あのころといま。変わったことも、変わらないことも。
 2019年に年男となる亥年のクリエイターをお招きしてお話を伺う特別企画。今回は、同じ1971年まれの田畑端氏と稲葉敦志氏のおふたりに、ゲーム業界に入った切っ掛けから今後の話まで、じっくり語り合っていただいた。

 なお、年男対談企画の第1弾(新川洋司氏×直良有祐氏×岸田メル氏)の内容は、以下の記事にまとめられている。
【年男鼎談】新川洋司×直良有祐×岸田メルトップクリエイターが創作術や仕事への意識を語り合う
https://www.famitsu.com/news/201901/18170350.html


【画像15点】「【特別対談:田畑 端×稲葉 敦志】年男クリエイターが語る48年のこれまでと、これから」をファミ通.comで読む(※画像などが全てある完全版です)

 じつはこの対談、当初は彼らと同じく1971年生まれで、“飲み仲間”でもあるもうひとりのクリエイターを加えた“鼎談”になる予定だった。その人物とは、コーエーテクモゲームスの代表取締役社長、鯉沼久史氏。

 しかし残念ながら、取材当日、鯉沼氏がインフルエンザに罹患してしまい、やむを得ず欠席。急遽、対談として決行することになった次第だ。そんな経緯があったということも踏まえてご覧いただきたい。

 なお記事末では、鯉沼氏からいただいたコメントも掲載しているので、ぜひ最後までチェックしてほしい。


亥年仲間のKT社長・鯉沼氏。社長室には○○が!?


――おふたりと鯉沼さんは“飲み仲間”だということですが、皆さんが知り合うきっかけは何だったのですか?

稲葉決して表舞台に姿を現さないフィクサー的な人物がいまして(笑)。その彼が、ゲーム業界で働く同い歳のグループを作りたがっていたんです。

田畑初めて集まったのは、『ファイナルファンタジーXV』が発売された直後くらいだったかな。

稲葉最初のメンバーは、その人物と、自分たちふたり、それから『FIFAシリーズのエグゼクティブプロデューサーをしている牧田さん(※牧田和也氏)の4人でした。鯉沼さんが加わったのは、その後ですね。


――おふたりは、それまで接点はなかったのですか?

田畑もちろん、稲葉さんのことは知っていましたが、直接の接点はなく、“バイオレンスな人“だと思っていました(笑)

稲葉それ、みんなが言うんですよ(苦笑)。で、会って話してみたら「意外と常識人ビックリしました」みたいな(笑)


――(笑)。稲葉さんはこうおっしゃっていますが、実際に合ってお話しをして、印象は変わりましたか?

田畑稲葉さんは、見た目はいかついですが、やさしいんですよ。仕事の話をすると、この“飲み仲間”の中でも、いちばん一生懸命に考えてくれるんです。常識の中から答えを安易に出さずに、ストイックに自分の気が済むところまで掘り下げるタイプ
 だから、すごく勉強になるんです。会社の政治的な話にはまったく興味がなくて、「おもしろいことをしたい」と、つねに考えているんですね。そんな稲葉さんと話すうちに、「俺も、独立したいな……」と、刺激を受けた部分はあります。

稲葉田畑さんは、底が見えない人です。会うたびに、この人の底がどこにあるのか。まだまだおもしろそうなものがありそうだと感じさせてくれる。

田畑なんかその言いかただと、ヤバそうな人みたいだね(笑)

稲葉いやいや(笑)。僕を含めまわりの人は、その底知れなさに惹き込まれるんですよ。人を陰と陽に分けるなら、田畑さんは間違いなく“陽”ですね。ポジティブなんです。

田畑子どものころは、クラス女の子は全員自分のことが好きだと思っていたからね(笑)

稲葉ほら、めちゃくちゃポジティブ!(笑)


――では、今回残念ながらインフルエンザで欠席された、鯉沼さんの印象はいかがでしたか?

