【大きい画像を見る】平成ゲームメモリアル第4回「洋ゲーの衝撃―日本のゲーム業界に激震が走った」

2019年4月30日をもって“平成”が終わります。この約30年間の歴史の中にはどんなゲームが存在し、如何なる流行が起こり、そしてどんな出来事があったのでしょうか?この連載「平成ゲームメモリアル」は”平成”に発売されたゲームとそのムーブメントを振り返る座談会です。

前回はPCゲームと洋ゲーのムーブメントについて触れました。第4回目は洋ゲーの本格的な日本進出とCERO Z試行、そして海賊版問題、国産タイトルとゲームメーカーの求心力低下などゲーム業界全体が大きくねじれていたようにも感じた、00年代後半の2005年から2010年ごろまでを振り返ります。



G.Suzuki 今回第4回目の司会をさせていただきます。ミリタリー系ゲームが好きなライターのG.Suzukiです。

SHINJI-coo-K ヒップホップジャンルの作曲業とフリーランスゲームライターの兼業家SHINJI-coo-Kです。(※以下SHINJI-coo-K)Game*Sparkでは主に特集執筆やこういった座談会に出席させて頂いています。

伊藤ガブリエル はい、私フリーライターの伊藤ガブリエルです!格闘ゲーム、アクションゲームをメイン、その他のジャンルもレトロ・モダン問わずたくさん楽しむゲーマーです。Game*Sparkでは主に格闘やアクションのインプレッションやインタビュー、レトロゲームについてのコラムの掲載、そしてこういった座談会に出席させて頂いております。

葛西祝 ジャンル複合ライティング業者の葛西祝です!21世紀に入った最初のころは、「もっと華やかな時代になるのかな」と漠然と思っていました。今振り返ると、逆に日本のゲームが停滞した時代でもあったと思います。

■2005年以降を語る前に―PS2で顕著になった「世界観と物語」の時代
G.Suzuki ありがとうございます。では、話を進めていきましょう。PlayStation 2(以下、PS2)は2000年3月4日、ゲームキューブ(以下、GC)は2001年9月14日、Xboxの国内版は2002年2月22日に発売です。

2000年にPS2が発売されましたが、当時自分は大きなムーブメントとなっていた深夜アニメに熱を上げていたため、PS2を買おうとするのはもっと後で良いかなと思っていました。

そんな中、PlayStation 2を2001年夏ごろに兄が買ってきた覚えがあります。シンジさん葛西さん、ガブリエルさんはPS2/Xbox/GCの各ハードについて初めて触れたのはいつでしたか?

伊藤ガブリエル 私はPS2とGCを両親と一緒に発売日に買いにいきましたね。初代Xboxは大人になってから自分で買いました。

SHINJI-coo-K 自分はテレビで取り上げられていた『鬼武者』に一目惚れしてその発売日(2001年1月25日)にPS2と共に購入しました。


葛西祝 2002年の高校生のころに、PS2を買いましたねー。当時、家族がビデオゲームに対して厳しい目で観ているから、もう密輸するような気持ちで遠くの街まで買いに行って、ひっそり自室に持ち込んで。

G.Suzuki 皆さんそんな思い出があるのですね。特に葛西さんのは、複雑な家庭の事情が見え隠れして興味深いですね。

PS2は初代PSとの後方互換があることに加えDVDプレイヤーとしても機能することから、PS2のタイトルよりも先に、本体が良く売れることが話題となっていましたね。初回販売台数も98万台と、100万台以上の規模に速攻で到達するような勢いでした。

自分がしっかりとPS2タイトルをプレイしたのは、『METAL GEAR SOLID 2』の体験版が付属するコナミのロボットアニメ・シミュレータ『ZONE OF THE ENDERS Z.O.E』(以下、『Z.O.E』)からでした。

ハイポリになって綺麗になった『MGS2』体験版のスネークに感動しつつ、ロボットアニメのようなアクションが展開出来る『Z.O.E』がとても面白かったですね。皆さんはどんな思い出がありますか?


