不世出のヒットメーカーがユニホームを脱いだ。

 マリナーズイチロー外野手(45)が21日、東京ドームで行われたアスレチックスとの開幕第2戦後に現役引退を表明した。日米通算4367安打、メジャー10年連続200安打など数々の金字塔を打ち立ててきた一方で、イチロー独特の言い回しでもファンを楽しませてきた。試合後に行われた1時間26分にも及んだ引退会見もまた「イチロー節」全開だった。

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<試合が延長戦となり、午前0時近くに会見がスタート。集まった報道陣に対して>


 「こんなにいるの? びっくりするわ。こんなに遅い時間にお集まりいただいてありがとうございます。今日のゲームを最後に、日本で9年アメリカで19年目に突入したところだったんですけど、現役生活に終止符を打ち、引退することになりました」

-引退を決断したのは
「タイミングは(今春の)キャンプ終盤。日本に戻ってくる何日前ですかね。もともと日本でプレーする、東京ドームプレーするというのが契約上の予定でもあったんですけど、キャンプ終盤で結果を出せず、それを覆すことが出来なかったということですね」

-後悔は?
「今日の球場での出来事(スタンディングオベーション)を見せられたら後悔などあろうはずがありません。もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと…人よりも頑張ったということはとても言えないですけど、自分なりに頑張ってきたということは、はっきり言えるので」

-涙がなく、笑顔が多いように見える
「純粋に楽しいと言うことではないんですよね。誰かの思いを背負うというのは重いことなので。1打席1打席立つことは簡単ではない。疲れました。やっぱり1本ヒット打ちたかったですし、僕には感情がないと思っている人もいますけど、意外にあるんですよ。結果を残して最後を迎えられたら良かったですけど、それでも最後まで球場に残ってくれて、死んでもいいというのはこういう時なのかなと思いました。死なないですけど。そういう表現をするときって、こういうときだろうなって思います」

-得たものは
「ま、こんなものかなぁという感覚ですよね。200本もっと打ちたかったですし、できると思ったし。1年目、2年目と勝って、勝つのってそんなに難しい事じゃないと思っていたんですけど、勝つのって大変です。この感覚を得たのは大きいですね」

-日本に戻る選択肢はなかったか
「なかったですね。最低50(歳)まで現役とは思っていたし、それはかなわずに、有言不実行の男になってしまった。でも、その表現をしてこなかったら、ここまでできなかったかなという思いもあります。だから言葉にすること。難しいかもしれないけど、言葉にして表現することというのは、目標に近づく1つの方法ではないかなと思っています」

-これからは野球に費やしてきた時間とどう向き合うか
「今は分からないですね。でも明日もトレーニングはしていますよ。じっとしていられないから、動き回ってますね。ゆっくりしたいとかは全然無い」

-もっとも印象的なことは
「この後、時間がたったら今日のことが真っ先に浮かぶことは間違いない。去年の5月以降ゲームに出られない状況で、シーズン最後までの(練習を続けた)あの日々は、ひょっとしたら誰もできないかもしれない。それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかった。どの記録よりも、自分の中ではほんの少しだけ誇りを持てたと思います。分かりやすい10年200本(安打を)続けてきたとかは本当に小さいこと。記録はいずれ誰かが抜いていくと思う」

-指導者願望は
「監督は絶対無理ですよ。これは絶対がつきますよ。本当に人望がないんですよ。それくらいの判断能力は備えているので。アマチュアとプロの壁が日本の場合特殊な形で存在しているのでね。どうなるんですかね、そのルール。今までややこしいじゃないですか。例えば、自分に子どもがいて高校生だとすると、教えられないですよね。そういうのって変な感じじゃないですか。今日をもって元イチローになるので、それが小さな子どもなのか、中学生なのか、高校生なのか、大学生なのか分からないですけど、そこには興味がありますね」

-子どもたちへメッセージを
「熱中できるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注ぐことができる。それを早く見つけてほしい。見つかれば、立ちはだかる壁に向かっていける」

-日本で育成される重要性はあるか
「将来MLBプレーする基礎を作るという考えはできるだけ早くというのは分かりますけど、日本の野球で鍛えられるというのはあるんですよね。メジャーリーガーよりも基本的な基礎の動きって、日本だと中学生レベルの方がうまい可能性はありますよ。チームとしての連係は日本で言わなくてもできますからね。アメリカでは個人としてのポテンシャルは高いですけど、そこは苦しんであきらめましたよ」

-生きざまでファンに伝わっていたらうれしいことは
「人よりも頑張るなんてことはとてもできない。自分の中にある『量り』を使いながら、自分の限界をちょっと超えていく。そうするといつの日かこんな自分になっているんだ。少しずつの積み重ねでしか、自分を超えていけないと思っているんですよね。一気に高みにいるとすると、今の自分とギャップがありすぎて、それを続けられない。地道に進むしかない。ある時は後退しかしない時もあるので、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でも、それは正解とは限らない。間違ったことを続けているかもしれない。遠回りをすることで、本当の自分に出会えると思っている。今日のゲーム後のファンの方の気持ちを見た時に、ひょっとしたらそんなところを見てくれたのかなと思います」

