み合わせがあるはずですが、定義が明確化されていない「性交等」で、どうにもこのあたりがぼやかされているように思われてなりません。

 弁護士の読者などお詳しい方がおられたらご教示いただきたいとも思います。

 177条に先立つ刑法176条は

第176条(強制わいせつ)

13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。

 となっており、これによれば、女性の行為主体が男女を問わない被害者に「わいせつな行為」をすることが罰せられるように見えます。

 ここでは「ジェンダー差」があまり感ぜられません。

 しかし、より重い罪(「わいせつは」10年以下の懲役、「性交等」は5年以上の有期刑=11年以上の長期刑もあり得る)を問うべき<レイプ>については、いまだ「男が犯罪の主体となるもの」というバイアスが、非常に高いように見えるのです。

 コメンタールなどには「平成29年の改正で『姦淫』が『性交等』となったことで、性交を行った男性のみならず。それを教唆した女性の共犯者なども罰せられるようになった 云々」との記載があります。

 そうすると、確かに、レイプに関しては男女ともに加害者として罰せられるようになった、と一見すると読めるのですが、実はよく考えてみると「性交を行った男性」という部分は実質的に引きずっているように思われてなりません。

 女性は強引な性交渉の行為主体とはなり得ない存在なのでしょうか?

 実定的にはどうにも、性差による凹凸の非対称が残っているように思われてなりません。

受け容れあってこその人間関係ではないか?

 このあたりは、非常にデリケートな問題を含むと思いますし、実際に犯罪として検挙された件数など、統計に当たって現勢を見る必要もあるかと思います。

 ただ、それこそかつての姦淫の親告以上に「女性に無理やりレイプされました」という男性の告発というのは、されにくいように思われるのも正直なところです。

 私は前回の東京五輪の年に生まれました。中学3年生の折にはお化けドラマ「三年B組金八先生」がヒットし、ドラマの中で描かれた中学生同志の交渉による妊娠という設定などを生々しく感じたりしました。

(ちなみに当時、私は「中3B」でしたが、善くも悪しくも男子校で、そういうケースがなかったわけですが)

 そのとき生まれたはずの赤ちゃんがもう40歳という年月を過ごしてきて、どう見てもこれは女性が男性を襲ったものだよな、と思うケースが、身の回りだけでも片手では数え切れないように思われてなりません。

 女性は弱き性、力ずくでやって来るのは常に体力に勝る男性・・・。

 こういったステレオタイプが、ことこのあたりに関しては、いまだに法の周辺にも残存しているのではないか・・・。

 不徹底な調べものの結果に過ぎないのかもしれませんが、今回、俳優の「強制性交」報道から調べてみた範囲では、そのような印象をぬぐうことができませんでした。

 「肉食系女子草食系男子」みたいな話は、できの悪いポルノにしかならないかもしれず、社会的、法的に取り扱うのは難しいのかもしれません。

 が、こと「両性の合意」でなされるべき事柄について、いまだ様々な男女格差が残っているのは、間違いないように思われました。

 そして、そうしたいかんにかかわらず、いま報道されているような行為が実際にあったのであれば、容疑者は相応の罪に問われてしかるべきことになるでしょう。

 私の感じ方、考え方がおかしいのかもしれませんが、無理やりことに及ぶということをどうして喜ぶのか、どうにもよく理解できません。 

 動物ではないのですから、物理的な凌辱うんぬんではなく、互いが互いを受け入れ合うということで成立するのが、人間同志の関係であり、人と人との交渉というものでしょう。

 片思いの結果のストーキングとか、その延長での出来事とか、いろいろなケースがないわけではないのも分かります

 しかし、人間的に成立しない行為の途中で醒めない、気持ちが萎えないというのは、どこかで、人の悟性でないものに支配されていると言えるのかもしれません。

 また、それに悖る行為は、両性の様々な形において、いくらでも存在しているようにも思われるのです。

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