AIで投資、AIで料理、AIで恋人探し――いまやAI(人工知能)が関係していない分野を探す方が難しいほど、空前のAIブームが到来している。

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 確かにAIを活用した製品やサービスは、従来のものより優れているように感じられ、皆が注目するのも当然のように思える。ところでAIはそもそもどんな技術で、どのような強みがあり、私たちのビジネスや生活をどう変えようとしているのだろうか。AIのある生活が当たり前になりつつあるいま、あらためて考えてみたい。

●「ドットコムバブル」を思い出すAIブーム

 まずは避けて通ることのできない、AIすなわち人工知能Artificial Intelligence)とは何か、という点から考えてみよう。

 結論から言うと、AIという言葉の意味や定義は、使う人や使われる場所によってバラバラだ。またAIと聞いて人々が何を想像するかも、個人によって違いがある。つい最近、それを象徴するようなニュースがあった。

 今年3月、英ロンドンに拠点を置くベンチャーキャピタルのMMCベンチャーズが、興味深いレポートを発表した。「The State of AI 2019」と名付けられたそのレポートは、多くのテクノロジーメディアが取り上げている。

 例えば経済紙の英フィナンシャルタイムズは、このレポートを紹介する形で次のように報じている。

 「欧州の人工知能(AI)スタートアップ企業のうち4割は、製品にAIプログラムを全く使っていないことが、調査で明らかになった。AIを巡る誇大な売り込みの実態を浮き彫りにしている」(フィナンシャルタイムズを翻訳した日本経済新聞電子版から引用)

 MMCベンチャーズは欧州13カ国のAI系スタートアップ2830社を対象に、彼らの事業内容を調査した。するとAI関連技術が使われている証拠が見つかったのは、その60%に当たる1580社だけだったという。つまり残りの40%は「誇大な売り込み」というわけだ。他のニュースサイトでも、おおむね同様の報じ方をしている。

 またMMCベンチャーズは、AI系スタートアップが行った資金調達の1回当たりの平均額は、他のソフトウェアスタートアップと比べて15%高かったことも発表している。「この会社はAIを使っている」と思ってもらうことは、資金調達の面でも有利ということになる。

 1999年から2000年にかけて、インターネット企業に大きな注目が集まる「ドットコムバブル」(インターネットバブル)と呼ばれる時期があった。このとき、社名に「ドットコム」と付いているだけで、事業内容がインターネットに関係なくても株価が上がるという現象が見られた。学術研究は別として、ビジネスや世間一般の中では、AIは20年前の「ドットコム」と同じバズワードにすぎないのだろうか。

●「AIを使っているに違いない」という誤解

 さらにMMCベンチャーズのレポートをよく読むと、面白いことが分かる。調査対象となったAIスタートアップは、AIを使っていると「見なされている」企業で、自称・他称が含まれる。その割合や具体的な会社名についてMMCベンチャーズ明らかにしていないが、「あそこはAIを使っている企業だ」と外部から判断されるスタートアップもあるというわけだ。

 ここは重要なポイントだ。AIすなわち人工「知能」というからには、何らかの知性の存在がAIか否かを判断するポイントになるはずだが、知性が存在するかどうかを外部から判断するのは非常に難しい。

 生物の場合で考えてみよう。ある生物に知性があるかどうか、どうやって判断できるだろうか。言葉が使えること――サルやイルカなども言葉のような手段を使ってコミュニケーションする。道具が使えること――ここでもサルや、あるいは鳥のなかに道具を使うものが見られる。社会行動ができる――アリやハチは多くの個体が集まって、複雑なコロニーを形成する。ある意味では人間以上かもしれない。

 外見だけで判断すると、多くの生物に「知性」が宿っていることになる。念のために言っておくと、これらの生物に知性があるはずはないとか、知性がないので軽々しく扱って良いといったことを言いたいわけではない。

 AIの場合も一緒で、外見だけに注目していると、優れた結果を出す製品やサービスに対して「これは何らかの知性を技術で実現しているに違いない」という印象を抱いてしまう可能性がある。

 これ自体は古くからある現象だ。例えばマサチューセッツ工科大学のジョセフ・ワイゼンバウム教授が1960年代に開発した、人間の心理療法士のやりとりをシミュレートするソフト「ELIZA」(イライザ)は、簡単なルールに基づいてテキストによる会話を続けるプログラムだった。しかし、イライザとの対話を通じて実際にセラピー効果を感じたり、機械を相手にプライベートな告白までしたりする人が現れたそうだ。

●「AIを使っている」の基準は?

