(柳原三佳・ノンフィクション作家)

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 2019年のNHK大河ドラマは、『いだてん~東京オリムピック噺~』。日本で初めてオリンピックに参加した金栗四三と、日本に初めてオリンピックを招致した田畑政治、この二人の人物を軸に展開されています。大河と言えば、これまで戦国時代江戸時代など、19世紀以前の歴史上の人物が取り上げられることが多かっただけに、賛否両論あるようですが、早くも物語は2ヵ月目に突入しました。

 ところが、2月10日(日)に放送された第6回の中のワンシーンを巡って、ちょっとした騒動が起こっているという噂が・・・。よく聞いてみれば、なんとそこで指摘されている歴史的事実には、この連載のテーマである「佐野鼎」も深く絡んでいるというではありませんか!

 そこで私は、16日(土)の再放送を予約録画し、早速、問題のシーンをチェック。それを見たとたん、「え、えっ?」という感じで、まさに驚きを通り越して、ショックを受けてしまいました。NHKが、こんな大きな間違いを検証もせず、そのまま堂々と放送しているなんて・・・。

勝海舟が乗り込んだ咸臨丸はワシントンには行っていない

 問題のその場面は、幕末生まれの柔道家・教育者として知られる嘉納治五郎が、中村勘九郎演じる金栗四三に、外国で開催されるオリンピックに出てみないかと熱く説得するシーンでした。

 嘉納は次のように語り掛けます。

『かの勝海舟先生が日米修好通商条約を結ぶに際しアメリカに渡ったとき、日本人の使者は、ちょんまげに羽織袴、腰には刀を差していた。そりゃあ山猿と笑われただろう。たかだか50年前の話だよ……』

 この台詞自体、かなり問題ありですが、ここで終わっていればまだ傷は浅かったかもしれません。驚いたのはこの後です。上の台詞にかぶせるように、ワシントンの海軍工廠で1860年に撮られた日本の使節団とアメリカ側の高官たちの集合写真が大きく映し出されたのです。

 たしかに、勝海舟はこのとき、福沢諭吉らとともに咸臨丸に乗って太平洋を横断し、アメリカまではたどり着きました。しかし、咸臨丸はワシントンニューヨークなど、アメリカの東側には向かわず、サンフランシスコに到着後、そのまま日本に引き返しました。つまり、東側のワシントンまでは行っていないのです。

 ということは、当然、ワシントンの海軍工廠で撮られた集合写真に「勝海舟先生」が写っているはずはなく、NHKが上記の台詞とともにこの写真を出したことは大間違い、ということになります。

 1854年の日米和親条約に続き、1858年に日本がアメリカと結んだ日米修好通商条約。この条約の批准書交換という大役を幕府から正式に任されたのは、正使の新見正興、副使の村垣範正、目付の小栗忠順でした。彼らこそが、ワシントンホワイトハウスを訪問してアメリカのブキャナン大統領に謁見した「万延元年遣米使節」なのです。

実際は歓待されたのに、ドラマでは「山猿と笑われた」とは

 万延元年といえば、西暦1860年、明治維新の8年前です。この頃、日本では、攘夷、つまり、外国人を排斥しようという勢力も強硬で、攘夷派の侍たちによる暗殺事件などが続発していました。老中の井伊直弼が暗殺された桜田門外の変も、まさに、遣米使節団がアメリカに向かっている最中に起こったことでした。

 当時31歳だった佐野鼎は、加賀藩で砲術師範を務めていたのですが、藩の許しを得たうえで、随員(従者)として、総勢77名にのぼるこの遣米使節団の一員として同行していました。

 一行は、アメリカ側が江戸湾に差し向けた軍艦「ポーハタン号」に乗って太平洋を横断します。咸臨丸は名目上、「随伴船」という位置づけでしたが、実は数日早く、江戸を発っていました。

 アメリカ人らとともにポーハタン号に乗船した使節団一行は、太平洋上で大嵐に見舞われます。咸臨丸も転覆ぎりぎりの危険な航海でしたが、両艦ともなんとかそれを乗り越え、サンフランシスコでの再会を果たします。

 その後、佐野鼎を含む77人の使節団は、咸臨丸の勝海舟らと別れ、ポーハタン号で南下。パナマから蒸気機関車に乗り換えて、アメリカ大陸の東側へ移動したのです(当時はまだ、パナマ運河がありませんでした)。そして、東側で待っていたアメリカの別の軍艦に乗り換えて、ワシントンを目指したのです。

 ちょんまげを結い、大小の刀を携えた侍たちが、初めて異国の地に足を踏み入れ、西洋の最新文明に触れる・・・、それはまさにカルチャーショックの連続だったに違いありません。

