昔、「北海道はでっかいどー!」と叫ぶCMがありましたが、その言葉どおり北海道は本当に大きな場所です。

本州で生まれ育った人間にとっては、ついつい“北海道といえばカニ、イクラ、海鮮!”だったり、“小樽といえばガラス”、“函館といえば夜景”などざっくりとしたイメージでの認識となってしまうことは、道民のみなさんにお許しいただきたいところです。

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そんなざっくりすぎる認識の延長で、網走という地名を聞いて、即座に頭の中で“網走刑務所”を思い浮かべる人はきっと私だけではないはずと思います。

事前に調べてみたところ、網走の名を有名にしたのは「網走刑務所」そのものの存在かと思っていたら、昭和の時代に高倉健さんが主演した『網走番外地』という「網走刑務所」を舞台とした映画シリーズが人気を博したことにあるのだということがわかりました。

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この映画のヒットのおかげで、網走=網走刑務所という図式が国民の頭に刷り込まれたわけですね。ちなみに、実際の網走はオホーツクに面した豊かな大自然恵まれた場所です。毎年冬から春にかけては流氷の街として人気の観光地になっています。

今回は、そんな網走にある網走観光のマストスポット「博物館網走監獄」をご紹介したいと思います。

“最果ての不夜城”と呼ばれた「網走刑務所」の歴史

日本の一番北にある刑務所。こんなキャッチフレーズで呼ばれたら、それだけで色々と妄想が膨らみそうですが、「網走刑務所」は1890年に明治政府が蝦夷地(北海道)開拓のために設置したもの。刑期が12年以上と罪が重い受刑者を全国より集め、労働力として使うための宿泊所としてスタートしています。

受刑者は現在の中央道路国道333号などの建設に従事させられたのですが、当時の北海道はまだまったく未開の地。蝦夷地開拓の悲惨な話はいまでも語り継がれますが、その過酷さは想像を絶するものとしか言いようがありません。

「網走刑務所」の受刑者は、道路建設の他、網走港や女満別あたりの広大な農地開拓、炭坑や火山の硫黄採取作業などにも動員され、過酷な労働と寒さ・栄養失調などによりわずか1年200名以上もの死亡者を出したことが記録に残っています。

結局、「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきか」と国会で追及されるまでの社会問題となり、1894年に廃止されるにいたるわけですが、網走の歴史、しいては北海道の近代史はこの「網走刑務所」の受刑者たちが生命を削って作った土台の上にあるということがよくわかります。

「博物館網走監獄」では、受刑者たちに課せられた労働の内容や彼らの日常を再現しながら、近代における北海道開拓の歩みを学ぶことができるようになっています。

“最果ての不夜城”とも呼ばれた「網走刑務所」がどのようにして設置され、どのような経緯で廃止に至ったかを追っていくと、当時の日本の政局も浮き彫りにされるので、わが国の近代史をつづる1ページとしての役目を担っている博物館とも言えると思います。