自身の団体「マームとジプシー」の活動と並行し、様々な企画公演で作・演出を担う藤田貴大。演劇活動10周年を経て、新たなフェーズを目指すと宣言した彼が選んだのは、大都市・東京とその日常だった−−。数年越しで温めてきた「ヒーローもの」や、柳楽優弥を主演に迎えた男性中心のキャスティングなど、目新しい要素の多い新作『CITY』について、藤田貴大に話を聞いた。

ーー昨年、別件の取材でお話を聞いた際に「自分の中で『BOAT』がひとつの区切りになった」と仰っていました。新作『CITY』には、これまでの藤田作品にない新しさがあるようにおもいます。まずは『BOAT』以降のご自身の活動について振り返りをお願いします。

とにかく『CITY』へ向かっていました。『書を捨てよ町へ出よう』(2018年10月11月)は、時代は異なるけれど東京のことを描いていて、『BEACH/BOOTS』(2018年12月2019年3月)は、東京から少し離れた場所、たとえば湘南とか奥多摩とか、それくらいの距離感で、都会の時間を忘れるために出向いたというイメージで描きました。東京や都会を描くことにチューニングを合わせてきた半年間だったし、この冬は常に『CITY』のことをかんがえながら過ごしてきました。

BOAT』で一区切りついた感覚は、もちろん僕にはあったし、たぶん僕の周りのメンバーにもあったとおもいます。ただ『BOAT』までの数年間の僕の作品は良くも悪くもお伽噺的であり、いつの時代のどの国なのか分からないシチュエーションで描いてきたんだとおもうんですよね。『CITY』ではもっと具体的に東京という場所にいておもうことについて、踏み込んで描いていくつもりです。これまでは、たとえばコンビニの店名とかも敢えて避けてきた。でも『CITY』はそういう具体的なモチーフも取り入れていきたいとかんがえています。

ーーモチーフを具体的に絞り込む作劇はマーム初期にも見受けられますね。

そうなんです。僕自身の過去に描いたモチーフについてもゆっくり思い出してみたけれど、あのころの作品は、やはり東京というより、伊達なんですよ。

ーーご出身である北海道伊達市

つまり東京は意外と描いていない。そういう意味でも『CITY』の台本は文字としても新しい書き方、というか文体に挑んでいるとおもいます。

ーープレスリリースなどの資料を拝見する限り、新しい試みを多く含んだ公演になりそうですね。既存のマームファンは驚くかもしれません。これらの着想はどの辺から?

いままで頭の中で作品を構築するときに、特定の役者が出てくることはまずありませんでした。モチーフのことばかりかんがえて、たとえば『BOAT』ならボートを集めたりだとか、そのことばかりをとにかくかんがえる。だけど今回は柳楽(優弥)さんのイメージがとても強いんですよね。それが自分でも驚くくらい新しいし、難しいと感じているところでもあります。柳楽さんの出演作は、もちろん作家も作品もバラバラなのに、全部が一つにつながった続編に見えてくるような感覚があって。一つ一つ、彼自身の人生のかけらを見ているような気持ちになる。そう感じさせてくれる柳楽さんであるからこそ、今回は彼のポテンシャルをいかに引き出せるかが、台本や演出の肝になるとかんがえています。さまざまな彼の出演作の「彼の表情の続き」を想像しながら、描いてみたい。

現在の東京の行き着くところまで行き着いていると感じと、「暗いエリア」の多いいびつなイメージ、それはしかも年々エスカレートしていて。そしてどうしようもなく生きているから生きてしまうようなひとたちで溢れている都市に、柳楽さんと真正面から挑みたいとおもっています。

ーー柳楽優弥さんが主演であること。そして、東京をモチーフにした大都市の物語であること。それらと掛け算をする「要素」と言えば、他に何が挙げられますか?