葛西祝 正直に言うと、PS2のころはもっともつまらない時期でしたね。ビデオゲームの最新情報を見ていても、もっと新しいことができるはずなのにって、いつも思っていて。『ファイナルファンタジーX-2』がリリースされ、前作のイメージから激変して「ユ・リ・パ!」とか魔法少女ものみたいになり、脱力してました。

本当に当時、心を惹かれるようなタイトルがまるで見当たらなかったんです。「90年代の熱はなんだったんだ?」って失望感を、ゲーム情報誌を眺めるたびに感じていて。

背景には、セガもゲームメーカーに一本化し、スクウェアとエニックスをはじめとした、企業の合併も続いたことで、ライバル関係がなくなっていったことがあると思います。その後、人気IPの続編みたいに保守的なタイトルのリリースが続きましたし。

SHINJI-coo-K 当時は主にPS2に触れていたのですが、同時にドリームキャストにも触れていてメモリーカードの電池切れサウンドにうなされていました。

伊藤ガブリエル PS2の後方互換は非常に嬉しかったですね。私は発売日に買ってもらったフロムソフトウェアが手がけるRPG『エターナルリング』と、カプコン発売・アリカ開発の『ストリートファイターEX3』を交互に遊んでいました。

『エターナルリング』は当時の自分にとっては難しく、クリアするまでには至りませんでしたが、主観視点で描かれる美麗なファンタジー世界は子ども心ながら冒険心を焚き付けられましたね。

『ストリートファイターEX3』は前作よりも格段にビジュアルクオリティがアップしたキャラクターたちに嬉しくなり、CPU戦を遊びまくると共に、友人宅へ持っていって対戦するのを繰り返してました。


SHINJI-coo-K 『ストリートファイターEX3』は、なんとPS2のロンチタイトルなんですよね(2000年3月4日発売)。PS2は互換機能でそのまま引き続き安心して購入できた印象もあります。

伊藤ガブリエル そうなんですよ。当時ゲーム雑誌を読んでいて情報は知っていたので、発売日が待ち遠しくて仕方がなかったです。

葛西祝 逆に『ストリートファイターEX3』あたりは、20世紀末から続く格ゲーブームを引き延ばしているようにも思えて、あまり乗れていなかったですね。

当時は企業の合併が続くことで、国内ゲームメーカーから対立構造がなくなっていった時代だったと思います。『ファイナルファンタジー(以下、FF)』と『ドラゴンクエスト(以下、DQ)』のように両シリーズが競いあい、新しいものにしていく流れって事実上終了したと考えています。

格ゲーも90年代末には下火になってきていて、『CAPCOM VS. SNK 』って、ブームをけん引した二大巨頭が手を組むシリーズが出てきました。こちらも90年代の競争が終わった象徴のひとつだと思います。既についているファンが喜ぶお祭りでなんとかしよう、みたいな。


SHINJI-coo-K 葛西さんがおっしゃったように、国内の競争がおさまってライバル関係にある会社が手を組んだり、とにかく生き残り戦略に走っていたようなイメージがありますね。潰し合いじゃなくてどうやって生き残ろう、みたいな。

G.Suzuki 確かに、90年代のような勢いがどことなく、どのゲームメーカーからも感じられなくなったのは自分もありましたね。他にも2001年の旧SNKの倒産や、2005年のタイトーの買収もあって旧来のゲーム会社がめまぐるしく変化したような印象がありましたね。

伊藤ガブリエル ゲーム会社の合併は非常に驚きでしたね。葛西さんがあげたスクウェアとエニックスの合併に至っては、今後『FF』や『DQ』はどうなっていくのだろうという期待を当時抱いていました。『FF』と『DQ』のキャラがタッグを組むゲームが出るんじゃないかな、とか!

葛西祝 そうそう、当時は自分も毎回、『クロノ・トリガー』のドリームプロジェクトのようなパワーを持ったRPGが出てくるんじゃないかと思ってました。

G.Suzuki スクウェアとエニックスの合併発表は2002年の出来事でした。『ファイナルファンタジーX』がPS2で発売され、MMORPGの『ファイナルファンタジーXI』も登場し、制作費を回収しきれなかった2001年9月公開の映画「ファイナルファンタジー」の反動を抑え、これから息を吹き返してくるのかなと思っていた矢先の出来事だったので、初めは驚きのあまり意味をよく理解できませんでしたね。

葛西祝 スクウェアは合併の前に、『FF』の創始者である坂口博信さんも抜け、90年代に『聖剣伝説』シリーズに関わった、亀岡慎一さんをはじめとする2Dの世界観作りに強いスタッフがブラウニーブラウン(現1-UPスタジオ)として独立したり、『ゼノギアス』を作ったスタッフが抜けてモノリスソフトを設立したり、クリエイターの独立が相次いでいたんですよね……

SHINJI-coo-K スクウェアとエニックスの合併(実施は2003年4月1日)は当時、自分には割とショックだったんですよ。「えっこの2つの(自分の目線では)すっごい会社が合併しなきゃならないってピンチだったの?」という戸惑いがありました。その印象は後に払拭されましたが、当時は衝撃でしたよ。

