歌集『みだれ髪(明治三十四1901年)』や『君死にたまふことなかれ(同三十七1904年)』をはじめ、古典『源氏物語』の現代語訳など多彩な文芸活動で知られる明治~昭和の歌人・与謝野晶子(よさの あきこ)

授業で習った記憶にある通り、豊かな男女の情愛を自由に詠み上げた浪漫主義者として有名ですが、彼女のパートナーもまた、負けず劣らず情熱的な歌人でした。

与謝野鉄幹(本名:寛)、Wikipediaより。

その名は与謝野鉄幹(てっかん)。今回は鉄幹の詠んだ一首の短歌を紹介したいと思います。

「われ男(を)の子 意気の子 名の子 つるぎの子
 詩の子 恋の子 あゝもだえ(悶え)の子」

※『明星』明治三十四1901年3月号より。

口に出して詠んでみると、実に「の子」が七つも連続し、小気味よくリズムが刻まれています。

通常だと、「……の……の……」と続く文章はあまり美しくないものですが、ここまで徹底して連続させると、かえって様式美すら感じてしまいます。

あふれ出す愛情・男性の強さと繊細さ

さて、さっそく短歌を読み解いてみましょう。

その前半(五・七・五)は「われ男の子……」と宣言する通り、日本男子の「強さ」をこれでもか!とばかりに主張しています。

男に生まれたからは経世済民(※1)の心意気で天下に臨み、名を上げ身を立て、一朝有事(※2)とあらば醜の御盾(※3)と剣(つるぎ)とり……

(※1)けいせいさいみん:世を経(おさ)め、民を済(救)う意で「経済」の語源
(※2)いっちょうゆうじ:テロや外敵の襲来など、緊急事態
(※3)しこのみたて:国家を護る盾となる武人の自称(謙譲語)

そんな、いかにも武張った男性像を詠み上げながら、続く後半(七・七)では俄かに調子が一転します。

「詩の子 恋の子 あゝもだえの子

本当は大好きな女の子に自分の気持ちを伝えたくて、拙いボキャブラリーと汚い筆で一生懸命にラブレター(詩)などしたため、あぁこれを渡すべきか、いや渡すまいか悩んだ記憶が、皆さんにもあるかと思います。

そして一晩悩んだ挙げ句、朝になって読み返したら恥ずかしくなってせっかくのラブレターを引き裂いた記憶……皆さんにも、あるかと思います。

見方によっては「なんと軟弱な!」と思われる向きもありましょうが、その不器用な繊細さこそが男性の弱さのみならず、強さともなるのです。

愛情あふれればこそ、男性も女性も己が務めに汗を流し、大切なものを護るためなら、敵とだって戦うのです。

おわりに

「やは(柔)肌の あつ(熱)き血潮(ちしほ)に 觸(ふ)れも見で
 さびしからずや 道を説く君」 晶子

【意訳】私(若い女性)の肌にふれもしないで、その下に脈打つ血潮(気持ち)を知りもしないで、堅苦しい話ばっかり。ねぇ、寂しくないの?

かつて結婚前の与謝野晶子(旧戸籍名:鳳志やう)が、自分に和歌を指導している鉄幹に向けて詠んだ、とも言われる歌ですが、単に「晶子が積極的なのに、鉄幹は朴念仁で」……なんて話ではありません。

(寂しいに決まっているじゃないですか!触れたいに決まっているじゃないですか!)

……勝手に代弁してしまいましたが、鉄幹は「触れたかったからこそ、触れなかった」のです。

大切に思うからこそ、それに見合うだけの自分であろうと、いっときの私情を越えて公益に志すのが男性の心意気。

与謝野鉄幹と晶子。Wikipediaより。

「いちゃいちゃするのは、やるべき事をやってから」

今どきあまり流行らないスタイルかも知れませんが、そんな昔ながらの生き方も、とても愛おしく、味わい深く思います。

参考文献中央公論社『日本の詩歌 4』昭和43年8月15日 初版

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