右手を挙げて声援にこたえる姿は、26年前に神戸の2軍球場で見た鈴木一朗の姿と全く変わらないと思いました。
「いっくん」と女性ファンから呼ばれ、「ありがとう」と右手を挙げて応えていた当時は髪が少し長めの背番号51番の姿を思い出しました。
弟に大好きなブルーウエーブのユニフォームを取られスネる田中大貴アナ
あの頃、まだ「Ichiro」ではなく背中には「SUZUKI」の文字。オリックスブルーウェーブの2軍球場でトレーニングを積む姿を十数人のファンが見つめていました。当時、小学生だった僕。実家から父に運転してもらい車を走らせ何度も通いました。
ブルーウエーブの2軍時代、グリーンスタジアムのサブ球場で何人かのファンから応援の声をもらっていた鈴木一朗は26年後、東京ドームで大観衆に包まれ、惜しまれ、涙を誘い、大リーガーから敬愛されるイチローになっていました。
でも、あの26年前に見た笑顔と、声援に応える手の振り方、「ありがとう」という言葉をシンプルに続ける姿は何も変わっていませんでした。
3月21日の夜、東京ドームで見るイチロー選手の姿と、26年前の春、神戸の2軍球場での鈴木一朗の姿が何度もフラッシュバックしました。
神戸の2軍球場でのシートノックで鍛えた強肩はアメリカの地でレーザービームと呼ばれるようになり、走り込みで鍛え上げてきた下半身の力と脚力はヒットを量産し、世界一のヒットメーカーへと駆け上がる原動力となりました。
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イチロー選手が引退会見で何度か口にした「神戸の球場」。自主トレの地として毎オフ帰ってきていた神戸のグランド。鈴木一朗からイチローに変わっても、原点は当時のグリーンスタジアムとサブ球場にあるのだと感じました。
神戸の西区にあるあの球場へ、僕はまた行ってみようと思いました。
26年前、「鈴木選手!」と呼ぶ僕らの声に右手を挙げて「ありがとう」と応えてくれた19歳のイチロー選手を思い出しに行こうと思います。
僕のように多くの方の心の中にずっとイチロー選手は生き続けるはずです。本当にお疲れ様でした。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文:田中大貴]
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