ヒーローもの」というキーワードが、ここ数年間僕の中でずっとくすぶっています。最近だと(M.ナイト・)シャマランの『ミスターガラス』を観て、それに至るまでの作品も見返して、とても感動しました。定番のヒーローものではなく、「そもそもヒーローとは何か?」とか「悪を退治するとは?」ということも描いている気がして。『BOAT』までの僕の作品も「善悪とはじゃあ何か?」ということを描いていたのかもしれないけれど、『CITY』ではさらにそれを東京という舞台に置き換えて、描いてみようとおもっています。

2年程前から『CITY』については彩の国(さいたま芸術劇場)と打ち合わせを重ねていて、最初のオファーは「男性が中心の藤田作品を観てみたい」というものでした。いまかんがえても20代の頃は、かなり男性に対して潔癖だった部分が多かったというか、男性の俳優にそんなに興味がなかったのと、僕の舞台に男性が立っていることもあんまり想像できていなかった。自分が男性であるということにも違和感があった時期もあったし、「オトコ」というものに対する嫌悪感も強くて。そういう感情から女性の俳優たちと作品を揺り出していた時間もありました。でも30代になってしばらく経って、自分が男性であるということ、そして男性でなきゃ描けないことがある、という自覚を少しずつ持ち始めたのだとおもいます。ある意味で、男性の俳優たちと僕の言葉や演出が持つニュアンスを描いてみるのも面白いかもなあ、と。大きな劇場でやると実質的に男手が必要になってきたというのもあるし、今回も出演してくれる(宮沢)氷魚さんとか、『書を捨てよ町へ出よう』に出演してくれた(佐藤)緋美さんとか、彼らにしかできないパフォーマンスが僕の作品に転がる言葉を扱ってくれて支えてくれた、という実感も強くなってきたこのタイミングなんですよね。『CITY』では、ここ数年の流れも踏まえたうえで、あえて全面的にそのムードを押し出してみようとおもっています。

男性キャストたちと、あなたの隣にもこういう怖いひとがいるかもよ? みたいな、都会における日常の不気味さを、「ヒーロー」という、もしかしたら特殊能力のあるひとなのかもしれないキャラクターたちに置き換えながら、善悪の線引きや、線そのものを疑っていきたくて。

エンターテインメントであることも、もちろん必要なことだとおもっていますし、たくさんの観客のみなさんに劇場へ足を運んでもらいたいとおもっていますが、そのうえで何割の観客のみなさんに、この作品を観劇したときに当事者意識を持ってもらえるか? ということが僕の仕事だとおもっています。僕が映画や小説ではなく演劇というジャンルに言葉の在りかを選んでいる理由は、やはり演劇というのはライブなんですよね。出演者も観客も、その日その劇場へ足を運んで、そこにいるひとたち全員が全く同じ時間を共有する。それが演劇の面白さだし、難しさでもあります。

ーーお話を聞く前の予想では、『CITY』はSFの要素が強く、日常や生活感と離れた世界なのかな? と感じたのですが、いまお話を聞いていると、むしろ大都会の日常やそこに暮らす人々の倫理観を見つめ直すような作品になる予感が。

そうですね、むしろそこが描けないとダメだとおもう。入り口としてはヒーローものを観るテンションで来てもらいたいんですよ、ほんとうに。「藤田って作家がヒーローを描くんだって」というノリで。でも上演中、そこで描かれているのは、なんだか生々しい、想像していたものとはちがう時間が流れている、というのもありだとおもうんですよ。観劇後には、それ以前とはまるでちがう感覚が残っている。まあ、作品というのはそもそもそういうものだとおもうし。たとえば戦争を扱った作品があったとして、それを描くときに限定された戦争を描くのかどうか、みたいな。もしかしたら、ここで描かれている戦争は色々な地域で起こっている戦争のことなのかもしれないし、あるいは日常のなかで起こっている葛藤のことなのかもしれない。というような、いろんな角度から見つめることができる作品を目指したいですね。

ーーそれは現代社会が藤田さんを駆りたてるのでしょうか? それとも藤田さん自身の興味の変遷が大きい?

どちらもあるとおもうけれど、むしろ「自分はものすごく普通のことを描いているなあ」と最近はおもうんですよね。新宿で朝まで飲んだら誰でも分かるようなことを描いているとおもいますよ。早朝の新宿を歩いただけで、誰でも色んなことがわかるじゃないですか。町中に現実の欠片が落ちていて、それこそ演劇以上に演劇みたいな光景が広がっていたりもする。でもそれはすべて現実であり、フィクションじゃないんですよね。

現代社会というのも、現在起こっていることは実際に起きていることで、すべてフィクションじゃない。いくら違和感を感じたところで、この世界はこの世界なんですよね。そういう現代という時間のなかでの生きづらさも、もちろん作品づくりと繋がっていますし。けれども僕はそんな世界のなかで、なんだか諦めがつかなくて、未だにフィクションを、演劇を立ち上げようともしている、ということなんでしょうね。

【動画】『CITY』プロモーション映像

取材・文:園田喬し  撮影:山崎信康

藤田貴大