田畑虚勢を張らない、等身大な人ですね。

稲葉うん。でもそんな鯉沼さんが、唯一「俺が、俺が」となるのが、「俺はすごく体が弱い」って言うときですかね……今日もこんなタイミングインフルエンザになっちゃうし(笑)。嘘か本当か、社長就任の条件が“社長室にベッドを置くこと”だったと聞きました。「寝てもいいから、会社には来てくれ」と、襟川会長(※株式会社コーエーテクモホールディングス 代表取締役会長、襟川恵子氏)に言われたそうですよ(笑)。もちろん鯉沼さんは、社長として、しっかりしすぎなくらいしっかりと仕事をしている人なのですが。

田畑鯉沼さんは、いい意味で細かいんです。話を聞いていると、社長になったいまも、プロデューサーとして開発現場の隅々にまで目を届かせているのがわかるんです。それでいて、経営者としてやらなければいけないことを「絶対完璧にこなすぞ」と、思って働いている人ですね。


――今回、鯉沼さんがインフルエンザで欠席されたのは残念ですが、またぜひ、お三方で語り合う機会を設けさせてください。

稲葉ぜひ!

田畑そのときは、社長室のベッドバック(笑)





ゲームとの出会い


――おふたりがゲームを好きになったきっかけは何だったのでしょうか?

稲葉僕は、小さなゲームコーナーみたいなところにあった『スペースインベーダー』です。小学校低学年のころだったので、100円がものすごい大金で。いまの10000円を使うくらいの気持ちで遊んでいた記憶があります。

田畑しかも、『インベーダー』って開始早々すぐに死ぬからね、あっという間に(笑)。だからその後、ファミコンが発売されたときの「ゲームセンターゲームが家でずっと遊べるんだ」という衝撃は、すごかったですよ。

稲葉じつは、僕はファミコンを遊んだのは遅かったんですよ。当時はずっとゲームセンターで遊んでいて、その後“マイコン”と呼ばれていた、パソコンに飛びついたんです。
 町にある電気屋に行って、雑誌に載っていたプログラムを、展示されているパソコンに2時間ぐらいかけて打ち込んで遊びました。でもお店でセーブなんてできないから……。

田畑一期一会ゲーム体験だ!(笑)

稲葉そう(笑)。でもパソコンゲームは、自分でプログラムをいじれるので、“ここを触ったらどう変わるか?”と、いろいろ試しながら遊べたんですよ。そうするうちに「自分でゲームを作ったらおもしろいな」と思って、小学6年生のときに、将来ゲームクリエイターになることを決めました。ゲームクリエイターという言葉自体も、まだなかった時代でしたが。

田畑ものすごく早いね。

稲葉それで、親に「ゲームクリエイターになったら母親にはダイヤの指輪、父親にはクルマとマンションを買うから」と言って、パソコンを買ってもらいました。そこからひたすらプログラミングに没頭した……わけではなく、『ザ・ブラックオニキス』(※1)などのパソコンゲームにハマりましたが(笑)


※1 『ザ・ブラックオニキス』……1984年BPSから発売されたPCゲーム。日本のRPG黎明期に人気を博した『ウィザードリィタイプ3DダンジョンRPG





――当時のパソコンって高額でしたよね。

稲葉PC-8801モニターデータレコーダーの値段はいまでも覚えていますが、合計したら軽自動車を買えるくらいの額でしたね。あそこパソコンを買ってもらっていなかったら、ぜんぜん違う人生を送っていたと思うので、両親には本当に感謝しています。まだ、父親にマンションを買ってあげられてはいませんが(笑)

田畑ゲーム業界で働いている僕ら世代の人たちって、当時パソコンを買ってもらった人が多いですよね。ただ、僕自身はパソコンを持っていなくて……、ものすごく『ザナドゥ』(※2)をプレイしたかったのですが、遊べずじまいで、この歳になってしまいました。


※2『ザナドゥ』……1985年日本ファルコムから発売。サイドビューとトップビューを切り替えながら進む冒険、美しいグラフィックなどがパソコンユーザーを魅了し、40万本を売り上げたアクションRPG




稲葉パソコンは買ってもらいましたが、ゲームを買うお金はないので、よくワゴンセールで1本500円くらいのゲームを購入していましたよ。これが、本当に驚くほどつまらないクソゲーばかりで(笑)。ここでゲームを見る目を養えたのかな、と。


――稲葉さんがパソコンにハマっていたとき、田畑さんはどんなゲームを遊んでいましたか?

