今やビールニュースタンダードとして、人々に受け入れられているクラフトビール

1994年の酒税法改正でビールの小規模製造が可能になり、全国の観光地で「地ビール」のブームが巻きおこりました。1990年代後半に第1次ブームが終息し、2000年代後半に再び注目を浴びたクラフトビール。この第2次ブームを牽引したのが、長野県軽井沢町に本社を置く株式会社ヤッホーブルーイングです。

このユニークな社名は、長野の山にあるビール醸造所からビールファンに向けて「ヤッホー」と呼びかけるこだまに由来。現在では、ファン主催のイベントまで開催されるほど多くのファンに愛されています。ヤッホーブルーイングは一体どのような企業なのでしょうか?社員やファンから「てんちょ」の愛称で親しまれる代表取締役社長・井手直行さんに話を伺いました。

f:id:hito-contents:20190307150643j:plain株式会社ヤッホーブルーイング代表取締役・井手直行さん(愛称:てんちょ

どこに行っても門前払い、突然ビールが売れなくなった

ヤッホーブルーイングが手掛けるクラフトビールは、思わず手に取りたくなってしまうユニークなものばかり。例えば、定番の「よなよなエール」は、毎晩(夜な夜な)楽しんでもらいたいという願いを込めたネーミング。今までのビールの常識とは一線を画す味とデザイン、さらに一度聞いたら忘れないネーミングは、ビール売り場の中でも異彩を放っています。

f:id:hito-contents:20190307150803j:plain写真左から、すっきりとした飲み口が人気の「水曜日のネコ」、主力製品の「よなよなエール」、ホップの苦味と深いコクが特徴の「インドの青鬼

そんなヤッホーブルーイングの創業は、1997年。創業者である星野佳路(現・株式会社星野リゾート代表)さんが、アメリカで出会ったクラフトビールの文化に可能性を感じ、日本国内でのクラフトビール製造に乗り出したのがきっかけでした。

そして、その少し前、現・代表取締役社長の井手さんは、軽井沢町内の広告代理店に勤務していました。取引先だった星野さんに声をかけられ、クラフトビールの営業職として立ち上げからヤッホーブルーイングジョインします。

f:id:hito-contents:20190307150952j:plain長野県佐久市にあるヤッホーブルーイングの醸造所

「創業時は、地ビールブームの真っ只中でした。どの観光地へ行っても、その地域でつくられた地ビールを選ぶお客さんが多かったんです。なので、わたしたちのビールも営業をかけずとも飛ぶように軽井沢で売れていきました」(井手さん/以下同)

しかし、観光地で飲む地ビールは一度飲むと満足してしまう方が多く、次第にリピーター獲得に苦戦するように。やがて1999年を境に地ビールブームは終焉を迎えます。ヤッホーブルーイングも例外ではありませんでした。どの酒屋や問屋に行っても門前払いをされるほどに。いくらビールをつくっても売れず、なす術がなくなりました。

f:id:hito-contents:20190307151847j:plain夏季には予約制の醸造所見学ツアーを開催し、これまでに1万人以上が訪れた

ビールをつくれば売れていた時期から一転、いくら営業をかけても取引先は見向きもしてくれなくなりました。売上は毎年3割減。廃棄するビールも多く、社員の士気もみるみる下がっていきます。そこで井手さんは、背水の陣ともいえるある施策を打ち出しました。

「事業を畳むかどうかの窮地に陥った時、楽天市場にショップを展開していたのに、開店休業状態でそのまま放置していたことを思い出しました。とにかく何でもいいから行動を起こさないと、落ち続ける売り上げに歯止めをかけることはできません。一念発起して、営業からウェブショップの専任担当者になりました」