 日本の正式な使節である彼らは、行く先々で大変な歓迎を受けました。豪華な馬車での迎え、ワシントンでは水洗トイレ付きの一流ホテルに宿泊してふかふかのベッドで眠り、フルコースの西洋料理でもてなされました。そして、ホワイトハウスや国会議事堂、スミソニアン博物館、学校など、さまざまな場所に足を向けています。『山猿と笑われた・・・』というのは、いくらなんでも失礼な話です。

 佐野鼎は遣米使節での体験を詳細にまとめた『訪米日記』を残していたのですが、そこには、各地で見聞きした衝撃的な出来事や、異国の習慣、風俗について生き生きと記されていました。その興味深い内容については、『開成をつくった男、佐野鼎』(講談社)の中に詳しく記しましたが、書ききれなかったことが山のようにあるので、この連載でも少しずつご紹介できればと思っています。

なぜ「遣米使節」といえば「勝海舟」という誤解が生まれたか

 さて、今回の大河ドラマでの誤った放送に対し、私も会員として所属している「一般社団法人 万延元年遣米使節子孫の会」の理事は、早速、NHKに質問状を送りました。

 実は、NHKのミスはこれが初めてではありません。2年前にも『美の壺』という番組の中で、「咸臨丸の遣米使節団」というテロップとともに、今回と同じくワシントンの海軍工廠で撮影された集合写真を映し出していたのです。

 繰り返しますが、咸臨丸はワシントンまでは行かず、サンフランシスコに寄港後、日本に帰国しているのです。

 遣米使節子孫の会の理事がNHKに対してすぐさま間違いを指摘したところ、2018年1月、NHKからは、「ご指摘いただいた写真表記の件ですが、確認させていただき、確かに間違いであることが分かりました。大変申し訳ありませんでした。この度は貴重なご指摘、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします」というメールが返ってきていました。にもかかわらず、またしても同じ間違いが繰り返されたのです。

 万延元年遣米使節に関しては、これだけはっきりした多くの史料が残されているのに、なぜ、使節の中にはいなかった勝海舟が、誤ったままひんぱんに登場するのでしょうか?

「日本人が万延元年遣米使節の業績を正しく理解するには、今の歴史教科書及び副読本から、『遣米使節』の説明に使われている咸臨丸の絵をはずす必要があるでしょう。咸臨丸には幕府の遣米使節は一人も乗っていなかったのですから」

 そう訴えるのは、遣米使節でナンバー3の目付・小栗忠順の菩提寺である東善寺(群馬県)の住職、村上泰賢氏です。

 小栗忠順は、小栗上野介とも呼ばれている幕臣で、佐野鼎が自身の日記に記していた尊敬する人物の一人でした。日米の貨幣交換率の不公平を現地の造幣局で是正し、帰国後は、アメリカの造船所を参考にして横須賀製鉄所を造るなど、多大な功績を残しています。

 ところが、遣米使節について語られる場合、実際に大統領と謁見した三使(新見、村垣、小栗)ではなく、必ずと言っていいほど、「勝海舟」と「咸臨丸」がセットで登場するという状況が、平成最後の年になっても続いているのは看過できない事実です。

 この問題について徹底的に調査をおこない、誤った歴史認識を是正しようと声を上げ続けている村上氏は、その理由についてこう指摘します。

「日本人は大正7年以来、小学校の国定修身教科書で、勝海舟と咸臨丸の誇張脚色された『お話』だけを教えられて、戦後もそれが歴史だと錯覚してきたからなのです」

 修身、つまり道徳の教科書で咸臨丸と勝海舟の美談が、長年にわたって取り上げられてきたというのです。その緻密な検証結果は、「<修身>の教科書が作りだした『咸臨丸神話』」と題されたページに、詳しく掲載されています。

http://tozenzi.cside.com/kanrinnmaru-sinwa.html

 たしかに戦前の修身の教科書を見ると、勝海舟が「賢人」として登場していますし、最近の歴史教科書にも遣米使節のくだりでは、いまだに咸臨丸が登場しています。

 思い返せば明治生まれの私の祖父も、「佐野鼎は咸臨丸で海を渡ったんだよ」と私に伝えていました。私も長い間、何も疑わずそう思い込んでいたのです。どうやら根本的な理由はここにありそうですが、とにかく、嘉納治五郎が発した、「かの勝海舟先生が日米修好通商条約を結ぶに際しアメリカに渡った・・・」

 という台詞は、明らかな事実誤認です。実際に、アメリカの軍艦「ポーハタン号」に乗って渡米した佐野鼎たちが、もし、大河ドラマのこのシーンを見たらどう思うでしょう。

 日米修好通商条約は、日米の国交に関する重要な歴史です。間違いを平然と語り継ぐことは、歴史を捻じ曲げていくことに他なりません。NHKの回答を待ちたいと思います。

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