田畑友だちの家で、ファミコンの『マッピー』や『ロードランナー』などで遊んでいたんですけど、当初はそれほどゲームにハマらなかったんですよね。

稲葉あれ、そうなんだ。

田畑でも、『スーパーマリオブラザーズ』は遊んでいて世界を感じたんです。あとは、ゲームセンターで見た『魔界村』に衝撃を受けました。「なにこれ怖っ! でも先が見たい!」と(笑)。そのころから、僕が好きになるのはハイエンドゲームグラフィックでしたね。

稲葉当時からそこはブレていないんだ。

田畑作る側になっても、格好いい、キレイな世界がいいな、という意識はありますね。

稲葉確かに、当時の『魔界村』はハイエンド感があったなぁ。

田畑頭抜けていたよね。ステージが連続しながら変化していくのも絶妙で。僕自身はゲームがうまくなかったので、上手な友だちのプレイを見て楽しんでいました。稲葉さんがゲームを“作る”から入っているのに対し、僕は“見る”から入っている(笑)
 その後、中学時代に『信長の野望』や『三國志』などのシミュレーションゲームに出会ったことで、その世界自体を終わりなく楽しめるゲームがあると知った。そこからゲームに対する考えが変わっていったように思います。


ふたりの就職活動に異常あり!?


――おふたりはどのような経緯でゲーム業界へ入ったのでしょうか?

稲葉僕はプログラムの勉強をするため、中学卒業後に、高専(高等専門学校)に進学しました。開設されたばかりの電子情報工学科でプログラムをひたすら学んでいましたね。
 ただバンド活動も始めて、17歳のときに「アメリカでプロドラマーを目指す」と、一瞬ゲームクリエイターへの道を外れたこともありましたが(笑)

田畑(笑)。でもゲームクリエイターになりたい、というのは基本的に一貫していたんだ。

稲葉でも就職のとき、問題が発生したんです。通っていた高専は、ソニーや東芝などの大手企業にも就職できるパイプを持っていて就職率も高かったんですが、困ったことに、そこにゲームメーカーは含まれていなかったんです。パイプのない就職先に行くことは、学校的にあり得ないことで、「俺、ゲームメーカーに行きたいんだ」とは言えない状況でした。
 そこでいろいろ考えたところ、学校が持つパイプのひとつに、ディスプレイメーカーのナナオ(※現EIZO)という、アイレムの親会社にあたるメーカーがあって。アイレムに行きたいことは隠して入社試験を受けました。
 そして、最終面接ではじめて「アイレムに入りたい」と言ったら……役員の方々に「ゲームみたいなことをやるヤツはろくなもんじゃねぇ」と怒られました(苦笑)。けっきょくは、その場で急遽アイレムの人との面接が行われて、めでたくアイレムに入社できたのですが。


田畑時代的に、ゲームが下に見られる風潮はあったよね。表舞台ではない、日陰者的な。

稲葉うん。いまはちゃんとした産業になったよね。一流大学から新卒で入ってくるし。

田畑だから逆にいまだと、僕なんか絶対ゲーム業界に入れないですよ(笑)

稲葉田畑さんは、いつごろからゲームクリエイターを目指したんですか? 大学に入学するときとか?

田畑進学時にはまったく考えていなかったです。地方出身者なので、大学受験のときは、ひたすら「東京に行きたい」という思いが強かったですね。就職活動のときも、『会社四季報』なんてすごく分厚くて読むのが嫌だったので、とりあえず自分の部屋にある、自分の好きな物に関わる会社を受けることにしたんです。インスタントラーメンの会社、映画配給会社、製菓メーカー、あとは……ゲーム会社、みたいな(笑)
 そして、いちばん最初に内定が出たのがテクモだったんです。いまでも覚えていますが、テクモの最終面接は、創業者の柿原社長(※柿原彬人氏)から問題を出されるんです。僕は「需要が供給を上回るとどうなる?」と聞かれました。僕は価格が上がると答えて、「違う!欠品するんだ!」と一喝されました。そして社長の肩を揉まされました。……なんで内定したんだろう(笑)

稲葉当時はテクモ以外の、ほかのゲーム会社も受けたんですか?

