2012年12月、早稲田大学社会科学総合学術院准教授の遠藤晶久氏は、早稲田大学の学生を50人ほど集め、PC画面上で世論調査に回答してもらい、アイトラッカー(視線測定調査)を使って画面のどのあたりを見ているか調べていた。

 だがプログラム設計時のミスで一部の回答データが記録されていなかったため、50人ぶんの動画を再生して個別に確認しなければならなくなった。そこで遠藤氏は、奇妙な体験をする。

 学生はまず、自分自身のイデオロギー位置について尋ねられるのだが、マウスカーソルはふらふらと画面をさまよい、回答に躊躇していた。次に自民党の位置を尋ねられても、同様にカーソルはさまよっている。さらに(旧)民主党公明党共産党についても回答を躊躇しているようだった。しかし(橋下徹氏時代の)日本維新の会の位置を尋ねる質問に画面が切り替わると、即断で選択肢がクリックされた。――「革新」側に。

 最初にその回答行動を見たとき、遠藤氏は、「早稲田の学生なのに、維新を「革新」と思っているのか……」と落胆したという。しかし、次の学生も、その次の学生も同様の回答パターンを示した。けっきょく、維新を「保守」側に位置づけた回答者は五十数人中わずか3、4人だった。

 なぜこんなことになるのか疑問に思っていたときに、2012年衆院選時に実施したウェブ調査のデータが届いた。それを年代別にしてイデオロギー位置の平均をとったところ、大学生どころか40代まで同様の認識を持っていることがわかった。

 こうして、日本では40代を境にして「保守」と「革新(リベラル)」が逆転していることが発見された。この傾向は5年後の2017年に行なわれた読売新聞早稲田大学共同世論調査ではさらに顕著で、若い世代は共産党を「保守」、維新を「リベラル」に分類し、自民党共産党や(旧)民進党より「リベラル」だと認識していたのだ。

 拙著『朝日ぎらい』(朝日新書)では、このデータを紹介して、「私たちは右と左が逆になった『不思議の国(鏡の国)のアリス』のような世界に住んでいる」と論じた。メディアや政治評論家がいまだ当然のように使っている「保守」対「革新(リベラル)」という分類は、まったく使い物にならなくなっているのだ。

 遠藤晶久/ウィリー・ジョウ『イデオロギーと日本政治』(新泉社)では、日本社会における政治イデオロギーの逆転をはじめとして、ビッグデータを駆使してさまざまな「通説」が実証的に検証されている。そこからわかるのは、「日本の右傾化」や「若者の保守化」など、当たり前のようにいわれていることのほとんどに根拠がないという驚くべき「事実(ファクト)」だ。

「日本の若者は右傾化しているのか?」

『イデオロギーと日本政治』で扱われているテーマは多岐にわたるが、ここでは「日本で極右支持は広がっているか?」と、「日本の若者は右傾化しているのか?」を見てみたい。

 西欧諸国の先行研究では、極右支持者は年齢が若く、男性で、宗教には入っておらず、教育程度が低く、社会経済的地位の低い単純労働者や自営業者、無職に多い傾向があるとされている(失業は極右支持を促す実質的な要因としてよく指摘される)。職業と宗教は社会への統合を働きかける重要な機能を果たしており、社会に統合されていないひとたちが極右的(ナショナリスティック)な政策を求めているのだ。

 極右支持者の信念体系の根本的な特徴は(アドルノによって定式化された)「権威主義パーソナリティ」で、多元主義や平等原則への拒否、攻撃的なナショナリズムの擁護、マイノリティへの差別を特徴とする。また、政治システムに対する不満は、しばしば既存の民主制度やプロセスへの不信につながっている。

 日本でも極右が広がっているのかを検証するには、こうした欧米の定義がどの程度当てはまるのかを実証的に調べてみる必要がある。そこで遠藤氏らは、2014年東京都知事選での田母神俊雄候補の支持層に注目した。

 田母神候補は自衛隊航空幕僚長時代に日本の侵略行為を否定する論文を発表して辞任、その後は保守派の論客として活躍し、極右支持者(ネトウヨ)のアイコンとなった。だとしたら、都知事選前後に行なわれたウェブ調査から田母神候補の支持層の属性を調べることで、日本の「極右」の実態が明らかになるはずだ。

