エスノグラフィーは「参与観察」とも訳される文化人類学の手法で、「フィールドワーク」の方が馴染みのあるひとも多いだろう。典型的な研究は、アフリカや中南米、南太平洋などの伝統的社会に長期間滞在して、学問的に定型化された手法によって文化や慣習、ひとびとの日常などを記述するというものだ。

 その後、エスノグラフィーの手法は先進国の社会に拡張され、黒人や移民などのマイノリティ、LGBTレズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダー)のような性的少数者のコミュニティが参与観察されるようになった。日本では、1980年代暴走族を参与観察した佐藤郁哉氏の『暴走族のエスノグラフィー』(新曜社)がよく知られている。

 文化人類学者の木村忠正氏は、「偶然の巡りあわせに導かれ」1995年頃からインターネット研究に取り組むようになった。その過程で、ネット上のコミュニティを分析する際にも、エスノグラフィーの手法が使えるのではないかと気づいたという。

 アンケートなどを使って量的な社会調査をしたり、インタビューや参与観察でコミュニティを質的に調査する従来の研究に比べて、ネットコミュニティはその性質が大きく異なる。そこでは「定性的データ(インタビューや参与観察)」と「定量的データ(アンケート調査)」の垣根が取り払われ、ひとつの事象をどちらの観点からも分析する必要があるのだ。木村氏はこれを「ハイブリッド・エスノグラフィー」と名づけた。

ハイブリッド・エスノグラフィーN.C(ネットワークコミュニケーション)の質的方法と実践』(新曜社)では、第1部で「デジタル人類学」のコンセプト・方法論と課題を、第2部でハイブリッド・エスノグラフィーの実践を扱っている。詳しくは本を読んでいただくとして、そのなかでとくに興味深いのは第10章の「ネット世論の構造」だろう。

 そこではYahoo!ニュースの協力により、「国内」「国際」などのハードニュースに投稿される膨大なコメント(ヤフコメ)が分析されている。

ヤフコメは日本の言論空間の公共インフラになっている

 2015年からネット世論研究に取り組んでいる木村氏は、Yahoo!ニュースから大量のコメントとそれに関するデータの提供を受けた。Yahoo!ニュースには、毎日、300社程度の媒体から配信される4000本以上の記事に対して10万件単位のコメントが投稿され、1000万単位の閲覧者によるページ閲覧数は億単位に達する。音声・動画をいっさい含まないに単純なテキストデータにもかかわらず、1日分のコメントと関連データだけで100メガ、閲覧データは1ギガを超えるという(投稿者のプライバシーに配慮してデータはすべて匿名化され、Yahoo! JAPAN IDに関する情報はいっさいわからない)。

 まず、2016年7、8月に関東・東海・関西圏の16~70歳の男女1100人を対象として木村氏が実施したウェブアンケートを見てみよう。ここでは16~24歳/25~35歳の年齢層を「デジタルネイティブ」、36~50歳/51~70歳を「デジタル移民」としてオンラインニュースの利用率を調べている。下記はその一部を抜粋したものだ。

 これを見ると、25~70歳の日本人の7割以上が、16~24歳の若者層でも6割がYahoo!ニュースを閲覧しており、日本の言論空間の公共インフラになっていることがわかる。そのなかで記事だけでなくコメントも閲覧するのは6割前後で、コメント閲覧者の3人に1人から4人に1人が自らコメントを書き込んでおり、年齢によるちがいはあまり見られない。

 デジタルネイティブとデジタル移民で大きく異なるのは、SNSなどでの「拡散」「炎上」「アラシ」への参加だ。こうした行為は世代によって大きく異なり、若いほど活発で年齢が高くなるほど参加率は低くなる。これはシニア層(デジタル移民)に比べ、デジタルネイティブでは投稿や拡散などのネット上の行為が日常生活の一部になっているからだろう。

 先行研究によれば、ネットでの過激な行為はごく一部の参加者によって行なわれている。

 Twitterでの炎上参加者2万人あまりの大規模なウェブモニター調査から推計した研究では、炎上に参加するのはネット利用者の200人に1人で、炎上1件あたりの参加者は2000人程度(ネット利用者の10万人に数人)、炎上参加者の9割はひと言感想を述べる程度で、繰り返し書き込んで当事者を攻撃するストーカー的な参加者は数人から数十人のごく一部だとされた。

 在日韓国・朝鮮人への差別的Tweet(2012年11月~2013年2月)10万件以上を計量テキスト分析した研究では、4万3000程度の投稿者IDの8割近くは1度のTweetのみで、わずか1%にあたる471のIDによる投稿は100以上、上位50のIDによるTweetが全体の8分の1(その大半は明確な差別的表現)を占めた。

