東京の魅力を再発見するTOKYO MX地上波9ch)の情報生番組「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」(毎週土曜11:00~)。2月2日(土)放送の「朝比奈彩の進め!江戸小町」のコーナーでは、世田谷区二子玉川界隈の歴史スポットを巡りました。

“ニコタマ”の愛称で知られ、ファミリーに大人気の街、二子玉川。かつては、現在の東急二子玉川駅あたりに玉川村、多摩川を挟んで神奈川側に二子村があり、その2つの村の名前が組み合わさって、二子玉川という地名が誕生しました。


◆江戸の一大レジャースポットへの道

まず訪れたのは、東急二子玉川駅から徒歩10分のところにある「治大夫橋(じだいゆうはし)」。ここは、江戸っ子たちに人気のレジャースポットへの通り道でした。

古くから厚い信仰を集める、神奈川県の霊山、大山(標高1,252m)。江戸から大山へ“大山詣り ”をする人々が通ったのが「大山街道」です。赤坂に始まり、渋谷、池尻、三軒茶屋、二子玉川と続くこの街道ですが、当時の多摩川には橋が架かっていませんでした。そのため、「二子の渡し」と呼ばれる渡し船を使う必要があり、この近辺は多くの人でにぎわっていたのです。


大山の標高約700mには「大山阿夫利神社」が鎮座しています。ここは、“阿夫利(あふり)”が“雨降り”につながるということで、古くから雨乞いのご利益のある神社として親しまれてきました。

江戸時代に入ると庶民も大山阿夫利神社へ詣でるようになり、大山詣では当時、一大レジャーに。当時、江戸の人口は約100万人ほどだと言われていますが、大山への参拝者は年間約20万人もいたとか。

その人気の秘密はアクセスの良さと手軽さ。例えば、富士山へ行くには箱根関所を越えなければならず、そのために手続きが必要でした。しかし、大山は関所の手前なので手続きがいらず、3泊4日ほどで江戸に戻ってくることができたのです。そのため、大山へ行き、江ノ島へ出て、江戸に戻ってくるコースが定番だったのだとか。


◆徳川将軍家もお気に入りの絶景ポイント

続いては、東急二子玉川駅から徒歩10分のところにある「行善寺」です。ここは、戦国時代の1590年ごろ、北条氏の家臣によって創建されたと言われる寺です。


ここは、“玉川八景”と呼ばれる風光明媚な景勝地として、徳川将軍家も気に入っていた場所。本堂の裏手からは、多摩川を見下ろし、遠くは富士山を望むこともできる絶景が広がっています。

また、境内には猫を弔うための「猫塚」も。昔の二子玉川を語る上で重要なこの猫塚について探るべく、東急二子新地駅から徒歩3分の「二子神社」へ向かいます。

◆猫塚と二子新地の関係とは?

二子神社で見つけたのは、「二子三業組合」と描かれた柱。
この“三業”とは、料理屋、待合茶屋、芸者置屋を指します。つまり、この近辺にはかつて花柳界があったのです。


景色の良い多摩川沿いには、江戸~昭和時代にかけて料亭などが建ち並び、芸妓と遊べる花柳界が作られました。最盛期には100人以上の芸妓が在籍しており、ときには多摩川に屋形船を出して新鮮な鮎をつまんだり、天候不良で川を渡れないときは宴会が開かれたりしました。二子新地という駅名も、関西の言葉で歓楽街を意味する“新地”からきていると言われています。

芸妓が弾く三味線の皮には、高級品とされる猫の皮が使われることがありました。そのため、行善寺には猫を弔うための猫塚が作られたのです。


二子玉川に転機… 現在の“ニコタマ”へ

1907(明治40)年4月、三軒茶屋~玉川間に玉川電気鉄道が開通。以降、アクセスが格段に良くなったことで、二子玉川にも転機が訪れました。

それまでの料亭などだけでなく、遊園地プールなどが建設され、大きく変化を遂げた二子玉川1969(昭和44)年11月には、日本初となる郊外型デパート玉川高島屋S・C(ショッピングセンター)がオープン。こうして二子玉川は、大人から子どもまで幅広く愛される“ニコタマ”へと発展していったのです。

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<番組概要>
番組名:週末ハッピーライフ!お江戸に恋して
放送日時:毎週土曜 11:00~11:55
レギュラー朝比奈彩、松尾雄治、堀口茉純、田中雅美
番組Webサイトhttp://s.mxtv.jp/variety/edokoi/
番組Twitter@edokoi9ch

“ニコタマ”こと二子玉川と猫の深い関係に迫る