田畑カプコンにも履歴書を出しました。ただ、「あ、この会社は大阪だ」と途中で気づいて、面接には行きませんでした(笑)。製菓メーカーブルボンもかなり好きだったんですが、会社が新潟だったので諦めました。
 ちなみに僕、コンピューターの知識がないのに、テクモは開発志望で受けたんです。当時の僕は、モニターのほうの電源を入れて「あれ、このパソコン動かないぞ。おかしいな?」みたいなレベルだったのに(笑)

稲葉ええっ!?(笑) よくその知識でプログラマーになれましたね。それはそれですごい

田畑僕はプランナーでした。ただ当時のテクモでは、開発志望の人が入社後にプログラム研修を受けるんです。途中に何度かテストがあって、プログラムの理解度や技術が低かったりすると、開発からは足切りされてほかの部署に配属されていくんですよ。
 研修は3ヵ月くらい続いたのですが、最後のころは、僕は下から3番目でした。あと1回テストがあったら落ちていましたね(笑)


ゲーム業界のいまと昔


――おふたりは、ゲーム黎明期にプレイヤーとしてゲームに出会って、そこからゲームの歴史を文字通り体感されてきましたよね。その立場から見て、ゲーム業界がいまと昔で変わったと感じることはありますか?

田畑かつては、家庭用ゲーム機でたくさんソフトが発売されて、しかも出るたびに、ビジュアルも容量も進化していることに、熱くなっていたんですよね。各メーカー、各タイトルがものすごい競争をしていたのを、刺激として受けて、「ゲームってすごいな」というイメージを持ったんです。
 いま日本のゲーム業界からは、アプリはたくさん出ているかもしれないけれど、進化の競争をガンガンしている感じは、体感できてない気がします。

稲葉環境的に、自由さがどんどんなくなっていっている感じはありますね。業界的にマジメになっているなぁ、と。昔のアイレムとか、本当にひどかったですから!(笑)

田畑いや、どこも多かれ少なかれ、そうだったんじゃないのかな?

稲葉あ、大阪は全体的にひどかった! 僕ら自身もそんなにマジメじゃなかったですし。でも、そういうところから、冗談みたいなゲームもいっぱい生まれていたんですよね。
 就職した当時、PCエンジンの『ゼロヨンチャンプ』(※3)というゲームにハマっていたんですけど、僕は最初純粋にカーレースゼロヨンを楽しむゲームだと思って買ったんですよ。そうしたら、ゼロヨン要素は2割くらいで、あとはRPG風の警備員のアルバイトなどをして、お金を稼ぐパートゲームの大半を占めていた(笑)


※3 『ゼロヨンチャンプ』……1991年メディアリングよりPCエンジンで発売。主人公が“ゼロヨン”(400メートルの直線コースで速さを競うレース)のチャンプを目指すゲーム。本格的なRPG仕立ての“警備員”など、多彩なミニゲームで資金を稼ぎ、マシンを勝ったり改造したりしながらゲームを進めていく。シリーズ化され、多数の続編も発売された。




田畑もうレースゲームじゃないね(笑)

稲葉でも、RPGの作り込みがすごくて感動したのを覚えてます。あと、シューティングゲームの『超兄貴』(※4)も、バクだらけで当たり判定も滅茶苦茶なんだけど、世界観が突き抜けていておもしろかったです。こういう作品が、大手ゲームメーカーからは、本当に途絶えてしまっていますよね。


※4 『超兄貴』……1992年メサイヤが発売したPCエンジンスーパーCD-ROM2タイトル。筋肉美を前面に押し出した独特の世界観が極めて特徴的なシューティングゲームサウンドの評価も高く、いまも根強い人気を誇る。