 これは複雑系でいう典型的なベキ分布で、「ロングテールに位置するごく一部の投稿者が極端な主張・過度な言動を繰り返しているだけだ」との主張につながる。だが木村氏は、差別的な書き込みだけでなく、それをRT(リツイート)や「いいね」する層を含めて、言説・感情・行動の複合体を「ネット」世論として捉えることが必要だとする。

 これを実際に行なったのがハイブリッド・エスノグラフィーの「ヤフコメ」分析で、記事に対するコメント(親コメント)の内容だけでなく、それへの返信コメント(子コメント)や、コメントへの評価(「そう思う」「そう思わない」)も含め、ネット世論の全体像をとらえようとしている。

ヤフコメ民」の正体は40代男性

「ヤフコメ民」の正体は40代男性

 Yahoo!ニュースの2015年9月2日のブログによると、1日あたり約4万人のユーザーが約14万件のコメントを投稿しており、性別では男性が8割以上で、30代・40代の男性が全体の5割を占めている。ニュース閲覧の主要ユーザーは30代男性だが、コメント機能にかぎっては40代男性に突出して高い傾向がみられるという。こうしたコメント投稿者は「ヤフコメ民」と呼ばれている。

 Yahoo!ニュースのうち木村氏が分析対象にしたのは「政治」「社会」「産業・経済」「海外・国際」「沖縄」の5大分類に属する記事(ハードニュース)で、1週間で1万強の記事が配信され、約半数の記事に合計50万弱のコメントが投稿された。

 これらのコメントは5万6000あまりの投稿者識別IDから投稿されていて、先行研究が示すように、一部の投稿者が大量の投稿をしていた。

 具体的には、1週間で101件以上コメント投稿している投稿者IDは1%に過ぎないが、延べ投稿コメント数は2割に達する。1週間で21コメント(1日平均3コメント)以上する投稿IDは1割で、延べ投稿コメント数は6割を占める。1週間70コメント(1日平均10コメント)以下のIDを集計すると、98%の累積投稿者IDがコメント数で3分の2を投稿していた。逆にいうと、1週間に71コメント以上する2%の投稿者がコメント数で3分の1を投稿していることになる。

 ここから、「ヤフコメ民」は大きく2つのグループに分けられる。平均より著しく多いコメントを投稿する1000ID(2%)に満たない少数派(過度な投稿者)と、一人ひとりのコメント数は多くないが、全体としては全コメントの9割ちかくになる多数派(穏やかな投稿者)だ。

「過度な投稿者」と「穏やかな投稿者」で顕著に異なるのは、返信コメントと評価(「そう思う」「そう思わない」)、および侮蔑表現(機械学習を用いてコメントに侮蔑表現が用いられているかどうかを判定した)の割合だ。

 2%の「過度な投稿者」は、(自分のコメントに対して返信される)返信コメント数で全体の45%、評価で33%、侮蔑表現該当数で33%を占めていた。1000に満たない投稿者IDが「ヤフコメ」ネット世論空間をつくるうえで大きな役割を果たしている。

 それに対して98%の「穏やかな投稿者」は返信コメントがほとんどなく、評価も限られ、侮蔑表現該当率も低い。ただし圧倒的な多数派なので、グループで累積すれば返信コメントの55%、評価と侮蔑表現の3分の2を占めている。こちらは、「ヤフコメ」ネット世論空間を構成する基盤にあたる。

「過度な投稿者」をさらにグループ分けすると、約6割は記事に関連してなんらかの「敵」を罵倒することが目的となっている。木村氏は彼らを「罵倒攻撃者」と名づけた。

 その一方で、約3割の「過度な投稿者」には極端な罵倒表現が見られない。だとしたら彼らは何のために頻繁に投稿するかというと、その目的はたくさんの評価(「そう思う」の数)を獲得することだ。そのため、閲覧者が共感し「そのとおりだ」と思えるようコメントの表現に工夫を凝らす。木村氏はこうした行為が承認欲求や賞賛獲得欲求と結びついている可能性があるとして、「肯定的反応追求者」と名づけている。

「過度な投稿者」の小グループのなかで興味深いのは、約5%が返信コメントを主にしていることだ。「罵倒攻撃者」が記事に関してコメントするのに対して、彼らのコメントのうち約4割が返信コメントで、コメントに対して罵倒コメントしている。

