舛添要一国際政治学者)

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 文喜相・韓国国会議長が、天皇陛下に対する失礼な発言を繰り返すなどして、日韓関係が最悪の状態になっている。

 2月22日は、島根県が条例で定めた「竹島の日」で、県主催の記念式典が行われ、政府は内閣府政務官が出席した。竹島(独島)の領有権を主張する韓国政府は、これに抗議している。

 また、3月1日は三・一朝鮮独立運動100周年記念日である。慰安婦像の設置が問題になっているが、3月1日には市民団体が徴用工像を釜山の日本総領事館前に設置する計画である。それが実行されれば、日韓関係はさらに悪化する。

 なぜこのような状態になってしまったのか。30年以上にわたって多くの韓国人と交流し、また政治家仲間と付き合ってきたが、その経験も踏まえて日韓関係悪化の原因について考えてみたい。

高い識字率で「お上の指示」が迅速に浸透

 私は、韓国の大学に招かれて学生に講義をしたり、一般人相手に講演したりする機会も多いが、両国間で歴史解釈などについて大きな認識のギャップがあることに愕然とすることがある。

 近代史を振り返ると、日本が1910年に大韓帝国を併合し、1945年の敗戦まで35年間にわたって植民地支配を行った。植民地にされたほうにとっては屈辱の歴史であり、様々な差別があったことは否定できない。この歴史に関連して、自ら関心があり、歴史資料にも当たった二つの例を挙げて考えてみたい。

 第一は、徳川日本と李氏朝鮮の比較である。植民地化の原因については、帝国主義と呼ばれる当時の国際状況の中で、朝鮮側にも何らかの落ち度があったのではないかという疑問を呈してみたくなる。幕末の徳川日本が独立を保つことができたのに対して、なぜ李朝朝鮮(後に大韓帝国)にはそれができなかったのか。

 このような設問に対して答えを出そうとした学問的努力が半世紀前に流行った「近代化論」である。主として日本と比較されたのは中国であるが、朝鮮半島も含めた議論となることが多い。大陸と島国という地理的条件も一つの要素である。また、天然資源の多寡も考慮に値する。

 さらには、当時の支配層である日本の武士と中国の官僚(マンダリン)や朝鮮の両班を比較してみるのも参考になる。武士が武力で国を守ることを考え、強烈なナショナリズムを持っていたのに対し、科挙の試験で登用されたマンダリンや両班は、教養人、文化人としての性格が強すぎたようである。

 また、寺子屋教育で世界に冠たる識字率を誇った徳川日本は、危機に際して、お上の指示を御触書で迅速に民に伝えることができた。これに対して、支配層と被支配層の識字率に大きな差があった中国や朝鮮では、日本ほど国民の動員が上手くいかなかった。

 以上のような比較考察は、韓国の大学の授業で行われることはまずないであろう。この種の「近代化論」は、ともすれば日本優越論につながっていく。韓国人にすれば、それは韓国劣等論となりかねないので、受け入れがたい。

戦前の在日朝鮮人には参政権があった

 第二の例は、大日本帝国植民地から日本本土に到来した朝鮮半島出身者の処遇についてである。これは、私の父がかつて福岡県若松市(現・北九州市)の市議会議員選挙に立候補した際の選挙ポスターに、ハングルで書かれた文字があったことをきっかけに、私自身が多くの歴史資料に当たって研究したものである。いま問題になっている徴用工にもろに関係しているテーマである。

 昨年の10月30日、韓国大法院(最高裁判所)は、元徴用工について新日鉄住金に賠償を命じる判決を下したが、そのような判決に接すると、韓国人は当時の「半島人」がすべて強制連行されたようなイメージを持つであろう。

 しかし、1910年の日韓併合以来、朝鮮半島からの労働者動員は1939年7月~45年4月に行われたが、それ以前は自由意思による出稼ぎである。つまり、今世界中で行われている労働移民と同じである。しかも、動員についても、①民間企業による募集、②官斡旋、③徴用とあり、③は44年9月から8か月のみである。

