日本における食肉の定番といえば、牛肉、豚肉、鶏肉です。一方、馬肉や鹿肉、猪(イノシシ)肉などはマイナーではあるものの、近年の「ジビエブームもあり、牛や豚などとは異なるうま味を好んで食べる人も多いようです。これらの肉は「さくら」「もみじ」「ぼたん」という別名でも呼ばれますが、ネット上では、「どうして肉を花の名前で呼ぶんだろう」「花の色と似てるから?」などの声が上がっています。

 食肉の別名には、どのようなルーツがあるのでしょうか。和文化研究家で日本礼法教授の齊木由香さんに聞きました。

禁忌とされた時代の「隠語」

Q.馬肉、鹿肉、猪肉が別名で呼ばれるようになった理由と背景を教えてください。

齊木さん「これらの肉が別名で呼ばれるようになったのは、獣肉を食べることを禁止されていた時代に『隠語』として使われていたことに由来します。

戦国時代から江戸時代にかけて、僧侶が宗教的な理由で肉を食べられないことや、徳川綱吉による『生類憐(あわれ)みの令』が定められたことで獣肉食が禁忌とされ、それが上流階級を中心に『建て前』として守られていました。

一般庶民の間でも、馬や鹿、猪などの獣肉食は抑制的で、それらの肉を提供する店では、先述の通り隠語を使って客を呼び込んでいました。この獣肉を出す店を『ももんじ(怪しい)屋』と言っていたようです。『ももんじ』の語源は妖怪『ももん爺(じい)』のようです」

Q.なぜ、馬肉は「さくら」、鹿肉は「もみじ」、猪肉は「ぼたん」なのですか。

齊木さん「それぞれの肉ごとに、以下のようなさまざまな理由・諸説が存在します」

【馬肉=さくら

・馬肉を切った時、切り口の赤身部分が鮮やかな「さくら色」であることから
・桜の咲く時期の馬肉は、冬の間に草や穀類をたくさん食べ、脂がのって美しいことから
・幕府の直轄の牧場が佐倉地域周辺(現在の千葉県北部)にあり、「馬と言えば佐倉」だったことから

これらの中で、「切った時の肉の色がさくら色であることから『さくら肉』と呼ばれた」説が有力とされています。ちなみに、昔は刺し身ではなく、鍋物として食べられることが主流でした。

【鹿肉=もみじ

諸説ありますが、花札の10月札「鹿に紅葉」の絵柄から、鹿肉を「もみじ」と呼ぶようになったとされています。ちなみに、この札に描かれた紅葉の木の下で、鹿がツーンとそっぽを向いていることから「シカト」という言葉ができたと言われています。

【猪肉=ぼたん

猪肉を切って皿に盛り付けるとき、「牡丹(ぼたん)の花」のように飾ることに由来します。猪鍋(ぼたん鍋)で皿に盛られた肉は本当に「ぼたん」のようにきれいなものです。

Q.鶏肉を「かしわ」と呼ぶことがありますが、なぜでしょうか。

齊木さん「『かしわ』の由来も諸説あります。鶏の羽ばたきが、神社で手のひらを打ち合わせて鳴らす『かしわ手』を打つ姿に似ていること、朝廷に存在した『膳部(かしわべ)』という料理法などがありますが、食用にされていた鶏の色が『カシワ(柏)』の葉の色に似ていたから、という説が有力です。現在は鶏肉全般が『かしわ』と呼ばれています。

ちなみに、先述の馬、鹿、猪とは異なり、鶏肉は江戸時代には主に水炊きとして一般的に食されていました。江戸時代の料理書『料理物語』(1643年)には、鶏卵を用いた各種料理や菓子が記されています」

Q.これらは、なぜ植物の名前なのでしょうか。

齊木さん「動物を食することは、生き物を殺すことを禁じる『殺生戒』に反するので、植物の名前を仮称することで世間の批判をかわし、良心の呵責(かしゃく)を和らげたと考えられます」

Q.他にも、別名を持つ肉はありますか。

齊木さん「植物の例えではありませんが、別名がある食べ物は他にもあります。馬肉には『さくら』以外の呼び名もあります」

すっぽん】見た目の通り丸い形をしていたことから別名「マル」
【ふぐ】下手したら当たって死ぬことから別名「テッポウ」
うさぎ】“うさぎに月はつきもの”ということから別名「月夜」
【馬肉】馬は外敵を蹴飛ばして攻撃することから別名「けとばし」

Q.牛肉や豚肉、羊肉にも、別名はあるのでしょうか。

齊木さん「今でこそ一般的な牛肉、豚肉、羊肉は『畜肉』です。『獣肉』と違って隠すことがなかったため、隠語が作られることはありませんでした。ただし、牛は“労働力”という概念があり、明治に入るまで食べる習慣がありませんでした。

江戸時代後期には、獣肉の総称として『山鯨(くじら)』が使われています。魚とされていた鯨に擬した獣肉を指し、料理として食べさせる店では、一番美味とされる猪を主力商品としていたことから、特に猪肉を指します。

今でこそ、当たり前のように食べていますが、獣肉が禁忌とされていた時代の『どうにかして食べたい』という先人の知恵に想いを馳(は)せながら頂いてみてはいかがでしょうか」

オトナンサー編集部

牡丹の花のように盛り付けられた猪肉