 返信コメントで罵倒する少数派は、複数のIDを使い分けて(なりすまし)返信コメント内で炎上を画策することもあるらしい。木村氏はこうした行為について、記事に対して自らの主張をコメントするのではなく、誰かのコメントに対して突っ込みを入れて炎上を楽しむユーザーが一定数いるのではないかと推測している。

2%に満たない「過度な投稿者」が「ネット世論」を牽引している

ヤフコメ」では2%に満たない「過度な投稿者」が返信コメントの半分ちかく、評価の3分の1を獲得して「ネット世論」を牽引している。そのうち6割は罵倒することを目的とする「罵倒攻撃者」だが、それ以外に、コメントを罵倒して炎上させようとするユーザーが5%程度いる。残りの約3割は、できるだけ多く「そう思う」の評価を獲得しようとする「肯定的反応追求者」だ。

 それでは、彼らはどのようにしてひとびと(閲覧者)の関心を引こうとしているのだろうか。

 具体的な分析は『ハイブリッド・エスノグラフィー』にあたってほしいが、どのようなグループを見ても、ハードニュースのコメントの最大の関心事が「韓国(「慰安」「在日」「竹島」などの語彙を含む)」カテゴリーであることは明らかだ。

「罵倒攻撃者」では「韓国」カテゴリーが親コメント全体の40%、返信コメントの50%を占めており、侮蔑表現も多用されているが、彼らは複数の投稿IDやIPアドレスを使い分けているわけではない。投稿者IDの約8割は1次のIPアドレスとのみ結びついており、IPアドレス側から見ると、95%ちかくが1つの投稿者IDとしかつながっていない。「罵倒攻撃者」は自らの主張が「正義」だと思っているので、実名を晒さないまでも、匿名性に過度に配慮する必要を感じないようだ。

「肯定的反応追求者」も、侮蔑的な語彙こそ使用しないが、「韓国」カテゴリーを主要なコメント対象にしている。「何度謝罪しても、相手が納得しないのであれば、もっともっと、距離をとるべきだ」のように、閲覧者たちの共感を集め、訴えかける要素を持つコメントを投稿している。

 木村氏の調査が行なわれた2015年は戦後70年の節目を迎えたことから、戦争責任、慰安婦問題、賠償問題 歴史問題に関連して韓国・中国への違和感(敵意)を表明するコメントが中心となっていた。だがそれ以外でも、多くのコメントが投稿された事件がある。

 そのひとつが、千葉・船橋の「18歳少女監禁・生き埋め殺人事件」だ。命乞いする被害者を生きたまま土中に埋めて殺害するという凄惨さが日本社会に大きな衝撃を与えたが、「ヤフコメ民」の多くが加害者と被害者の個人情報に対する非対称性に強い違和感(異議)を表明した。「被害者は未成年でも実名を晒されるのに、加害者は、少年法に守られ、実名を晒されないことには、どうしても納得できない」などがその典型だ。こうしたコメントには多くの評価(「そう思う」)や返信コメントがつくことから「ヤフコメ」投稿者の多数派(マジョリティ)を構成していることがわかる。

 1週間のコメント平均数が3に満たず、侮蔑表現該当コメントも平均0.1とほとんどない投稿者IDは全体の8割以上を占める。週に2、3回、思ったこと感じたことをコメントし、評価や返信コメントがつくことで他のユーザーのレスポンスを感じ取る程度のつき合い方をしている。

 そんな「平穏」なユーザーのあいだでも韓国・中国関係は強い関心を集めている。彼らも日本と韓国・中国を対立関係として捉え、慰安婦問題、戦争責任、戦後補償、植民地支配について日本の立場を強調し、「韓中(とくに韓国)がいくら謝罪しても結局(賠償金をとろうとして)問題を蒸し返す」という認識にもとづくコメントをしている。「過度な投稿者」とのちがいは、「韓国はアメリカから離れ、中国のゴマすり」のように、韓国・中国が「アメリカ」「世界」という文脈に結びつけられてコメントされることだ。

ヤフコメ民」の大多数は、アメリカに関しては、親米でも反米でもなく、覇権国としての振る舞いを冷静に観察する面を持っており、「「日本」に社会的アイデンティティを求め、さらに近隣諸国を外集団とし、内集団意識を明確化、強化したいという強いベクトルを見て取ることができる」。これは、私が「日本人アイデンティティ主義」と呼ぶ特徴を顕著に示している(拙著『朝日ぎらい』朝日新書)。