 さらに言えば、「戦前の在日朝鮮人」には、選挙権も被選挙権もあったのである。先に触れた私の父の選挙ポスターがなによりの証拠だ。そのことについては、いろんな機会に論文を発表し、韓国の大学でも講義をしてきたが、日本研究に携わっている学者ですら無視し続けている。つまり、「日本は朝鮮半島で過酷な植民地支配を実行した」という歴史観と少しでも外れるものは排除するという姿勢である。

 一方、日本では、「大東亜戦争は正義の戦争である」、「朝鮮や台湾を植民地にした日本に何の問題もない。悪いのは植民地化されたほうだ」というようなショービニズム(排外的愛国主義)的歴史観、右傾化が強まっている。これもまた問題である。「戦前の在日朝鮮人」についての私の研究は、そのような日本至上主義者に資するために行ったのではない。

 このような右傾化傾向は、嫌韓派、嫌中派の増加となって現れ、それが韓国や中国における日本イメージの低下につながったことは周知の事実である。まさに悪循環である。

知事や市町村長同士まで「嫌韓」「反日」になるべきではない

 私が都知事に就任した2014年初めには、日韓関係、日中関係とも悪く、首脳会談も開かれない有様であった。東京とソウルや北京が姉妹都市であることを利用して、私は都市間外交を活性化したが、その成果もあって、安倍首相朴槿恵大統領習近平主席との首脳会談も行われるようになった。日中関係はその後も改善していったが、日韓関係は文在寅政権になって悪化してしまった。

 政権交代があり、それまでの政敵が政権に就くと、前政権を徹底的に攻撃するのが韓国の習慣である。左の文在寅大統領になると、それまで政権の座にあった右の朴槿恵李明博が標的になる。そして、前政権との政策の違いを強調する。

 要するに、「反日・親北」路線の選択がそうである。文在寅政権下で出世しようとすると、与党政治家もこの路線を貫くしかない。文喜相韓国国会議長や李洛淵首相は、いずれも知日派であるが、それだけに反日姿勢を鮮明にせざるをえないのである。李洛淵氏には、首相就任前に東京で会っている。彼の本音は現在の言動と異なると思うが、立場上致し方ない。

 一方、日本では、右寄りの安倍政権が長期政権となっている。自民党政治家にとっては、自らの思想と異なっても首相と同じ政治姿勢を保つことが生き残りの戦略となる。首相官邸に権力が集中した結果である。こうして、永田町霞が関も国民も右傾化していっている。これはこれで健全ではない。

 韓国の政権はますます左へ、日本社会はますます右へ。この流れが今後も続いていけば、日韓関係の改善は容易ではない。

 新聞通信調査会が、昨年11月23〜12月3日韓国軍艦によるレーダー照射事件前)に調査した対日好感度調査では、日本に好感が持てるとした韓国人は32.0%で、1年前に比べて6.3%下落した。これは、調査対象の韓国、イギリス(62.0%)、アメリカ(85.7%)、フランス(79.1%)、中国(33.9%)、タイ(96.5%)の中で最低であった。

 しかしながら、新大久保に行けば韓国食品を求めて日本の若者が長蛇の列をなしている。また、ソウルでは日本人観光客が本場の焼肉料理を満喫している。昨年は、年間753万9000人(前年比5.6%増)もの韓国人が訪日している。韓国を訪れる日本人は294万8500人(前年比27.6%増)である。往来者数は、10487500人であった。遂に1000万人の大台を突破した。絶対数では韓国人のほうが多いが、伸び率では日本人も約3割増しという勢いである。

 この現象をどう読み解くか。本当に一触即発の危機的状況ならば、誰も観光などに行かないであろう。政治レベルでは対立が激化していても、これだけの民間交流が進んでいることに安堵する。

 この民間の流れを政治レベルでの両国間の信頼関係の回復に活かすためには、私が都知事時代に実行したように、姉妹都市関係などを活用した地方自治体の交流を活性化すべきである。知事や市町村長まで、嫌韓、反日では話にならない。様々なレベルで信頼関係の醸成を図っていかなければならない。

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