 2014年の都知事選舛添要一宇都宮健児細川護熙の3候補の争いで、田母神候補は「泡沫」と扱われたが、おおかたの予想を超える60万票以上(全体の12.6%)を集めてマスメディアや政治学者・知識人らを驚かせた。出口調査の結果はさらに衝撃的で、20代の投票者は舛添候補の36%に次ぐ24%もが田母神候補に投票したとみられる。こうして、若者は「保守化」どころか「極右化」しているという話になっていった。

 実際、保守か革新かのイデオロギー質問(0が革新、10が保守の11件尺度)で、保守側の端の2値(9と10)を「極右」としてまとめると、全体のおよそ10%がこのカテゴリーに入るが、田母神投票者では22.5%とその割合の高さは際立っている。田母神投票者のイデオロギー自己位置の平均値は6.6で、他の3候補と比べればかなり保守側に寄っている(舛添投票者5.8、宇都宮投票者4.3、細川投票者4.4)。日本社会において田母神投票者のイデオロギー的な立場が(右に)急進的であることは疑いない。

 田母神投票者の平均年齢は42.6歳で、他の3候補の投票者より5歳以上若い。ウェブ調査全体の男女比は55対45だが、田母神投票者では63%が男性だ。これは、「極右支持者は若い男性に多い」という西欧諸国の知見と整合的だ。

 しかし「田母神投票者=極右」という予想に合致するのはここまでで、それ以外の指標ではどんどん「極右」像から離れていく。

田母神投票者は「日本人アイデンティティ主義者」

田母神投票者は「日本人アイデンティティ主義者」

 まず、田母神候補に投票した75%が職についていて他の候補者より4%は高く、その職の社会的な地位が低かったり、給料が安かったりすることもない。正規・非正規の雇用形態でも田母神投票者は他の回答者と変わりはなく、家計が経済的な圧力にさらされている証拠もない。

 ウェブ調査の回答者全体の24.2%は世帯収入が400万円未満だが、田母神投票者では22.5%と若干低い。欧米ではリベラルの支持者の方が経済的に恵まれているが、都知事選においては、(リベラルな)宇都宮候補(28.7%)や細川候補(25.2%)への投票者の方が世帯収入の低い層が多かった。

 田母神投票者の教育程度が低いということもない。そればかりか、田母神投票者の12%ちかくが大学院の学位を有していると回答している。その差は統計的に有意ではないとはいえ、日本には大学院卒が1.25%しかいないのだから、この数字が事実とすれば驚くべきものだ。多額の税を投入されている日本の大学関係者は、大学院がほんとうに「極右の巣窟」になっているのかを検証し、その実態を納税者に説明する責任があるだろう。

 都政レベルでも国政レベルでも、田母神投票者が舛添投票者と同様、かなりの満足感を示していることも興味深い。政治システムにもっとも不信を募らせているのは宇都宮投票者で、安倍政権を支持し原発再稼働に賛成する田母神投票者を「極右」の特徴である「抗議票」とすることはできない。

 ポピュリズムに関する質問では、田母神投票者は、「もっとも重要な政策決定は、政治家ではなく人々がおこなうべきである」という意見への同意がもっとも「少なく」(43.8%、全体で50.8%)、「一般的にいって政治家は庶民感覚がない」という意見への賛意も同様に「低い」(62.5%、全体で73.5%)。「政治とは究極的に善と悪の闘いである」という意見についてもほとんど差がなかった。ここからわかるのは、田母神投票者はそもそもポピュリストではない、ということだ。

 その一方で、「権威ある人々にはつねに敬意を払わなければならない」という意見に対しておよそ半数(49.7%)の田母神投票者が賛成しており、他の投票者より有意に高い。「伝統や慣習にしたがったやり方に疑問を持つ人は、結局は問題をひきおこすことになる」という意見についても田母神投票者の36.6%が賛成しており、これも他の候補者より高い数値を示している。

 さらに、田母神投票者の圧倒的多数は「子供たちにもっと愛国心や国民の責務を教えるよう、戦後の教育を見直さなければならない」という意見に賛成で(87.6%、全体で57.6%)、「国旗・国家を教育の場で教えるのは当然である」という意見も同様だ(94.5%、全体で全体で71.9%)。

