新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


1993年欧州連合、通称EUが発足した。

米騒動とEU設立
 平成5年(1993年)、令和になり天皇へと即位する皇太子徳仁親王と小和田雅子さんがご成婚。祝福ムードに日本中が包まれていましたが、一方で冷夏、豪雨と異常気象が日本を襲い、年末にはコメを輸入することが決定。1993年米騒動として世間を大きく混乱に陥らせました。

また、スポーツ界では大相撲ハワイ出身の曙太郎が外国人力士として初の横綱に昇進しています。

世界に目を向けると、1月1日チェコスロバキアが連邦を解消し、チェコスロバキアに分離。また、アメリカではニューヨークの世界貿易センタービルの地下駐車場で爆破事件が起こりました。

そして最も大きな出来事といえば、欧州連合(EU)が発足したことです。マーストリヒト条約によりヨーロッパの地域統合体が設立。通貨の統一など、ヨーロッパの情勢を大きく変化させる出来事となりました。




【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!


サッカー

【写真】当時日本代表を主将として率いた柱谷哲二

■プロサッカーリーグJリーグ」開幕
日本ではいよいよプロサッカーリーグが産声をあげます。5月15日国立霞ヶ丘陸上競技場にて、サントリーシリーズ第1説のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)vs横浜マリノス(現横浜F・マリノス)が行われました。

川淵三郎チェアマンが開幕のあいさつを行い、ロックバンド・TUBEの前田亘輝が『君が代』を独唱。TUBEのギタリスト・春畑道哉の作曲で発売されていたJリーグの公式テーマ曲「J'S THEME」が演奏されました。

試合はヴェルディ川崎のマイヤーがJリーグの初ゴールを記録しましたが、横浜マリノスエバートンラモンディアスのゴールで逆転。記念すべきオープニングゲームを2-1で制しました。

現在では使われていないチアホーンがスタジアムには鳴り響き、フェイスペインティングやミサンガなど、当時を象徴する応援アイテムを身につけた5万9626人の大観衆の前で無事に終了しました。

このシーズンは、世界でも名の知れた選手が多くプレーしています。後に日本代表監督に就任する元ブラジル代表のジーコ(鹿島アントラーズ)をはじめ、元ドイツ代表のピエール・リトバルスキー (ジェフユナイテッド市原)、元イングランド代表のガリー・リネカー(名古屋グランパスエイト)などがプレーをしています。

なお、サントリーシリーズは鹿島アントラーズNICOSシリーズはヴェルディ川崎が優勝。両チームによるチャンピオンシップヴェルディ川崎が制し、初代王者となりました。得点王は開幕ゲームでもゴールを決め、28ゴールを記録したラモンディアス(横浜マリノス)が受賞しました。



■W杯出場が目前で消えた「ドーハの悲劇
翌年の1994年にアメリカで行われるワールドカップの出場権をかけてアジア最終予選に臨んでいた日本代表。残り1試合まで首位に立ち、アメリカ・ワールドカップへの出場まであと一歩という中で起こった悲劇は、平成を生きてきた方なら記憶に残っていることでしょう。

初のワールドカップ出場へ、イラク代表との一戦に臨んだ日本は、勝てば無条件で出場、引き分けてもサウジアラビア、韓国の結果次第で出場することができていました。

試合には、現在の日本代表で指揮を執る森保一監督や三浦知良(横浜FC)、中山雅史(アスルクラロ沼津)、長谷川健太(FC東京監督)、ラモス瑠偉などが出場。試合は5分に三浦のゴールで日本が先生。後半に追いつかれるも、69分に中山がゴールを決めて勝ち越しに成功しました。

そのまま試合は進み日本の勝利かと思われた89分、右CKからイラクがショートコーナーを仕掛けると、最後はオムラム・サルマンのゴールが決まり同点に。そのまま試合は終了し、日本は引き分けに終わりました。

他の試合は、サウジアラビアイラン相手に4-3で勝利。韓国は北朝鮮に3-0で勝利し、韓国が勝った場合は1点差であれば日本が予選を通過していましたが、この結果得失点差で抜かれ予選敗退となりました。

Jリーグ1年目ということもあり、これまで以上に注目が集まった最終予選の一戦でしたが、まさかの敗退。日本国民の大半が失意のどん底に落とされることとなった一方で、この先の日本サッカーの成長のキッカケにもなりました。
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