前回(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55475)のコラムに対して、「伊東の原稿は、劣悪なバイトの就労条件無視している。問題だ」といった指摘があったように伺いました。

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 でも、それはちょっと違うというところから、今回の論点を明確化してみたいと思います。

 前回のコラムは「不適切動画」「バカッター」あるいは「サイバーセキュリティ」といったキーワードがタイトルに示されていますが「バイトテロ」はありません。

 「バイオ・テロ」を捩った「バイト」による企業への情報ダメージを危惧する「バイト・テロ」は確かに問題ですし、またその背景に、低賃金長時間重労働など、ブラックを指摘され得るアルバイトの待遇などが存在するのかもしれません。

 しかし、私のコラムは音声動画のメディア公衆情報衛生を扱う大学研究室を主催しており、労働環境の詳細に通じているわけではありません。

 また、かつて(最近の若い人にはピンとこないかもしれませんが)永山則夫事件などが生々しかった時期、議論されたことですが、仮に社会がどれだけ矛盾に満ちていたとしても、そこで起こされた不法行為について、「社会が悪いからいけないんだ」式の議論は絶対に成立しません。

 先日来、問題となったケースで、どのような就労状況や問題があるのか、私は正確に把握していませんから、何も言及することができません。

 しかし、それがどういうものであれ、つまりどれほど厚遇されていようと、冷遇だろうと、一度インターネット上に公開された情報が二度と回収不可能であること、あるいは、音声動画コンテンツを視聴し、とくに情動が強く動かされるようなケースでは、視聴者の脳裏に印象が強く残り、意思決定や価値判断に深く影響を残し続けることに、微塵の変化もありません。

 こうした、音声動画コンテンツに関するサブリミナルな影響については、「さよなら、サイレント・ネイビー」をはじめとする私のオウム真理教事件関連のメディア・マインドコントロールの仕事をご参照ください。

 オウム真理教事件に関しては、当時の大学院生の就職難その他を指摘する向きもありました。

 私はその世代のど真ん中に位置しますので、いわんとするところは理解できますが、どんな社会的な要因を挙げても、オウム真理教犯罪そのものは別途、裁かれるべきです。

 また再発防止の最大のポイントは、言われるような社会問題の解決にあるわけではないのも、火を見るより明らかです。

 ここでは「バイト・テロ」状況と無関係な形であっても、いくらでも問題ある視聴覚情報発信ができてしまう今日のメディア状況そのものを、改めて考えてみたいと思います。

別のケースで考える

 例えば「いじめ動画」という問題があります。

 昨今、あまり取り上げられないようにも思われ、様々な対策も取られているように思いますが、これは「バイト・テロ」とは性格を異にする問題と理解していただければと思います。

 「いじめ動画」とは、いじめの現場や、いじめに相当する内容を音声動画で流布するもので、様々な意味で明らかな不法行為です。

 そのような不適切な音声動画も、一度ネット上に流布してしまうと、永続的に残ってしまいます。

 こうした事例を挙げたとき

 「いや、いじめをするような心理に社会が青少年を追い込むことに本質的な元凶がある。それを取り除かない限り・・・」

 といった指摘を受けたことがあり、全く理解しない人というのがいるのだな、と感じたことがあるので、この例を最初に挙げました。

 いじめっ子がいじめに「追い込まれる」ような状況というものが、確かに存在するのだとも思います。だからといって、いじめの行為を正当化できるわけがありません。

 親が子供を虐待するケースがいろいろ問題を起こしていますが、虐待する親にもそれなりの「理由」はあるでしょう。

 それがあるからといって「虐待」や「DV」の予防は、全く別のレベルで必要なことで、背景や動機、理由のいかんとは別の話です。

 というのは、同様の情報事故が、全く悪気なく行われるケースも大いに存在するので、このポイントを強調せねばなりません。

 もう一つ、全く別のケースを挙げてみましょう。

 子供や孫の運動会に出かけた親や祖父母が、競技の模様を音声動画に記録して勝手にネットにアップロードしたとします。

 その中に、別の人の、決して外には出してほしくないプライバシーが写り込んでいたりする可能性を、どう考えればよいでしょうか?