 また、日本人と見なすための条件を尋ねていく質問では、(日本語を話せる、人生の大半を日本に住んでいる、日本の法律や政治制度を尊重している、など)3分の2の田母神投票者が先祖が日本人であることを重要としており、他の回答者(5割以下)より多かった。

 田母神投票者は、外国人についても肯定的な感情を抱いていない。とりわけ中国人と韓国人に対しては顕著で、欧米の反移民感情を説明するときの、「安価な労働力によって自国民の雇用機会が喪失する」という経済的脅威仮説でも、「見た目で少数派とわかる人々を忌避する」というヴィジブル・マイノリティ仮説でも説明できない。

 田母神投票者は「極右」でも「ポピュリスト」でもないが、「隣国への敵対的傾向を持つ愛国者」であることは間違いない。『朝日ぎらい』ではこれを「日本人アイデンティティ主義者」と名づけたが、ここにはその特徴が顕著に表われている。

田母神候補への投票と強く結びついた変数はナショナリズムと排外主義

 ウェブ調査のビッグデータを統計的に回帰分析すると、田母神候補への投票と強く結びついた変数はナショナリズム(「日本人」を「民族」に由来するものと定義する考え)と排外主義(外国人への敵意)だ。

 年長の投票者では、政治システムへの満足度が高いほど田母神への投票率も高いという、西欧の知見とは反対の結果が示されているものの、自己のイデオロギーとは関係なく、田母神候補への投票はナショナリズムと排外主義で説明することができる。

 興味深いのは、年少層では、ナショナリズムや排外主義と独立して、保守的な思考が田母神投票と結びついていることだ。

 これらの結果を私なりに解釈すると、2014年都知事選田母神候補に投票したのは「極右」「ポピュリスト」ではなく、日本の保守層のうち「愛国」や「嫌韓・反中」に強く影響を受けているひとたちだ。

 田母神投票者のうちの年長層は1990年代から「新しい歴史教科書をつくる会」の運動に賛同し、慰安婦問題などから戦後民主主義的なリベラルに批判的で、「保守論壇」や「嫌韓・反中本」の熱心な読者でもある。彼ら/彼女たちは戦後日本の主流派でもあるから、日本の政治・社会システムへの満足度が高かったり、「権威には敬意を払うべきだ」と考えるのも不思議はない。欧米であれば「保守本流」とか「右寄りの保守」などと呼ばれる層で、「極右」とは見なされないだろう。

 若者のあいだで独自の「保守的な思考」が生まれているというのは、インターネット(SNS)を中心に広がっているサブカルチャーとしての「ネット論壇」のことだろう。これは年長層には影響力を持たないが、若い世代に対しては田母神候補への投票を促す要因となったと考えられる。

「日本人アイデンティティ主義者」は自分が「日本人」であるということに強いアイデンティティを持つひとたちで、「愛国者」を自負し「売国奴」をはげしく攻撃する。彼らのアイデンティティは、「日本人(俺たち)と「日本人ではない者(奴ら)」を区別することによって成り立っており、歴史的な経緯から、「日本人ではない者」は「中国人・韓国人」とされる。(不幸なことに)そのなかでも日本人への同化が進んだ在日韓国・朝鮮人に怒りの矛先が向けられており、これが欧米の「移民問題」とは大きく異なる理由だろう。

 ただし、「日本人アイデンティティ主義者」はアイデンティティに関わらないことについては関心がなく、「嫌韓・反中」以外では「極右」的な主張をするわけでもない。そこで次は、「若者はほんとうに保守化しているのか?」が問題になる。

「日本の有権者全体において保守化が起こっていないだけでなく、むしろ右から遠ざかっている」

 衆院選でも参院選でもさまざまな出口調査で、他の世代と比べて、18歳から20代の有権者による自民党への投票割合は高く、(旧)民進党立憲民主党のような野党は高齢の有権者からの得票率が著しく高い。アメリカの若者たちがバラク・オバマを初の「黒人大統領」に押し上げ、「民主社会主義者」バーニー・サンダースを熱狂的に支持したように、世界的には若者の「リベラル化」が進んでいるにもかかわらず、日本だけは若者の「保守化・右傾化」が進んでいるとされてきた。

