日本を離れ、ドイツ、英国、米国、豪州と渡り歩いて10年目 「シンプルに楽しい」

 FW永里優季が2010年に日本を離れてから、早10年目を迎えた。ドイツイングランド、アメリカ、オーストラリアと渡り、ドイツ時代にはリーグ優勝3回、UEFA女子チャンピオンズリーグ(CL)優勝1回、女子DFBポカール優勝1回を経験。日本女子サッカー史上屈指のストライカーは、なぜ海外で挑戦を続けるのか。異国の地で戦う意義と“永里流”の流儀とは――。

「一度決めたことは、最後までやり通したいんです」

 永里がなでしこリーグ日本女子サッカーリーグ)1部日テレ・ベレーザからドイツの女子ブンデスリーガ1部ポツダムに移籍したのは2010年。当時、「10年は日本に帰らない」と心に誓い、海を渡ったという。

 ポツダムで4年間を過ごし、2009-10シーズンには日本女子史上初のCL優勝を経験。その後、イングランドチェルシーに移籍すると、15年にはドイツに戻ってヴォルフスブルクフランクフルトプレー。17年に欧州からアメリカ(シカゴ・レッドスターズ)へと活躍の場を移し、今冬は期限付き移籍でオーストラリアのブリスベン・ロアーで戦った。海外4か国、計6クラブでサッカー選手としてやってこれた要因は何か。永里は笑顔で、その“原動力”を教えてくれた。

「楽しい。シンプルに、それだけです。私自身、地球のいろんなところに行きたいという思いがありますから。もう一つは、自分が立てた『10年』という目標を有言実行にするためですね(笑)。この10年で自分の中での目的自体も変わってきていますが、もし今日本に帰るんだったら、そうせずに海外でキャリアを終えると思います」

「日本人=私」 英語で受け答えをする理由は「国を代表しているという気持ちがある」

 海外の不慣れな環境に身を置けば、少なからずストレスを抱えるものだが、永里は決してそれを感じさせない。現地への適応と、個性を出すバランスが取れているからだと自己分析する。

「海外で成功するためには、まずは『郷に入っては郷に従え』。日本で言う協調性ではなくて、自分の個性・特性を表現しながら周りに合わせることができないと正直厳しいです。ボールを使ったピッチ内でのコミュニケーションが一番重要。そこでいかに調和・融合しながら自分の個性を出せるか。もちろん日々の生活も含めてサッカーで、現地の生活自体にアジャストできなければ良いパフォーマンスも出せません。そうたどっていくと、やはり適応力に行き着くと思います」

 永里はアメリカに渡った2017年から英語の勉強をスタート。オーストラリアのシーズン終盤は英語でインタビューの受け答えをし、その模様はWリーグ公式ツイッターでも公開されて話題を呼んだ。たとえ「完璧でなくても」、英語で挑戦するのには永里なりのポリシーがある。

「国を代表しているという気持ちがあります。その地では『日本人=私』。だから、恥ずかしい受け答えはしたくないし、日本人はこんなに英語を話せないんだとは思われたくない。完璧でなくても、発音が悪くても、海外の人は馬鹿にして笑ったりはしません。『伝える、表現する』姿勢に対してリスペクトがあるので。英語を話せるだけで、認めてくれる人も多い。日本人の方々が私を見て、何かを感じてくれたらいいなと。海外の良いところをもっと日本に発信していきたいし、日本の良いところを国外の人々にも伝えていきたいですね」

「同じ日本人として、サッカーだけでなく言語でも刺激し合える人がいることは大きい」

 オーストラリアプレーし、現地のメディアに対しても英語で受け答えする。その姿は、男子サッカー界を牽引してきた、1歳年上のメルボルン・ビクトリーMF本田圭佑に通ずるものがある。永里にとって、本田は刺激を受ける「貴重な存在」だという。

「本田さんのことは結構意識しています。負けないぞ、って(笑)。同じ日本人として、サッカーというフィールド(分野)だけでなく、言語でも刺激し合える人がいることは私にとってはすごく大きいです」

 かつて目標の一つに掲げた「海外10年」をクリアした時、何を“次なるゴール”に設定するのか。再びアメリカに戻って戦う永里の2019年から目が離せない。

PROFILE
永里優季(ながさと・ゆうき

1987年7月15日生まれ、神奈川県出身。168センチ。日テレ・ベレーザ―ポツダム(ドイツ)―チェルシーイングランド)―ヴォルフスブルクドイツ)―フランクフルトドイツ)―シカゴ・レッドスターズ(米国)―ブリスベン・ロアー(豪州)―シカゴ・レッドスターズ。日本女子代表通算132試合58得点。2011年のなでしこジャパン世界一を知る日本女子サッカー史上屈指のストライカー。期限付き移籍した豪州のブリスベン・ロアーでは1トップ、トップ下、サイドプレーするなど、プレーヤーとして進化を続けている。(Football ZONE web編集部・小田智史 / Tomofumi Oda

永里が2010年に日本を離れてから、早10年目を迎えた【写真:Getty Images】