-アメリカのファンに向けて
「最初は厳しかった。日本に帰れってしょっちゅう言われましたよ。結果を残した後の敬意というのは、手のひらを返すというか。行動で表す敬意は迫力があるという印象ですよね。認めてもらった後はすごく近くなると言う印象で、ガッチリ関係ができあがる。シアトルとのファンとはそれができたという勝手な印象ですけど。ニューヨークは厳しいところでしたね。でも、結果を残せばすごい。マイアミというのはラテンの文化が強い印象で、結果を残さないと人はついてこない。それぞれの場所で関係を築けた。アメリカは広いなと」

-弓子夫人には
「一番頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで3089本のヒットを打ったんですけど、ゲーム前ホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりの数が2800くらいなんですよ。3000個握らせたかったなと思います。妻にはゆっくりしてほしい。わが家の愛犬、一弓ですね。今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど、おじいちゃんになってきて毎日フラフラですけど、懸命に生きている。それを見ていたら俺頑張らないと、と思いますよね。まさか最後まで、現役を終える時まで一緒に過ごせると思っていなかったので。妻と一弓には感謝の思いしかない」

-これまで一番の決断は
「アメリカでプレーするために、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど、自分の思いだけではかなわない。当然、球団からの了承がないとかなわなかった。その時に1番に浮かんだのが、(オリックス仰木監督ですね。おいしいご飯とお酒を飲ませたら、うまくいくんじゃないかなと。まんまとうまくいきましてね。口説く相手に仰木監督を選んだのは大きかったですね。ダメだダメだと言っていた人が、お酒でこんなに変わってくれるんだと、お酒の力をまざまざと見ましたし、しゃれた人でしたね。仰木監督から学んだものは、計り知れないですね」

菊池雄星が泣いていた
「号泣中の号泣でしょ。びっくりしましたよ。それを見て笑えてきましたよ」

―抱擁の時にどんな会話を交わしたのか?
「それはプライベートなんで。雄星がそれをお伝えするのは構わないですけど、それは僕がお伝えすることではないですね。2人の会話だから。しかも僕から声をかけているので、それをここで僕が『こんなこと僕が言いました』って、バカですよね。絶対に信頼されないもんね、そんな人間は。それはダメです

メジャーの後輩に託したいものは
「雄星のデビューの日に僕は引退を迎えたのは、なんかいいなぁと思っていて、もうちゃんとやれよという思いですね。短い時間でしたけど、すごくいい子で。いろんな選手見てきたんですけど、左投手の先発って変わってるんですよ。天才肌というんですかね。(大谷)翔平はケガを治して、スケールは大きいですよ。物理的にもアメリカの選手に劣らない。あのサイズで機敏な動きができるのはいないですからね。世界一の選手にならないといけないんですよ」

-大谷と対戦したかったか
「世界一の選手にならないといけない選手ですよ。僕はピッチャーで翔平がバッターで対戦したかったです」

-どのように大谷に成長してほしいか
「そこは占い師に聞いてもらわないと。投げることも打つこともやるのであれば、ワンシーズンごとに、サイヤング賞とホームラン王とったら。そんなこと考えられないですよ。でも翔平は想像させるじゃないですか。だから人とは違うじゃないですか、翔平は。ピッチャーとして20勝するシーズンがあって、翌年にはMVPを取ると想像したら化け物ですよね」

-野球の魅力とは
「団体競技なんですけど、個人競技なんですよ。それが面白い。個人としても結果を残さないと生きていくことはできない。本来はチームとして勝っていけば、チームのクオリティーは高い。でも決してそうではない。あとは同じ瞬間がないということ。必ずどの瞬間も違う。これは飽きが来ないですよね」

-野球を楽しむには
「アメリカに来てから、19年の野球は全く違う野球になりました。頭を使わなくてもできる野球になりつつあるような。これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年、しばらくはこの流れは止まらないと思いますけど、どうも気持ち悪くて。ベースボールがそうじゃなくなっているのは、危機感を持っている人がいると思う。日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいと思います。アメリカの野球を追随する必要はないと思うので」

-野球が変わることはなかった?
「ないです。子どもの頃からプロ野球選手になることが夢で、最初の1、2年は1軍を行ったり来たり。94年、仰木監督に出会って、レギュラーで使ってもらったんですけど。ここまでですね、楽しかったのは。いきなり番付を上げられて。力以上の評価をされるのは苦しいんですよね。将来は楽しい野球をやりたい。プロ野球選手になった後はまた違うことを夢見ている自分がいたんですよね。中途半端に野球をやっている人には味わえないモノ。草野球をやっている人、プロ野球でそれなりに苦しんだ人じゃないと分からない。これからはそんな野球をやってみたいです」

-野球選手がなくなる自分を想像すると
「違う野球選手になっていると思います。楽しくやっていると思うんですけど、真剣に草野球を極める選手になると思う」

-小学校の卒業文集が有名。小学生の自分に今、声をかけるなら
「お前、契約金1億ももらえないよって。夢は大きくとは言いますけど、ドラ1の1億ってかかげてますけど、遠く及ばないですよ。ある意味で挫折ですよ。こんな終わりでいいのかな。何かきゅっとしたいよね。最後は」

孤独感はずっと感じてプレーしていたか
「現在それは全くないです。アメリカに来て、外国人になったこと。孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだよと今は思います。だから、つらいことしんどいことから逃げ出したいと思うことは当然だと思うんですけど、元気な時、エネルギーのある時にそれに向かっていくのは大事なことだと思います。いやぁ、締まったね最後。眠いでしょ、みなさんも。じゃあそろそろ帰りますか」

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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