 そこで遠藤氏らは、世界各国の社会文化的、道徳的、宗教的、政治的価値観のちがいを調べる国際プロジェクト「世界価値観調査」の「1995~1998年」「2005~2009年」「2010~2014年」を使ってこの「通説」を検証した。

 ここから明らかになったのは、各国の若者を比較すると、この20年間で他の国と同様に「日本で保守化は起こっていない」というファクトだ。2010年代の日本の若者の右派は10.8%で、1990年代の10.3%とほとんど変わらないし、2000年代は6.9%とかなり低い。自民党政権の新自由主義的な政策や近隣諸国との緊迫化によって日本の若者が右傾化しているという証拠はない。

 日本の若者の右派比率はオーストラリアドイツよりは高いかもしれないが、ニュージーランドスウェーデン、アメリカと比較するとずっと低い。スウェーデンは世界でもっともリベラルな社会だとされているが、自分を右派と見なす若者は2割ちかくもおり、日本の倍だ。

 より興味深いのは、日本の非若者(シニア層)においても右派の割合が減少していることで、これは他の国との際立ったちがいだ。欧米ではシニア層が右傾化し、若者の右派が減って世代間ギャップが拡大しているが、日本においては逆に世代間のイデオロギーのちがいが縮小している。「日本の有権者全体において保守化が起こっていないだけでなく、むしろ右から遠ざかっている」のだ。

 日本の若者は保守化していないだけでなく、自らを左派に位置づける割合が1990年代の10.3%から2010年代の17.0%へと大きく増えている。日本の若者の「左傾化」のペースは他の先進諸国のいくつかと比べても早い。ただし、2010年代においても日本の若者の左派比率は他のほとんどの国と比べても低い。

 ではなぜ、若者の自民党への投票率が高いのか。それを知るために、若者(39歳まで)に「明日もし選挙が行なわれるとしたらどこに投票するのか」を訊き政党選択を調べた。

 その結果を見ると、「左派」「穏健左派」「穏健右派」「右派」の(自分の)イデオロギー位置が右に行くほど自民党の選択率が上がるものの、「左派」の間ですら3割近い若者が自民党に投票すると回答し、その割合は(旧)民主党にほぼ並ぶ。また、「右派」を除いた3つのカテゴリーにおいて、(旧)民主党への選択率は比較的安定している(「左派」の若者が「穏健右派」の若者より民主党に投票するわけではない)。

 さらに、「右派」の若者の17.5%が「支持する政党がない」といっているのに対し、「穏健左派」では42.7%、「左派」では50%にも及ぶ。他の民主国家では右派でも左派でも若者と政党との距離は同程度だが、日本では左派の若者は、右派と比べて政党との距離がいちじるしく遠いのだ。

若者の内閣支持率は低く、不支持も低いという奇妙な結果

若者の内閣支持率は低く、不支持も低いという奇妙な結果

 若者の自民党への投票率が高いのと同時に、安倍政権への支持が高いことも繰り返し指摘されている。そこで遠藤氏らは、2013年1月から2017年の総選挙まで4年9カ月に及ぶ時期の時事通信による世論調査(18~29歳)を使ってこの「通説」を検証した。

 それによると、意外なことに若者の内閣支持率は必ずしも高くなく、むしろどちらかといえば有権者全体の内閣支持率より低いという。その一方で、内閣不支持率については、支持率と同様にその値は一貫して全体より低い。

 支持も低く、不支持も低いという奇妙な結果になるのは、この調査に「わからない」という選択肢があるからだ。多くの若者は、森友・加計問題のような政治スキャンダルをそれほど重視しておらず、政権への支持・不支持を決めかねている。

 自民党への支持率も同様で、2012年の政権交代直後は有権者全体とほとんど同じだったが、その後は一貫して若者の自民党支持率は低い。

 若い世代の政党支持で特徴的なのは、安倍政権(自民党)への支持が高いことではなく、野党への支持が極端に低いことだ。高齢層では10%ちかくが野党第一党(旧民主党民進党)を支持していたものの、若者のあいだでは2%に満たない。その一方で、右側の政党と見られている自民党は、左派や穏健左派の若者からもかなりの支持を得ることに成功している。