 世の中には、フェイスブックなどに自分の家族の写真や個人情報てんこ盛りにして発信する人もいます。

 と同時に、自分の家族の名前や顔、どこの学校に通っているといったプライバシーを極力出したくないと思っている人も、決して少なくありません。

 芸能人その他、顔と名を知られた人にもありますが、ごくごく当たり前の生活をしている市中の人にも、プライバシーが流出することを極端に嫌う人もいます。

 そういう個々人の事情無関係に、運動会の子供たちや、参観に来ている家族や父兄の顔などが識別できる形で、勝手に公衆放送するということが、どれくらい危なっかしいことか、考えてみていただければと思います。

 かつて私はテレビ番組制作に関わっていましたので、このあたりのことを痛感するのですが、「写り込み」というのは本当に怖いものです。

 オンエアされる番組では、しばしばモザイクや、声の変調などで、プライバシーを守る処理が施されています。

 しかし、完全な素人、アマチュアがアップロードした音声動画の多くには、無防備に様々な情報が写り込んでいるのが普通です

 スマートホンなどでの動画撮影に、どの程度編集を施すことが可能なのか?

 静止画でも動画でも、録ってそのままポンと不特定多数に世界公開してしまう極めてイージーなデファクト・スタンダードが成立してしまっているのではないか?

 さらに、それに近いお手軽な環境が、物心つく前から既に成立してしまい、幼児期の家庭内などから、そういった危なっかしい環境に慣れてしまった世代には、場合によって「リテラシー教育不能」な状況が成立してしまっているのではないか?

 前回の原稿でも一貫してそのように危惧するのは、以下に記すような現状を見るからにほかなりません。

あまりにも無邪気な「バイト・テロ」

 今回のような「バイト・テロ」(?)に対して、<厳罰をもって臨むべきだ>という意見も少なくありません。

 また、そうした意見に対して「ブラック就労環境を考えよ」という人もいる。

 司直の判断がどうなるかといったことは、当局に任せるしかありませんが、私自身は上記のどちらの立場も取っていません。

 というのも、あまりにも無邪気、、かつ丸腰、あえて言えば「フルチン」状態で、多くの「テロ」が実行されているからにほかなりません。いわば「自爆テロ」になっている。

 どういうことか?

 行為者の顔も、ユニフォームにつけられた名札なども、ばっちり写っているケースが少なくない。

 ということは、問題になれば犯人は挙げられ、刑事民事その他、ありったけの責任を問われることが目に見えている。

 それに対する証拠隠滅とか隠蔽、様々な情報操作、改変などがなされているか・・・。

 ほとんど何の小細工もされず、ただただ幼児のように無邪気に、決してやるべきではないことを堂々とやらかして、それを世界公開してしまっている。

 幼稚園児などが夏のプールなどで、喜んでしまい、すっぽんぽんでプールサイドに走り出してしまったりするのと同様の、あまりにも頭のない「無邪気さ」を指摘しないわけにはいきません。

 ここで私が「リテラシー」を言うのは、決して「今後のバイト・テロ」ではホシとして個人が特定されないよう注意しながら迷惑動画をアップロードしよう、などと言いたいわけでは、もちろんありません。

 この種の画像はたいがい、犯人が特定検挙されるのを避けることはできないでしょう。

 こんなこと、やるもんじゃありません。

 ただ、いわゆる「故意犯」と呼ぶにはやや無理のある「幼稚な仕儀」であるのも間違いないとと思います。

 だからといって、責任が軽減されるべきだとか、寛大なご措置を、などと言っているわけではありません。

 言いたいことは「再発防止」に役立っているか、という一点に尽きます。

 このままただ単に厳罰に処しても、単なる「みせしめ」にしかならず、およそ有効な再発防止には近づかない、その点を前稿も本稿も強調したいと思っています。

 昨年、全世界を唖然とさせる、とある刑事事件の幕切れがありました。

 あれが「見せしめ」で、本当の意味での原因の究明も、再発の防止も何もなされずに「平成」と共に終わりなどという、お話にもならないことになったのを、思い出さないわけにはいきません。

 音声動画コンテンツというのは、怖いものだし、全世界公開で情報をアップロードできるというのは、恐ろしいことです。

 前者は、理非分別以前に人を感情に駆り立てることができますし、後者で、例えば他の人の個人情報などを漏洩してしまったなら、覆水は決して盆に返らず、取り返しがつかないことになってしまいます。

 決して「バイト」に限定しない、若い世代、またより年長の世代でも、こうした基本的なリテラシーは全く社会に周知も徹底もしていない実情があるわけで、根本的な対策の必要を、重ねて指摘せざるを得ません。

 メディアはあくまで媒介に過ぎず、それを通じて有為な情報も発信できれば、ネガティブキャンペーンも張れますし、守秘すべきデータなどが流出すれば、取り返しがつきません。

 そうしたことに、落ち着いた大人のきちんとした分別がつく必要があるのは、誰の目にも本来は明らかなことであるはずです。

(つづく)

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