田畑やっぱり上場企業になっちゃうと、優先事項が変わるのでなかなか難しいよね。

稲葉人もマジメになったけど、ビジネスとしてもマジメになったなぁ、と。ただ、根本的なものが変わったかというと、そんな感じもしないんですよね。
 ゲーム業界って、昔からハードを含めて、ずっと最先端の技術の実験をしているような業界じゃないですか。

田畑確かに。ゲームの技術やノウハウが活かせる分野ってすごくいっぱいあって、それがゲームの領域、可能性をさらに広げていく予感はしますね。

稲葉実際、家電製品などのUIは、ゲームの恩恵を受けていますよね。

田畑家電製品と違って、ゲームはめちゃくちゃ触られるからね。

稲葉操作していて少しでもストレスを感じたら、ゲームってもう終わりじゃないですか。ソニーの製品は、久夛良木さん(※プレイステーションの生みの親として知られる久夛良木健氏)が副社長になったあたりから、ずいぶんUIが改善された印象がありました。

田畑ゲームコントローラを使ってモニターキャラクターを動かしますが、指先の動きとゲーム画面がきちんと連動していないと、ぜんぜん気持ちよくならない。だから、入力に対して正確にフィードバックする仕組みを作るプログラマーは、すごいんです。
 ゲームを褒める言葉で、遊んでいて“脳汁が出る”的な表現がありますが、脳汁が出る以前に、キャラクターコントロールと制御のメカニズムを作っている人は、もっとすごいんですよ。本当に職人技なんです。


稲葉入力に対する人間の感覚がすごいな、と思うのが、昔あるアクションゲームの開発で、録画機器を通して制作していたことがあったんですよ。で、プレイするときに録画機器を外したら……、1フレーム分だけアクションが遅れてしまい、気持ちいいどころか、遊んでいて気持ち悪くなって、全部作り直したことがありました。

田畑そのレベルの感覚で作っているのだから、UIも発達しますよね。

稲葉ゲームにとって、ストレスは悪ですから。


――そういった操作まわりへのこだわりは、ゲーム開発の仕事を始めた当初からあったのでしょうか?

田畑自分が言語化できるようになったのは、キャリアを重ねてからですが、多くの人が昔からその領域で作っていたと思います。
 入社当時、スーパーファミコンの『キャプテン翼V 覇者の称号カンピオーネ』のデバックをしていたのですが、先輩たちが作り込むほどに、みるみる感触がよくなっていくんです。精度をどれだけ上げると気持ちよくなるのか、体感的に先輩たちは理解していた気がしますね。

稲葉僕は、最初にアーケードゲームの開発から入りまして。当時の開発用機材だと、ハードウェアの中の電気信号レベルの情報を直接見て、いじれたんですよ。
 これは直接的な操作感の話とは少し違いますが、そこでは1フレーム単位ではなく、CPUが命令を読み込んだタイミングとかを捕らえて、ナノ何秒単位(※ナノ秒は10億分の1秒)という、マイクロレベルの実行速度調整をするんです。アーケード開発でその感覚を、体の中に刻まれたんです。そういうことの積み重ねが高速化につながり、積もり積もってユーザーレスポンスにもつながりますから。


――それは先輩が教えてくれたのですか?

稲葉いえ、教えてはくれなかったですね。先輩が仕事をしているところを見ながら覚えました。

田畑当時は、手取り足取りで教えてはくれなかったですよね。俺なんか、いきなり「必殺シュートを30個作れ」と、振られたこともありました。最初は『キャプテン翼』の必殺シュートを作れるということで、「いいんですかッ!!」って、ノリノリで考えていたんですけど……、15個目くらいから嫌になるんですよ。「もうネタがないよ!」みたいな(笑)
 そんな時代だったんですが、いまも当時も、作り手の「ヒットさせよう」、「俺たちのゲームがおもしろいんだ」という意志と言うか、ある種の空気感は変わってないかな。

稲葉だから、マジメさは感じるけど、閉塞感みたいなものは感じないです。発想は無限大ですから。それに、最近はちょっとインディーが元気じゃないですか。

田畑2年前に初めて稲葉さんに会ったときにも、「インディーから、いろいろないいものが出ている」という話になりましたね。「自分たちが作れていないものを作れている」と。

