1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。

日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。

vol.12

1998-99シーズン/ミラン
ザックミラン


(C)CWS Brians,LTD.

監督:アルベルト・ザッケローニ(46)
獲得タイトル:セリエA
攻撃力8:★★★★★★★★☆☆
守備力8:★★★★★★★★☆☆
タレント8:★★★★★★★★☆☆
連係8:★★★★★★★★☆☆
選手層7:★★★★★★☆☆☆



1980年代末からサッキ監督、カペッロ監督の下で黄金期を迎えたミラン。しかし、1996-97シーズンを11位、1997-98シーズンを10位で終えるなど、グランミランの終焉とともに極度の不振に陥っていた。そして迎えた1998-99シーズン、この低迷を打破すべくクラブ上層部は、前シーズンに中堅クラブウディネーゼを3位に導いたザッケローニ監督に白羽の矢を立てた。

ザッケローニ監督は、ウディネーゼの躍進を支えたビアホフ(前年の得点王)とヘルベグという、自身のスタイルを熟知する選手とともにミラノへ赴く。さらに、ザック自身が標榜する[3-4-3]へのシステム変更を施してシーズンを迎えた。しかし、序盤戦は歯車が噛み合わずになかなか調子が上がらない。また、起用方を巡ってボバンやウェアといった主力選手と対立するなど、チーム内部に問題を抱えていた。それでも、何とか上位につけて前半戦を折り返す。

後半戦では、首位のラツィオをしっかりと追走。残り7試合で首位と勝ち点8差と優勝に向けて厳しい状況であったが、ミランは諦めることなく勝ち点を積み重ねた。そして、ラツィオが失速したことも影響し、最終節前の第33節でついに首位へと躍り出る。最終節では中田を擁するペルージャを破ってスクデットを奪還。ビッグクラブで結果を残すことに懐疑的な目を向けられていたザッケローニ監督だが、見事に就任1年目でミランに16度目の歓喜をもたらした。

代名詞の[3-4-3]

ザッケローニ監督は、自身の代名詞といえる[3-4-3]システムミランに落とし込んだ。[4-4-2]のシステムを好むベルルスコーニ会長から否定的な態度を取られながらも、自身の哲学を貫いてミランの改革に乗り出した。

縦への意識をチームに根付かせ、攻撃に人数を割く当時のセリエAでは珍しい攻撃的なサッカーを展開するザックは、その中で守備とのバランスに気を使いながらチーム作りを進めていった。

就任1年目でザックのやり方がチームに根付いたのは、ビアホフなどウディネーゼ時代の教え子に加え、マルディーニら高い戦術眼を持つ有能な選手が在籍していたからだ。また、このシステムで重要な役割を担う両ウイングハーフのヘルベグとグリエルミンピエトロは献身的にサイドを上下動し、攻守に高い貢献度を誇った。

卓越したテクニックを有するボバンや“リベリアの怪人”ウェアは、指揮官との対立があったものの、創造性や力強さといった才能をチームに還元。また、“貴公子”レオナルドが得意の左足で決定的な仕事を遂行する。そして、最前線の絶対的なフィニッシャー・ビアホフは持ち前の決定力を遺憾なく発揮し、ゴールを量産した。


FWオリバー・ビアホフ(30)

打点の高さと強烈なヘディングを武器にチームを勝利に導いた大型ストライカー。母国のドイツで活躍できずに23歳でイタリアに渡ると、カルチョの国で着実にステップアップを果たす。そして、恩師・ザッケローニ監督の下でその才能を開花させたビアホフは、得点王のタイトルを引っ提げてミランに移籍。プレッシャーのかかるビッグクラブでも、リーグ20ゴールと結果を残し、スクデット獲得に大きく貢献した。
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