昨年(2018年)9月、中国である若い母親が幼い子供と両親、そして愛猫を残してこの世を去った。

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 31歳だった。名前は王さんという。王さんは「P2P(ピア・ツー・ピア)融資」に、日本円にして400万円を超える資金を投じていた。

中国人が夢中になったP2P融資とは

 中国の金融経済が危ない。企業は信用破綻を起こし、個人は財テクで失敗している。特にここ数年は、インターネット金融の発展で身近になったP2P融資が庶民に悲劇をもたらし、問題になっている。

 P2Pは「借りたい個人」と「貸したい個人」を結びつけるプラットフォームだ。貸し手にとっては、見知らぬ個人に資金を貸し付けることで高利回りのハイリターンを手にすることができる。中国では近年、多くの人々がこのP2P融資に“虎の子”を投じた。

 P2P融資のプラットフォーム運営業者は、あくまで借り手と貸し手を結びつける仲介業である。プラットフォームの運営母体が資金を集めることは違法とされている。だが、業界が許認可制ではなかったこともあり、一部詐欺まがいの悪質業者が百鬼夜行していた。

「償還の遅れ」や「資金の横領」「殴る蹴るの暴力的な督促」などの問題が顕在化、被害を受けた人たちの叫び声が大きくなる中、当局は昨年、業界に一定水準のハードルを設け、不合格企業の淘汰を試みた。これがきっかけとなり、破綻するプラットフォーム業者が続出。同時に、P2P融資に投資をしていた人たちが巻き添えになった。

「P2P融資の大損」に絶望したのではない

 王さんもその中の一人だった。

 中国のインターネットには、王さんの遺書が掲載されている。遺書は「ごめんなさい、もうやっていけなくなりました。諦めたからこの道を選びました・・・」という文章から始まる。続いて、P2P融資業者への捜査が始まり1カ月が経っても進展はなく、責任者が逮捕されない上、業者の資金凍結もされないといった嘆きが描写されていた。

 だが、彼女が絶望したのは、P2P融資で大損したことではなかった。

 彼女は自宅のある浙江省から上海市に向かい、自分と同じ被害者たちと一緒になってP2P業者の株主からお金を取り返そうとした。だが、被害者の数よりはるかに多い警察によって、強制的に追い払われてしまった。上海市政府に出向いて行う予定だった陳情も、阻止されてしまった。

「お前たちは国家の安定を妨げる悪い分子である。よって、陳情は制限する」――。王さんがショックを受けたのは、政府側から“犯罪者扱い”されたことだった。

 王さんはこう綴る。

「お金はそんなに重要じゃない。まだ若いから稼げるし、生きてもいける。だけど、あの言い方だけは本当に受け入れられない」

 子どもの頃から愛国教育を受けて育った王さんは、誰よりも国に期待を寄せていた。だが、陳情に行って目の当たりにしたのは民衆を蹴散らす国家権力だった。その衝撃と絶望が、決断の引き金を引いた。

「私は行きます。生活に、社会に自信がなくなったから。死ぬのは怖くない、でも生きているのが怖くなった。身勝手なのはわかっていますが、子どもをどうかよろしくお願いします、そして私の猫も。<中略> 息子へ。ママは行くね。ちゃんと勉強してね。大きくなったら留学し、移民するんだよ。ママはあなたを育てることができないけど、あなたの無事を祈っている」

中国人は暴落してもめげなかった

 P2P融資はハイリスクハイリターン財テクであり、大損したとしてもそれは自己責任である。だが、政府はもっと早い段階で手を打つことはできなかったのか。

 2015年は、中国の「インターネット金融元年」だったと言われる。中国政府はP2P融資を含めたネット金融の発展を加速させようとしていた。一方、2015年の時点で、当局はP2P融資による被害者が増加し、大きなリスクが潜んでいることも認識していた。だが、「個人間の貸し借りは自己リスク」との考えから、P2P融資を許認可制に移行させることはなかった。

 しばらく業界の動向を眺めて、後から規制をかけるというのが中国政府の常套手段である。しかし、今回はそれが遅きに失した。業界参入のハードルが低く、明確なルールもない中、P2P融資に“望み”を託した多くの人が犠牲となり、“悲劇の結末”を迎えてしまったのである。

他の先進国とは異なる道を歩む中国

 先週、筆者はある日本人女性と再会した。筆者と同様、彼女もまた1990年代後半から上海で生活していた日本人である。

 90年代後半を振り返って、彼女がこう語った。

「97年のアジア経済危機で上海株が大暴落したの覚えてる? あのとき、上海人の友人が突っ込んだ32万元がたったの2万元になってしまった。でもあの人、全然平気だった。リーマン・ショックで暴落したときもそうだった。別の友人が財テクで大損したんだけど、やっぱり実にあっけらかんとしたものだったわ」

 あの頃はまだ社会の雰囲気も明るく「損しても、いつかまた取り返せる」ぐらいの自信を誰もがみな持っていたような気がする。

 当時、日本人の私たちは「中国はいずれ先進国と同じように国民が主役の社会になる」という期待を抱いていた。中国の人々も同じように、遠くない将来において民主化された社会が到来することを心のどこかで思い描いていた。

 それから20年あまりが過ぎた。中国は予想に反して、他の先進国がたどるのとはまったく異なる道を歩んでいる。常に前向きでいた中国人たちが、そうでなくなりつつあることに、中国社会の変質を感じずにはいられない。

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