稲葉そうそう。だから、その当時に「BitSummit(※4)に、いつかいっしょに出ましょう」って声をかけたんですよね。


※5 BitSummit……第1回が2013年に開催されて以降、毎年京都で開催されている、国内最大級のインディーゲームイベント。多くのインディー開発者が集い、作品の展示や講演などを行う。



田畑「会場の熱気がすごくて、行くと“ゲーム作るぞ!”という気持ちになれるよ」と言われたことを、よく覚えていますよ。

稲葉いま自分は、BitSummitでは飽き足らず、クロアチアスペイン、中東など、新興のゲームショウにも、チケットを購入して一般参加で回っています。地元のスタジオが作っているゲームが優先して出展されているので、それを見るのがたまらなくおもしろいです。ちなみに、田畑さん、昨年の12月リリースされた『GRIS』(※6)というインディーゲームプレイしましたか?


※6 『GRIS』……Nomada Studiosが開発し、Devolver Digitalより2018年に発売された2Dアクションゲーム。極めて独創的なアートワーク、音楽や演出がもたらす強烈な体験が、多くのプレイヤーを魅了している。Nintendo SwitchSteamで配信中。




田畑えーと……(スマホサイトチェック)。これ、すごく評価が高いね。

稲葉ビジュアルがキレイな2D横スクロールタイプアクションゲームなんですけど、これは僕の中で“ゲームオブザイヤー2018”ですよ。2Dだから寄りと引きしか演出ができないのに、演出力がすごいんです。アートとゲームの一体感を感じられて……、こういう作品が出てくるから、インディーはすごくいいな、と。価格も安いですしね。
 先ほど田畑さんが『ザナドゥ』の話をしていましたよね。Steamに『Monolith』(※7)というゲームがあって、ジャンルシューティングだけど、プレイ感は『ザナドゥ』なんです。これもオススメです。


※7『Monolith』……Team D-13が2017年に開発、発売したシューティング。全方位シューティングと、入るたびに構造が変化するダンジョンに挑むローグライクRPGを掛け合わしたシステムが特徴。Steamで798円で配信中(日本語未対応)。




田畑それじゃ僕もオススメを。イカダに乗って海上をサバイバルする『Raft』(※8)というゲームです。自分はイカダで漂流していて、放っておくと死んでしまいます。まず水を確保しなきゃいけないし、食料を手に入れて、食べられるようにしなきゃいけない。そこで水面に浮かぶ色々なものを拾っては、雨水を蒸留する装置やら、釣り竿など、生きるための道具を作り出していきます。そうやって頑張って生きながらえるゲームです。エイリムの高橋英士くんに教えられて、アーリーアクセス版をプレイしてみて、荒削りでしたが結構ハマりました。


※8『Raft』……Redbeet Interactiveが開発。Axolot Gamesより2018年に発売された1人称視点のサバイバルアドベンチャー。イカダに乗って大海原を漂流しながら、流れ着いた木材などを活用して飢えをしのいだり、海上生活を楽しもう。Steamで1980円で配信中。




稲葉おお、これもおもしろそうですね。


――稲葉さんは、インディーゲームのどんなところにいちばん惹かれているんですか?

稲葉その自由度です。発想の自由さと実行の自由さが一体化していてすばらしいですよ。パッケージソフトだと、ユーザーターゲットコスト回収率など、いろいろなことで自由度がガリガリ削られていきますので。

田畑インディーゲーム的なモノを作ってみたいという気持ちもあるの?

稲葉ありますね。ただそれは、プラチナゲームズぐらいの規模の会社でも、なかなか難しいんです。でも、やりたいですね。やりたいし、いや、やろうと思います!


クリエイター人生の後半戦


――輝かしいキャリアを積み重ねてきたおふたりですが、そろそろクリエイター人生も後半戦ですよね。目標などはありますか?