当時インターネットに関する知識はほとんどなかったという井手さん。楽天株式会社が主催する講座を受講し、ウェブショップについて一から勉強をスタート。同時に、商品の販売促進や広報のテコ入れを始めました。習ったことを忠実に試し、個性を表に出したメールマガジンを定期的に発行。じわじわとファンつくようになると、少しずつインターネットでの売り上げが伸びていきました。

f:id:hito-contents:20190307152017j:plainウェブショップの店長だったので、メールマガジンで「てんちょ」の愛称を名乗ることに

「世間でもインターネットでの情報発信が流行りだしてきたのも幸いし、新聞やテレビなどのメディアに取り上げられる機会が増えていきました。メディア露出が増えると『よなよなエールをうちでも扱いたい!』という声が多く寄せられるようになって。門前払いされていたお店からも、逆に声がかかるようになったんです」

地道に個性的なビール造りを続けつつ、赤字続きの現状を打破する一手をつかんだ井手さん。いつ事業を辞めてもおかしくなかった逆風の状況で、井手さんを奮い立たせてくれたのは、星野リゾート代表・星野さんの存在だったと振り返ります。

「赤字続きの頃、『誰もビールを買ってくれないし、得意先もこんなビールは時代遅れだという。どうしたらいいんでしょう』と星野に泣きついたんです。そうしたら、彼は『とことんまでやってみよう。それでだめなら事業を畳んで、二人で湯川で釣りでもしよう』なんて開き直っちゃって」

井手さんの一番の趣味は釣り。夏が繁忙期のビール事業をやっているとなかなか釣りをする余裕はありません。その状況を知った上での言葉でした。

「あんなことを言ったけれど、星野さんは釣りなんかやったことがないんですよね。その言葉を聞いて、『ああ、この人こんな状況になっても、まだヤッホーブルーイングを諦めてないんだ。僕もとことんやっていいんだ』と思えたんです。それで、自分の人生をクラフトビール事業に捧げようと決めました」

f:id:hito-contents:20190307152220j:plain佐久醸造所からは活火山・浅間山が見える

悪口で溢れる社内を一掃したチームビルディング研修

その後インターネット販売は軌道に乗り、2008年に井手さんは社長に就任しました。今でこそ社員同士ニックネームで呼び合うフラットな同社ですが、当時の社内は今の様子からは想像できないほど雰囲気が悪かったのだとか。

f:id:hito-contents:20190307152419j:plainバリエーション豊富なオリジナルTシャツを多くの社員が着ている

「地ビールブームの追い風に乗っていた黎明期は、社内の雰囲気がよかったんです。ただ、売上げが落ち込んでいくと同時に、どんどん社員同士の関係がギスギスしていきました。その後ウェブショップでの取り組みが功を奏し、せっかく売上が伸びたのに、『箱詰めが間に合わなくて休日も出勤しなくちゃいけなくなった』『余計な仕事が増えて困る』なんて言われる始末で……。僕が社長になってからも一向に社内の雰囲気はよくならず、むしろどんどん人が離れていく一方でした」

組織改革の必要性を感じた井手さんはこの時、社員の心を変えるあるきっかけをつかみます。

「考えあぐねていたところで見つけたのが、楽天市場主催のウェブショップ店長向けのチームビルディング研修です。その研修に参加するうちに、何をやってもうまくいかずネガティブだったのが『チームを組めば、困難を乗り切れるかもしれない!』と前向きになったんです。これからのヤッホーブルーイングを牽引していくチームワークを磨くにはこの取り組みしかない。さっそくこれを社内研修として持ち込むことにしたんです」

f:id:hito-contents:20190307153357j:plainチームビルディングのプログラム内容の一部

研修は月5日、合計3カ月間をかけて行うプログラム。当時20人弱の社員に希望制で参加してもらうことになりました。一体どのような研修だったのでしょうか。

「例えば、蜘蛛の巣状に張り巡らせたロープを制限時間内にチームでくぐりぬけるアクティビティがありました。チームを組むと、まず作戦を練る人ととりあえずやってみる人の2タイプに分かれるんですよね。はじめは意見が分かれて衝突をしますが、次第にお互いの個性や特性がわかってきて力を合わせてミッションクリアできるようになっていきます」