ネット世論の極端な言動は「マジョリティ」の分断に原因

ネット世論の極端な言動は「マジョリティ」の分断に原因

 ヤフコメビッグデータを分析した木村氏は、「ヤフコメ民」をコメント投稿へと動機づけるのは、(彼らのモラルに照らして)「理不尽」な感覚、ある種の「正義感」と、マスコミへの批判的態度」だという。さらに、「気持ち」という名詞が「悪い」という形容詞と強く結びついていることから、「「ヤフコメ」は、何かに対して「気持ち悪さ」を感じていることを表出する傾向がある」とされる。
 こうした投稿行動を、木村氏は以下の5つにまとめている。AとBは「過度な投稿者」に、C、D、Eは「平穏な投稿者」のコメントにも頻出している。

A 韓国、中国に対する憤り
B 被害者が不利益を被ること(加害者が権利保護を受けること)への憤り
C 近隣諸国を外集団とし、「日本」に社会的アイデンティティを求め、内集団意識を明確化、強化したいという強いベクトル
D 社会的規範を尊重しないことへの憤り
E マスコミに対する批判

 木村氏は、アメリカの社会心理学ジョナサン・ハイトの「道徳基盤理論」(『社会はなぜ左と右にわかれるのか―対立を超えるための道徳心理学紀伊國屋書店)を援用して、ヤフコメでの「嫌韓・反中」や「反日・売国奴」への批判・攻撃などは「理性より直観的情動と考えた方が適切である」と述べる。より詳しい説明は準備中の書籍で行なわれるとのことなので期待したいが、結論だけを簡潔に述べるなら、「ヤフコメ」の底流には「内集団」「権威」「公正(因果応報)」の道徳的基盤が強く働いている。こうした気分(道徳感情)によって形成されるネット世論を、木村氏は「非マイノリティポリティクス」と名づけた。

「非マイノリティ」とは要するに「マジョリティ」のことだが、「マジョリティ」として十分な利益を享受していないと感じているひとびとのことだ。その特徴は「生活保護」「ベビーカー」「少年法(未成年の保護)」「LGBT」「沖縄」「中韓」「障がい者」など少数派への批判的視線・非寛容で、マイノリティの人権についての主張を「弱者利権」「被害者ビジネス」と見なし、権利や賠償を勝ち取る行為としてとらえている。

 私はこうした現象を、世界的に「主流派(マジョリティ)」のなかでの分断が進んでいるからだと考えている。アメリカ社会では「白人男性」がマジョリティだが、ラストベルト(錆びついた地域)に吹きだまり、トランプを熱狂的に支持し、アルコール、ドラッグ、自殺で「絶望死」しているのはブルーワーカーの白人男性だ。彼らはアメリカ社会で自分たちこそがもっともないがしろにされていると感じており、アファーマティブアクション(積極的差別是正措置)で「抜け駆け」する黒人や移民などマイノリティにはげしい敵意を抱く。

 日本社会の主流派は「男性」だが、そこでも「モテ(持てる者)」と「非モテ(持たざる者)」の分断が進み、女性(マイノリティ)の権利を主張するフェミニズムを嫌悪しバッシングしている。

 知識社会化とSNSなどのコミュニケーション・テクノロジーの普及によって、今後、こうした「マジョリティ」の分断はますます進んでいくだろう。

リベラル派の81.4%が「第二次世界大戦の日本の行為に関して、いつまでも謝罪を求める国は行き過ぎだ」と考えている

 木村氏はネット世論を「極端な主張」と切り捨てるのではなく、「社会全般の傾向を相当程度反映している現実があると考えた方が適切である」と述べている。

 その根拠になるのが2016年のウェブ調査で、回答者の政治イデオロギーを(アメリカ共和党的な)保守と(民主党的な)リベラルに分け、第二次世界大戦についどのように考えるかを尋ねている。その結果が下記だ(「保守」「リベラル」は私の解釈で簡略化している)。


 これを見てわかるのは、保守派(非リベラル系)であっても、半数以上(58.7%)が「第二次世界大戦における日本の行為は常に反省する必要がある」と考えていることだ。しかしそれ以上に目を引くのは、リベラル派の78.3%が「第二次世界大戦における日本の行為に関して、孫の世代、ひ孫の世代が、謝罪を続ける必要はない」に、81.4%が「第二次世界大戦における日本の行為に関して、いつまでも謝罪を求める国は行き過ぎだ」に「そう思う」と答えていることだ。驚くべきことに、この比率は保守派より多い。

 このところ、徴用工問題や自衛隊機へのレーダー照射問題で「リベラル」を自任するメディアが韓国に対して厳しい論調をとることが目立つが、それは「リベラルな読者」のこうした傾向に遅ればせながら気づいたからなのかもしれない。

橘 玲たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論-あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『働き方2.0vs4.0』(PHP研究所)。

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