田畑僕は、“ゲーム産業のフロンティアはココだ!”という景色を一度見てみたいんですよね。新たに立ち上げたJP GAMESでは、「ゲームの可能性を広げる」をキーワードに、AIなどのテクノロジーを発達させて、オープンワールドの先の、未来のゲームの姿を目指していきたい。具体的にはまだ何も言えませんが、見ている方向はそっちです。

稲葉確かに48歳って、折り返し地点はすぎていますね。でも、まだまだ個人としても会社としても、やりたいことがいっぱいあって、はてしなく尽きない感じです。プラチナゲームズコンテンツメーカーなので、プラットフォームや市場がどう変わっていっても、コンテンツ永遠に作り続けていきたいですね。あとは、会社自体にもっとギラギラした凄みや存在感を持たせたいな、と。

田畑プラチナさんは、すでにものすごくギラギラしているじゃないの!(笑)

稲葉いや、まだまだです。


――多くの人が、「あのスタジオは刀を抜いたらすごい」と認識していると思いますよ。

稲葉刀を抜かなくても凄みが伝わるようなスタジオになれればと。

田畑ゲームスタジオとして、相当な高みにまで登っているプラチナゲームズが、さらに上を目指す……。たどり着く先を見てみたいですね。

稲葉まだまだ道半ばというか、駅伝の第1走者ぐらいの気分です。足りないところばかりなので。田畑さんのスタッフの方々とお会いしたことがあるんですが、すごくアグレッシブで、パワフルな感じがあって、うらやましかったです。

田畑専門ジョブは異なるけど、それぞれ“前に進みたい人”という感じなのかな? 僕も稲葉さんを通して神谷さん(※プラチナゲームズチーフゲームデザイナー神谷英樹氏)と話す機会をもらって、パワーをもらいました。
 じつは神谷さんと僕は、1994年ゲーム業界に入った同期なんですよ。当時は面識はなく、後で聞いた話なんですが、僕はテクモから、神谷さんはカプコンから内定をもらった後に、その年のAOUショー(※9)に行って、それぞれセガの『バーチャファイター』に衝撃を受けた、という共通点もあります。そこで、「それに比べて自分たちの入る会社は……」って思ったのも同じでした(笑)


※9 AOUショー……AOUアミューズメントエキスポの略。アーケードゲームの展示会。現在の、ジャパンアミューズメントエキスポ





――最後に今年の抱負、目標をお願いします。

田畑自分をガツンとアップデートしたいです。ずっと忙しい時期が続いて、いろいろな人と会ったり、いろいろな作品から学びを吸収する時間を作るのが難しかったので。ここでガツンと1回アップデートして、これからの仕事で自己ベストを更新していきたいです。アスリートっぽくなっちゃいましたが(笑)

稲葉今年の抱負は『The Wonderful 101』を再度世に出すことですね。うちの神谷いわく「世界でまだ13人しかプレイしたことがないゲーム」ですから。こっそりBrand newタイトルとして、Nintendo Switchで発表できればと(笑)。そのときはファミ通さん、プロモーションをお願いします!


鯉沼氏からメッセージ
 最後に、稲葉氏、田畑氏から改めて鼎談への参加をリクエストされたコーエーテクモゲームス代表取締役社長・鯉沼久史氏にコメントをいただいたので紹介しよう。



まず最初に、当日のインタビューを急遽キャンセルしてしまいすみませんでした。

ちなみに稲葉さんのお話されていた社長室へのベッド導入は、「体調悪ければ会社にきてから休みなさい」と言う、襟川惠子会長の心遣いからされたものです。

とはいえ、社長なんだから人に隙を見せず、そして休まずの「帝王学」的な所から来てるかなと思って、頑張っております。
発熱くらいなら大丈夫と思っていたのですが、インフルエンザと診断されてしまい、参加を断念しました。
行くことが出来ずに本当に申し訳ない

また、お二人とも同期生ということもあってゲームの話もよく合い、たまにお会いして楽しくお話させていただいています。
本当は表にでてこないフィクサーが裏ボス的な感じなんですけどねー。

対談はできたらリベンジしたいです。
ぜひよろしくお願いします!

今回は関係者各位、誠に申し訳ありませんでした。

株式会社コーエーテクモゲームス
代表取締役社長
鯉沼 久史