(右田早希:ジャーナリスト

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「パル オムヌンマル チョルリカンダ」(발 없는말 천리간다)

 朝鮮半島に、昔から広く流布する諺だ。直訳すると、「足のない馬、千里を行く」。これだとチンプンカンプンだが、朝鮮語韓国語)では、「マル(말)」には二つの意味があって、「馬」と「言葉」。つまりこの諺は、「人の噂話というものは、アッという間に千里も伝わってしまう」と諭しているのだ。換言すれば、朝鮮半島の人々は、噂話が大好きだということだ。それは、いくら北朝鮮のような閉鎖社会であっても、基本的に変わることはない。

会談決裂は北朝鮮国内で「周知の事実」

 先週2月27日、28日に、トランプ大統領金正恩委員長ハノイで行った米朝首脳会談の「世紀の決裂」は、一週間が経っても、北朝鮮国内では「成功裏に終わった」ことになっている。例えば、朝鮮労働党中央委員会機関紙『労働新聞』(3月5日付)は、こう報じている。

朝鮮労働党委員長でおられ、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長でおられるわれわれの党と国家、軍隊の最高領導者・金正恩同志におかれましては、ベトナム社会主義共和国に対する公式親善訪問を成果を持って終えられ、3月5日に専用列車で祖国に到着された。(中略)

 明け方の3時に、歓迎曲が鳴り響く中で、敬愛する最高領導者同志が乗られた専用列車が平壌駅構内に静かに入ってくると、最高領導者同志を寝ても覚めても夢見ていて、ただお戻りになる日だけを日がな指折り待ちわびてきた全国人民の、烈火のような敬慕の情と立ち溢れる激情の噴出である「万歳!」の、爆風のような歓呼の声が、平壌の空を覆い満たし、こだましたのだった>

 明け方の3時に、平壌市民たちが歓呼するはずもなく、また本当に歓呼させられたなら、いい迷惑だったろう。朝鮮中央テレビの映像で見る限り、駅のホームに居残りの幹部たちがズラリ整列し、平身低頭で迎えていた。

 実際には、「金正恩委員長トランプ大統領と決裂した」という事実は、すでに北朝鮮国内に流布しているという。

胸を撫でおろした居残り組

 丹東で長く、北朝鮮への観光ビジネスを行っている中国人が証言する。

「中国と北朝鮮は、1400㎞もの国境を接していて、日々交流しているのだから、当然国境付近の北朝鮮人は知っている。われわれも中国のSNS上に載っている話を、北朝鮮人たちにしている。彼らは裏では、『3日もかけてハノイまで列車で往復して、いったい何をやっているんだ?』と呆れ顔だ。

 そもそもいまの北朝鮮人は、父親の故・金正日総書記に抱いていたような敬愛の念を、金正恩委員長に対しては抱いていない。ただ従え、尊敬しろと命じられて、面従腹背で頭を下げているだけだ。

 丹東で北朝鮮ビジネスをやっているわれわれは、今回の米朝会談後に、対北朝鮮ビジネスが本格的に復活できると期待していただけにガッカリだ。だが、私たち以上にショックを受けているのが、当の北朝鮮人たちだ。あと一年もいまの経済制裁が続けば、北朝鮮は潰れてしまうよ」

 これから北朝鮮で起こってくるであろうことが、二つある。

 一つ目は、今回の「ハノイの決裂」に対する朝鮮労働党内部での「総括」だ。すなわち、誰を「生贄(いけにえ)の羊」にし、責任をなすりつけて粛清するかということだ。今回、ここまで「最高権威」(金正恩委員長)に国際的な恥をかかせてしまったのだから、「プライドの国」と言われる北朝鮮で、金委員長の側近たちが無事で済むはずがない。

 最も危険なのは、『労働新聞』などで、金正恩委員長に同行してハノイ入りしたと報じられた「側近11人組」である。北朝鮮メディアで紹介されている順に名を挙げると、朝鮮労働党中央委員会副委員長の金英哲、李洙墉、金平海、呉秀容、李容浩・外相、努光鉄・人民武力相、朝鮮労働党中央委員会第一副部長の金与正、李英植、金成男、崔善姫・外務副大臣、朝鮮労働党江原道委員会委員長・朴正男である。

 少なくともこのうち何人かが、血祭りに上げられることが予想される。「無事」が保証されているのは、金正恩委員長の妹である金与正と、金委員長スイスで過ごした少年時代に父親代わりとなった李洙墉くらいのものだ。李洙墉は今回、世界遺産ハロン湾の観光視察をやっていたくらいなので、アメリカとの交渉からは外されており、直接的な責任は問われないだろう。だが残り9人の幹部は、いつ誰が無惨な粛清に遭っても不思議ではない。

 象徴的な映像があった。前述の朝鮮中央テレビが映し出した駅のホームで出迎える光景で、留守番役を担った幹部たちは、一様に明るい表情を見せていたのだ。朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員会委員の金永南、崔龍海、朴奉珠らである。彼ら「居残り組」の心中を察するに、「ハノイに同行を命じられなくてよかった」と、ホッと胸を撫でおろしていることだろう。

密かに軍を恐れる金正恩

 もう一つ、今後の北朝鮮で起こってくるだろうことは、120朝鮮人民軍の再度の台頭である。

 金正恩委員長は昨年4月、朝鮮労働党第7期中央委員会第3回総会を招集し、国家の重要決定を行った。それは、それまでの「核と経済」という「並進路線」をあっさり放棄し、「核開発は完了したので、今後は経済建設に専念する」と定めたのだ。

 以後、金委員長は、朝鮮人民軍をあからさまに軽視してきた。北朝鮮の長年の「仮想敵国」であるアメリカ北朝鮮が、ともに敵国でなくなれば、これまでのような強大な軍事力を有している必要がない。というより、今後の経済開発にとって、軍はむしろ「お荷物」になってくる。

 金正恩委員長は、これまで長く朝鮮人民軍が独占してきた軍需経済などの既得権益を剥ぎ取ることを、使命にしてきたのである。だから金委員長は、内心では軍を恐れている。恐れているから、空軍が管理している自分の専用機には乗らず、鉄道省が管理している専用列車に乗って、はるばるハノイまで出かけて行ったのである。

 3月5日には韓国の国家情報院が国会で、「北朝鮮北西部・東倉里(トンチャンリ)のミサイル発射場で、撤去した施設の一部を復旧する動きが把握された」と報告した。朝鮮人民軍は今後、核開発もミサイル開発も復活させるよう、金正恩委員長に強い圧力をかけていくだろう。

 朝鮮人民軍クーデターを起こされないためには、金委員長はある程度、軍の意向に沿った国家運営をしていかねばならない。一年数カ月の「平穏の時」を経て、北朝鮮が再びキナ臭くなってきた。

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