 MMCベンチャーズのレポートで、AIを使っていないのにAI系スタートアップと見なされていた企業の中にも、こうした「勘違い」の例が含まれているのだろう。

 では中身で判断すれば良いかというと、それも単純な話ではない。人工知能という研究領域は1950年代に誕生しているが(AI研究の歴史については次回解説)、「どうやってAIを実現するか」という仕組みに関するアイデアは複数存在し、その主流派は何度も入れ替わってきた。

 例えば1980年代に、エキスパートシステムと呼ばれる、人工知能研究から生まれたアプリケーションに大きな注目が集まった。これはルールベースで専門的な判断を行うことを目指したもので、その後ブームは下火になるものの、一定の成果を出して現在でも活用されている。

 その後AI研究においては、機械学習やディープラーニングといったコンセプトに注目が集まるようになり、現在ではこうした技術を使っているかどうかが「AIを活用した製品・サービスか否か」を判断する1つの基準となっている。本連載でも基本的にこのトレンドに沿って解説していく。

 しかし、「エキスパートシステムだからAIではない「ディープラーニングだからAIだ」と判断してしまうのも乱暴だ。エキスパートシステムでできることを否定し、高度でコストのかかる技術に無駄に手を出してしまう可能性だってある。

 今後ディープラーニング以外の手法で優れた成果を出すAI技術が登場することも否定はできない。そうなったとき、「〇〇という技術を使っていないからAIではない、故に注目する必要はない」と考えていては本末転倒だ。

●強いAIと弱いAI

 とはいえ現時点で「この製品・サービスにはAIが使われている」と言うときは、「何らかのデータに基づいて、機械が人間の知性や論理的思考に近い判断を行い、求められた結果を出す仕組み」を指すことが多い。それを実現する技術の一種が、機械学習やディープラーニングと呼ばれるものだ。本連載ではそのうちのいくつかを取り上げ次回以降に解説していく。

 ただ個々の技術の解説に入る前に、もう一つだけAIの定義に関係する話をしておこう。それは「強いAIと弱いAI」と呼ばれる議論だ。

 これは人工知能批判を行っていることで知られる米哲学者ジョン・サール氏がつくった言葉。「強いAI」は人間のような精神や自我、意識を持つ、文字通りの「人がつくり上げた知能」であるとされる。そのレベルにまで至っていないのが「弱いAI」だ。

 また現在では、ある目的に特化した高度な判断はできるものの、他の作業はできないようなAIを「弱いAI」と呼び、汎用型で何でもできる夢のような人工知能を「強いAI」と呼んで区別することもある。

 この場合、自動運転車に搭載されたAIは自動車の運転は得意だが、将棋で人間に勝つことは難しいだろうから、「弱いAI」ということになる。

 「人工知能」と言うからには、強いAIこそ本来の「AI」であると定義して、それを目指すのが本来の姿だといえるかもしれない。しかし当然ながら強いAIを実現するのは難しく、まだその実例はないとされている。今後強いAIが実現されるかについては、別の回で考えてみたい。

 一方で弱いAIは、前述の自動運転車のように一定の成果をあげている。中にはチェスや将棋、クイズ大会で人間の王者を打ち負かすAIのように、限られた用途ながら人間を上回るパフォーマンスを発揮する例もある。弱いAIは強いAIに比べてできることが限られているし無視しても構わない、と考えるのは合理的だろうか?

 その答えは、皆さんがAIに何を求めるか次第だろう。本連載では、主にビジネスパーソンを対象に、ビジネス面でのAI活用を中心に考えていきたい。弱いAIの例も積極的に取り上げる。

 もし10年後に本連載を読み返していただけるようなことがあれば、きっと極めて陳腐で時代遅れなAIの捉え方をしていると感じられることだろう。逆にそのように感じられるほど、今後も急速にAI技術が進化していくことを願いたい。そうした進化に後れを取らないよう、本連載を土台として、常に情報をアップデートしていっていただきたい。