一見すると、単なる遊びのようにしか見えない研修プログラム。何より5日間業務をストップするので、参加していない社員からのバッシングもありました。

しかし、研修をきっかけに前向きに仕事に取り組み始める社員が増えると、社内の風向きが変わり始めます。その後、辛抱強く年1回ずつの研修を続け、3期目を終えた段階で社内の雰囲気は劇的に改善。結束力が高まったヤッホーブルーイングはこの14年間、連続増収増益を達成しました。

f:id:hito-contents:20190307153643j:plainヤッホーブルーイングは増収増益継続中

低迷期を支えてくれたお客さんの存在

ヤッホーブルーイングのV字回復で、もう一つ忘れてはいけない存在があります。「よなよなエール」はじめとする個性的な製品の製造・販売を続けられたのは、同社のファンがいたからこそでした。

「地ビールブームの終焉後も他社製品に浮気せず、うちの製品を買い続けくださったファンの方々には感謝しかありません。メールや問合せフォームからいただいた応援メッセージに、我々がどれだけ励まされたことか」

ビールの消費量が年々落ち込む市場で、売り上げを伸ばしていくのはもはや至難の業。そのためにできる第一歩は、今いるファンを大切にすることにほかなりません。メールマガジンウェブサイトの更新はもちろん、リアルイベント飲み会)を開催してファン同士の接点をつくることで、熱量がファンからファンへ伝わるようになっていきました。

f:id:hito-contents:20190307153853j:plain2010年に初めて開かれたファンイベント「宴(うたげ)」

2010年よりファン参加型イベントとしてはじまった「宴(うたげ)」は、ヤッホーブルーイングファンを結ぶ大きな役割を果たしました。恵比寿で開催した初回は約40名のファンが集結。ビールを飲み交わしながらクイズ大会を開催するなど、熱量の高いイベントになりました。

「いまでもよく覚えているのですが、第1回目に北海道からあるご夫婦が来てくれたんです。その日、奥さんは風邪を引いていて声が出ないくらい体調が悪かったのに、宴を楽しみにしてくださっていたんですね。そもそも、イベント参加費よりも交通費のほうが遥かにお金がかかるじゃないですか。そして、2018年に実施したファンイベント『超宴』でそのご夫婦に8年ぶりにお会いしたんです。『実はあれから参加していなくて、これが2回目なんです! てんちょが覚えてくれてうれしい!』なんて言っていただけて。何千人も参加いただいている中でも、感動の再会でした。メーカーファンという立場ではありますが、ビールを通じて楽しい時間を過ごして、お互いが幸せな気分を共有できる。こんなうれしいことはありませんね」

f:id:hito-contents:20190307154006j:plainファン主催のイベントファン宴」も2018年7月に開催された

ファンイベント初開催から8年。2018年の『よなよなエールの超宴』は5000人規模のイベントに成長し、さらに盛り上がったそうです。この熱狂は、同社の地道な取り組みはもちろん、社長やスタッフとヤッホーブルーイングファンとの距離の近さが生み出したものなのでしょう。

順調だった黎明期を経て、廃業寸前の状況下で活路を見出した井手さん。前編では、創業エピソードからファンと共に唯一無二のビール文化を築くまで、その道のりを振り返っていただきました。後編では、ヤッホーブルーイングが打ち出す独自の採用方法や研修について伺っていきます。

《後編に続く》

 

取材・執筆:ナカノヒトミ 編集:鬼頭佳代(ノオト) 撮影:小林直博

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お話を伺った方:井手直行さん

1967年生まれ、福岡県出身。大手電気機器メーカー広告代理店を経て、ヤッホーブルーイング創業時の1997年に営業担当として入社。地ビールブームの衰退で赤字が続くなか、ネット通販業務を推進し、2004年に業績をV字回復させる。2008年に代表取締役社長就任。ニックネームは「てんちょ」で、よなよなエール愛の伝道師。

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