 この状況を著者たちは、「若者自体はイデオロギー軸上の真ん中に留まって、政治に関心を払ったり払わなかったりしているのだが、それと同時に、左側の選択肢に対する信頼を失っているという状況が、表面上は保守化のように見えるのであろう」と述べている。若者には棄権するか、自民党に投票するかの選択しかないため、自民党への投票割合が他の世代に比べて高くなるというのだ。

 これはたしかに説得力があるが、『朝日ぎらい』で指摘したように、若い世代では男女で自民党(安倍政権)への支持率が大きくちがう。2017年10月の日経新聞の調査では、18~19歳の女性の自民党支持率は33%で女性の平均(36%)より低いが、男性の支持率は55%で平均(43%)を大きく上回っている。20代でもこれは同じで、女性の支持率は37%で男性は54%だ。これほど大きなちがいは、やはりなんらかの説明が必要だろう。次は「若い男性の自民党(安倍政権)支持」についても通説を検証してほしい。

日本社会は革新=リベラルが絶望的なまでに退潮している

 現代日本における政治イデオロギーを実証的に検証した『イデオロギーと日本政治』を読んで感じるのは、日本社会は保守化・右傾化しているのではなく、革新=リベラルが絶望的なまでに退潮しているということだ。革新政党を自認する共産党は、若者からは「保守政党」と見なされている。それ以外の生まれては消えていく野党も、保守かリベラルかというイデオロギー対立以前に、そもそも政治勢力として扱われていない。

 日本の「左翼」は、冷戦下に「護憲」「非武装中立」という非現実的な理想にしがみつき、冷戦が終焉してグローバル世界のルールが大きく変わっても自らの政治イデオロギーを修正することができず、エリート的な「無謬神話(自分はぜったい間違えない)」で巨大な墓穴を掘ることになった。そのなれの果てが現在の「安倍一強」だと考えれば、そこになんの不思議もない。

リベラル」を自称するひとたちは「立憲主義を踏みにじる」安倍政権をさかんに批判するが、その声高なプロパガンダが若者たちからほとんど相手にされないのは、安倍政権を生み出したのが自分自身だという「事実(ファクト)」から目をそらせているからだろう。こうして、「民主主義を守れ」とこぶしを振り上げれば上げるほど若者たちは政治を忌避するようになる。――日本の大学では、政治の話をするとKY(空気が読めない)のレッテルを貼られて仲間外れにされるのだという。

 実証データからわかるのは、日本の若者も他国の若者たちと同じように「リベラル化」しており、変化や「革新」を求めていることだ。ところが日本の「リベラル」はそうした期待にまったくこたえることができず、憲法から築地市場移転まで「変える」ことに頑強に反対してきた。その致命的な失敗を自覚しないかぎり、日本において「リベラルの復権」はあり得ない。

『イデオロギーと日本政治』の最後で著者たちは、イタリアとの比較で、日本の政治イデオロギーの特殊性に触れている。イタリアでは冷戦時代の政党がすべて消滅するほどの大きな変化が起きたにもかかわらず、「右派」「左派」のような政治イデオロギーの指標は世代にかかわらずすべての有権者に共有されているのだ。

 このちがいを著者たちは、「多くの国では、社会的な亀裂は共通の政治体験と政治的言説を次の世代に伝達する役割を果たしている。日本においてはそのような亀裂がないため、若い有権者が政治の複雑な世界にうまく向き合いにくくなっている」と説明する。欧米は階級・宗教・地域社会、あるいは人種的な亀裂に基づいて分断されているが、日本にはそのような分断がないため、政治イデオロギーが固定せずに浮遊してしまうのだ。

 これは、「日本において民主主義の原則と制度が疑問視されていない」ということでもある。著名な国際政治学者であるイアン・ブレマーは、「大国の中で民主主義が比較的うまく機能しているのが日本だ」と述べているが、それも国民の統合度の高さから説明できるかもしれない。

 ここで紹介した以外にも、2017年の衆院選において希望の党を率いた小池百合子東京都知事の支持基盤が「リベラル」であった(リベラルを「排除」したのは政治的な大失態だった)など、『イデオロギーと日本政治』ではさまざまな興味深い指摘がなされている。

 今後、日本の政治についての議論は、本書で提示された実証データや知見を無視しては成立しなくなるだろう。

橘 玲たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論-あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『人生は攻略できる』(ポプラ社)。

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