早いもので、今日3月11日東日本大震災から8年目が経過した。そこで今回は8年前のJリーグを振り返ってみたい。まず前年の成績からFC東京、京都、湘南の3チームがJ2に降格。代わりに柏、甲府、福岡の3チームがJ1昇格を果たした。

シーズン開幕を告げる2月20日ちばぎん杯はJ1昇格を決めた柏が北嶋のゴールで1-0の勝利を収める。そして6日後のゼロックス杯では名古屋と鹿島が激突し、1-1からのPK戦を3-1で制した名古屋に凱歌があがる。PK戦では3本のシュートストップしたGK楢崎が勝利の立役者となった。

そして迎えた3月5日、J1とJ2が開幕する。当日は味スタでのFC東京対鳥栖戦を取材した。第2節は12日と13日開催予定だったが、11日に未曾有の大地震東北地方を襲う。当日は昼過ぎまで自宅で原稿を書き、その後は代々木第1体育館で開催中のフットサル、プーマカップを取材するため準備をしているところで尋常ではない揺れを感じた。

すぐにテレビをつけると、やがて東北各地から津波の映像が次々に映し出される。後に代々木第1体育館で取材中だった同業者に聞いたところ、始めは揺れを感じて外へ逃れようとしたが、むしろ体育館内にとどまった方が安全だということで、しばらくは体育館で過ごしたという。しかし、交通網は完全に遮断されていたため、帰宅は徒歩しか方法はない。神保町の出版社に務める友人は、自宅のある柏市まで8時間かけて歩いて帰ったそうだ。

当然、Jリーグはすべて中止となった。J1は第2節から第6節まで、J2は第2節から第7節まで延期することが決定。被害を受けたスタジアムは鹿島のホームであるカシマスタジアムと、仙台のユアテックスタジアムは一部損壊があるものの試合続行は可能だった。その代わり宮城スタジアムは震災の救援拠点として使われるため使用できなくなった。

では、なぜ試合ができなくなったかというと、福島の原発が被害を受けたことによる電力不足が原因だった。震災による電力不足と、当時実施された「計画停電」が継続されていたこと、そして東北・関東の被災状況を鑑みてJリーグリーグとカップ戦の中止を決定した。

その他にも3月25日と29日に予定されていたキリンチャレンジ杯も中止となり、29日の長居での試合は日本対Jリーグ選抜のチャリティーマッチに変更された。当時のことを覚えているのは、25日に叔母が死去し、31日は父が他界と、1週間で2人の親族を亡くしたからでもあった。

震災から約1ヶ月後の4月10日、PSM(プレーシーズンマッチ)として浦和が山形と、16日は大宮が仙台と対戦した。浦和のマルシオ・リシャルデスは、仙台のマルキーニョスがブラジルへ帰国したことについて「外国人は地震の経験が少なく、今回こういうことがあって、マルキーニョスらが住んでいる場所は大変な被害に遭った。彼らの身になって考えると正しいことだし、同じブラジル人としては寂しいけど、安全面を考えると理解できる」と同情していた。

震災後、初の公式戦は4月19日のACL(アジアチャンピオンズリーグ)グループリーグの鹿島対水原戦で、J1リーグが再開されたのは23日の第7節、鹿島対横浜FM戦からだった。いずれも鹿島のホームゲームだったが、カシマスタジアムが使用できないため国立競技場で開催された。翌24日は浦和対名古屋戦を取材し、29日には被災地をこの目で見るためユアテックスタジアムでの仙台対浦和戦を取材した。

試合はホームの仙台が1-0の勝利を収めた。試合後の手倉森監督は「被災地である東北のプロチームが本拠地で試合ができる。確実に復興、前に進んでいることを実感できる。こういう状況でも勝てるということを示せば、前を向いて生きる勇気、パワーを2つのスタジアムから送れればいいと思う。東北にもパワーがあることを示せたと思うし、これを1年間続けないといけない」と力強く語っていた。

この年の仙台は粘り強い戦いから14勝14分け6敗の好成績を収め、過去最高の4位でリーグ戦を終えた。失点はリーグトップの25点で堅守をベースに、先制した試合は無敗と勝負強さを発揮した。

J1リーグはJ2から昇格したばかりの柏が優勝を果たす。これはJリーグ初の快挙で、J2とJ1両ディビジョンで優勝したのも柏が初めてだった。下位に目を転じると、山形、福岡、甲府がJ2に降格したが、15位の浦和と16位の甲府の勝点差は3点で、浦和は降格の危機に見舞われたシーズンでもあった。

J2FC東京が圧倒的な強さで優勝を飾り、2位に食い込んだ鳥栖が初のJ1昇格を果たした。このシーズン以降、鳥栖は一度もJ2リーグに降格していないが、今シーズンは第3節を終了した時点でノーゴールの3連敗で最下位に沈んでいる。仙台も1分け2敗の16位と出遅れているが、彼らは果たして巻き返しは図れるのだろうか。


【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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