今年1月に現役引退を発表した元日本代表GKの楢崎正剛の引退セレモニーが、3月2日名古屋C大阪戦の試合前に行われた。彼について、いまさら多くを語る必要はないだろう。1995年に、いまは消滅した横浜フリューゲルスに入団すると、新人ながら正GKとしてゴールマウスに立ち、98年に横浜Fが消滅すると名古屋へ移籍。そして名古屋で引退するまで19年連続して守護神として君臨した。

その間にはJ1リーグ優勝もあればJ2降格の屈辱も経験した。J1出場631試合は歴代最多で、日本代表としても77試合の出場を誇る。昨シーズン限りで現役を引退した川口能活とは永遠のライバル関係であり、昨シーズンのJ3最終戦では川口の引退セレモニーにサプライズゲストとして登場し、3月2日の楢﨑のセレモニーには川口が参加。「最強で最高のライバルでした」と労いの言葉をかけた。

そんな楢﨑のハイライトシーンといえば、やはりトルシエジャパン時代だろう。オーバーエイジ枠で出場したシドニー五輪ではベスト8進出に貢献。準々決勝のアメリカ戦では味方選手と激突し、流血しながらもプレーを続けた。残念ながらPK戦では中田英寿ポストに当ててしまいメダルには届かなかった。

しかし2年後の日韓W杯では正GKを務めて初の決勝トーナメント進出に貢献。フランスW杯とドイツW杯は川口が正GKと、2人が先発した国際Aマッチは192試合にも及ぶ(川口が116試合、楢﨑が76試合)。川島が台頭する南アW杯まで約15年近くも2人はライバルとして代表正GKの座を争った。

そんな楢崎で思い出すのが、彼が高校3年で迎えた全国選手権だ。当時勤務していた専門誌では、高校選手権のガイドを付録として付けていた。そこで高校サッカー担当の金子達仁くんが、「将来は日本代表になる」とカラーページで紹介するよう一押ししたのが楢崎だった。

その予感は的中し、奈良育英高校は初めて選手権でベスト4まで勝ち上がる。2回戦から登場すると、前年に川口を擁して優勝した清水市商に1-0、3回戦四日市中央工に2-2からのPK戦を9-8と退け、準々決勝では三本木農に1-0の完封勝利を収めた。

残念ながら準決勝で優勝した市立船橋に0-3で敗れたものの、市立船橋は決勝で帝京を5-0と粉砕する驚異的な破壊力を持ったチームだけに、3失点でとどめたのは楢崎のおかげでもあるだろう(当時の市立船橋は得点王の森崎嘉之、北嶋秀朗ら錚々たるメンバーだった)。

今後は名古屋スペシャルフェローとして後進の指導にあたるという。どうやら引退後も川口とのライバル関係は続くようだ。


【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグ日本代表をはじめ、W杯やユーロコパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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