先日、時代劇を観ていて訊かれました。

「具足(ぐそく)も甲冑(かっちゅう)もすべて鎧(よろい)なのに、なんでそれぞれ呼び方が違うの?

意外とごっちゃにされやすいこれら「鎧」に関する言葉たちについて、今回はその違いをメインに、鎧のバリエーション(平安時代以降)を紹介していきたいと思います。

以前、槍(やり)と矛(ほこ)の違いに関する記事も掲載しましたのであわせてどうぞ。

鎧(よろい)

そもそも、戦に際して身に「よろう(表面を包み込む意味の動詞)」ものであるから「よろい」と呼ばれました。

鎧を「よろう」武者の図。歌川国芳「甲陽二十四将之一個 内藤修理正昌豊」嘉永六1853年。

漢字は「金(属)」で出来た「よろい」を着て動くと「豈(ガイ)々」と鳴ったことから、金(部首)+豈(形声)=「鎧」となりました。

甲冑(かっちゅう)

甲(こう)とは身にまとう鎧、冑(ちゅう)とは頭にかぶる兜(かぶと)を指し、甲+冑(こう・ちゅう)が訛って「かっちゅう」と呼ばれるようになりました。

(※甲の字には「兜」の意味もありますが、この語においては「鎧」の意味で用いられます)

なので、兜をかぶっていない状態は「甲冑」とは言いません。

具足(ぐそく)

具とは「そな(備)え」、足とは「たるorたりる」の意味で、「そなえたりる」つまり「フル武装」の状態を言います。

鎧&兜はもちろんのこと、付属品も一通り揃って初めて具足と言えますが、多くの場合は室町時代以降の甲冑(当世具足・とうせいぐそく)を指すことが多くなっています。

『国史大事典』吉川弘文館、明治四十一1908年

当世とは「今どき」の意味で、室町時代後期、鉄砲の伝来・普及によって甲冑の在り方が大きく変わり、従来の小札(こざね。糸で連結し、鎧を構成する金属や革などの小片)から、広くて長い鉄板を多用するようになったニュータイプの甲冑を指します。

小具足(こぐそく)&大具足(おおぐそく)

付属品の中でも籠手(こて)や脛当(すねあて)、脇楯(わいだて)と言った身体につける装備一式を「小具足(こぐそく)」と言い、薙刀(なぎなた)や弓箭(ゆみや)などの武具一揃いを「大具足(おおぐそく)」と言います。

腹当(はらあて)&腹巻(はらまき)

鎧の中でも最もシンプルなタイプで、文字通り腹部を中心に防護します。

腹巻の肩に大袖がついた豪華バージョン。『国史大事典』吉川弘文館、明治四十一1908年

混同されることが多い両者ですが、あえて厳密に分類するなら、胴体の前半分までを防護するのが腹当で、背中までぐるっと巻いて防護するのが腹巻となります。

胴丸(どうまる)

こちらも文字通り、胴体を丸ごと防護するから「胴丸」で、腹巻と混同されがちですが、よく見られる違いとしては、肩部分に杏葉(ぎょうよう。肩防具)がつき、腰回りに草摺(くさずり。大腿部の防具)がついて、防御力の向上と機動性の維持が図られていることが多いです。

竹崎季長蒙古襲来絵詞』より。左端の人物が着用しているのが「胴丸」。肩に杏葉、腰に草摺がついている。

加えて杏葉の上から大袖(おおそで。肩~上腕部の防具)が装着されることもあります(大袖がつくと、一気にランクアップした気分になれそうです)。

※例外もありますが、イメージ的にランク付けすると「腹当≦腹巻≦胴丸<<大鎧」となります。

大鎧(おおよろい)

武士を別名「弓馬(きゅうば、ゆんば)」と呼ぶ通り、武士を象徴する騎馬戦(主に馬上から矢を射る騎射)に特化した鎧で、そのルーツは大陸の騎馬民族などに遡ります。

菊池容斎『前賢故実』より、大鎧で騎乗する源義家公肖像。

弓手(ゆんで。左手)を伸ばして弓を構えた時に左腋の隙間を防護する「鳩尾(きゅうび)の板」と、矢を箙(えびら。矢を入れる大具足の一つ)から抜き、弓につがえて引き絞る邪魔にならないよう、柔軟に右腋を防護する「栴檀(せんだん)の板」を備え、腹部前面に滑らかな革などを張り、放たれた弓の弦(つる)が引っかからないようにした「弦走韋(つるばしりのかわ)」など、様々な工夫が特徴です。

大鎧(胸部)。右胸に「栴檀の板」、左胸に「鳩尾の板」を着装。

鎧の中では最上級のものとされ、「正式の鎧」という意味で「式の鎧」「式正(しきしょう)の鎧」と呼ばれたり、また古来、着ると背筋が伸びることから「着背長(きせなが)」という美称も伝わっています。

まとめ

以上、一口に「鎧」と言っても様々なものがあり、戦場で生き延びるための創意工夫が随所に見られ、その機能美は世界的にも高い評価を得ています。

室町時代『紙本著色芦引絵』より。

あまり日常でふれる機会も多くはありませんが、先人たちの知恵や美意識に、思いを馳せるきっかけとなりましたら幸いです。

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