おそらく、誰もが一度は口にしたことがあるクジラ。日本では縄文時代の貝塚や、弥生時代の遺跡からその骨が発見されています。奈良時代には天皇に献上された記録も残っており、食用としてのクジラの歴史が古いことがわかります。

しかし、日本ではそのクジラをただ美味しく食べていただけでなく、クジラへの感謝を形として残す習慣がありました。

江戸時代のクジラ料理を紹介

鯨肉はどのように食べるのが好きですか?お刺身やユッケ、竜田揚げ、ベーコンも美味しいですよね。

江戸時代に入ると捕鯨が盛んになり、クジラ漁を行う漁村では日常的に食べられていました。捕獲したクジラはその場で捌かれ、新鮮なうちに日本各地へ運ばれました。

近畿地方には「はりはり鍋」というクジラと水菜のお鍋があり、特に大坂で食べられていました。お吸い物や煮つけとして食べられているという記録を井原西鶴が残している他、江戸では鯨汁というクジラお味噌汁を年末の大掃除の後に食べるのが習慣でした。江戸時代後期に日本を訪れたシーボルトも滞在記録の中で捕鯨の様子や、クジラ料理を食べた感想を残しています。

また、クジラから採れる油は鯨油といい、灯用の燃料としても使用されていました。クジラは人々の生活に根付いた存在だったのです。

クジラへの感謝を表した「鯨塚」

江戸時代の人々に広く親しまれたクジラ。江戸の人々は「あ~美味しかった!」だけで終わりませんでした。

捕鯨地域の漁村では捕獲して美味しくいただいた鯨や、座礁によって打ち上げられた鯨に対して「鯨塚」や「鯨墓」を建てて、感謝や供養を表しました。

その「鯨塚」が東京・品川にありました。場所は京急線北品川駅から歩いて5分ほどの場所。

寛政10年(1798)5月、品川浦の浅瀬に、長さ16m 高さ2mのクジラが品川沖の浅瀬に座礁しました。クジラが座礁したことは瓦版になり、江戸中の人々が見物に訪れ、賑わったといいます。

さらにこのクジラは浜御殿(現在の浜離宮恩賜公園)まで運ばれ、当時の将軍・徳川家斉の目にも触れました。江戸を驚かせたクジラはその後解体され、供養のために骨が埋められたこの場所に「鯨塚」が建てられました。

「鯨塚」は日本各地にありますが、東京ではここが唯一。

塚のそばには水面から顔を出すクジラオブジェがありました。

品川は江戸湾に面しているため、江戸時代になると漁業や海苔作りが行われました。現在では全く想像できませんが、潮干狩りや舟遊びも楽しまれ、品川は海と密接して地域でした。

クジラへの感謝や供養を表した「鯨塚」。古くから親しまれてきたクジラは人々にとって、欠かすことのできない特別な存在だったのですね。

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