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私たちは毎日をなんとなく過ごしがちですが、本当に「毎日は同じことの繰り返し」にすぎないのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、詩人・立原道造の「夢みたものは……」を紹介。病床に伏しがちだった短い生涯の中で、道造が見つめ続けた平凡に思える日常における「輝く一瞬」について解説しています。

24年の生涯が生んだ一編の詩

詩人・立原道造は肺カタルの発症で24年という短い生涯を閉じています。そんな立原道造が遺した一遍の詩から、人間としての幸せとは何かを鈴木秀子先生が読み解きます


建築家としても知られた詩人・立原道造はいまから100年ほど前、東京の日本橋に生まれました。旧制中学時代に作歌に目覚めて自選の歌集や詩集を纏めるようになります。

第一高等学校時代から詩歌への関心は一段と深まり、東京帝国大学工学部建築学科入学後は建築の課題設計で三年連続賞を受ける一方、堀辰雄が主宰する詩雑誌『四季』の創刊に参画。三好達治、丸山薫、津村信夫などと交友を深めます。

卒業後は石本建築事務所に入社して、住宅などいくつもの建物の設計、施工を手掛けて注目を集めますが、肺尖カタルを発症。療養生活の甲斐なく、24年の短い生涯を閉じるのです。「夢みたものは……という詩はそんな道造の晩年の作品です。

夢みたものは ひとつの幸福

ねがつたものは ひとつの愛

山なみのあちらにも しづかな村がある

明るい日曜日の 青い空がある

 

日傘をさした 田舎の娘らが

着かざつて 唄をうたつてゐる

大きなまるい輪をかいて

田舎の娘らが 踊をおどつてゐる

 

告げて うたつてゐるのは

青い翼の一羽の小鳥

低い枝で うたつてゐる

 

夢みたものは ひとつの愛

ねがつたものは ひとつの幸福

それらはすべてここに ある と

病に苦しみ若くして亡くなった道造にとって、青春はとても辛いものだったはずです。しかし、繊細な美意識の持ち主だった道造は常に明るい面に意識を集中して人生を歩みました。苦しみに目を向けるのではなく、日常の何気ない出来事の中に美しさを見つけ、そこに自分が生きていることの幸せを実感していました。