G.Suzuki 他にも、スクウェア・エニックスの合併に続くように、2004年にセガがサミーと経営統合し、2005年にナムコとバンダイが経営統合するという合併ラッシュに驚きましたね。当時のゲーム雑誌などに、「再編が進むゲーム業界」と題されて論じられたことにも、どことなく不安と驚きが絶えませんでした。

また、各社が合併が進む一方で2003年12月からはファミコンの展示会「レベルX」が開催されるようになって20世紀に発売されたコンソールのレガシー化も起きていましたね。

当時は、この企画展が開催されることを知って「ビデオゲームが歴史として語られるほど時間が経ったのか」と思うと共に、先の合併話もあって焦燥感がありました。加えて、ファミコンのカラーを模したゲームボーイミクロの存在もあって、知らないところでクラシックブームがあるのかと思いましたね。

葛西祝 このころはGBAでも「ファミコンミニ」シリーズも出てきたり、確かに過去のレガシー化がいろんなとこで出てきましたね。また2000年代前半ごろって、コンソールも意外に新しいものが提示できていなかった印象がありますね。特にマイナーチェンジを続けていたJRPGから停滞を感じていました。

アーケードも難しい状況で、思った以上に国内ゲームメーカーが停滞してました。当時は独創的な作風のビデオゲームが台頭していったことに注目していましたね。

たとえば上田文人さんの『ICO』、『ワンダと巨像』。そしてグラスホッパー・マニファクチュアの須田剛一さんによる『花と太陽と雨と』や『Killer7』、そして当時ナムコの高橋慶太さんの『塊魂』など……大規模なプロジェクトよりも、アートやアバンギャルドな方向性を持つクリエイターのやることの方が面白かったです。


伊藤ガブリエル クリエイターの色が存分に出ているタイトルがどんどん出てきていましたよね。表現能力や技術の向上によって、新たな世界観を生み出していくタイトルが多い印象でした。

G.Suzuki クリエイターが注目されると言えば、小島秀夫監督については本当に『MGS2』以降、シリーズが発売されるごとに注目度が高くなっていたように感じました。そのなかで『MGS2』終盤のAI大佐が話す内容は難しいうえに話も長く、理解するのに時間が多く必要でしたね。


伊藤ガブリエル 『MGS2』はリアルタイムで遊んでいたとき、後半の内容は全く頭に入ってきませんでした…(笑) 加えて大佐の狂った感じが本当に怖くて怖くて… なぜそうなったのかは大人になって再プレイして初めて理解できました。

G.Suzuki 確かに。『MGS2』終盤のGW大佐は、プレイヤーに思考というか、ゲームのメタ的部分を大いに利用して、プレイヤーの深層心理に潜む心の弱さを暴いてくるような怖さがありましたよね。

次作の『MGS3』は、そのまま『MGS2』の直接的な物語の完結を描かずに過去が舞台としましたが、ネイキッド・スネークが師匠であるザ・ボスを倒す感動的なストーリーが話題となりましたよね。

一方で、サバイバルをするゲームシステムや操作性についての善し悪しについては、話題の順番として後回しにされる流れがあると当時感じました。前回の話で出てきた『エースコンバット5』もゲームシステムそのものの根本的な発展はなかったものの、感動的なストーリーテリングと演出が最初に褒められていましたね。


SHINJI-coo-K グラフィックやサウンドの技術的な進歩で“ゲーム世界の表現における解像度”が上がった分、次はシナリオだったりストーリーテリングがさらに注目されるようになったと思います。

G.Suzuki まさに、PS2時代は前回葛西さんが言っていた「世界観と物語」の時代ですよね。「世界観と物語」と言えば、前述の『ZOE』なら同時期にTVアニメとしてサンライズ制作の「Z.O.E Dolores, i」が放送されると共に、OVA「Z.O.E 2167 IDOLO」が発売されていましたね。

この21世紀初頭からゲームの世界観を広げ補完するメディアミックスも本格的に各社取り組むようになった覚えがあります。当時「Z.O.E Dolores, i」を見ていたのですが、ゲーム本編を補完する内容でとにかく面白かったですね、49歳の高齢子持ち主人公ジェイムズ・リンクスの存在も新鮮でした。

伊藤ガブリエル そうですね。私はゲーム本筋の物語に加え、別角度・別時間の物語も含めて見ていくことで体験が完全なものとなる『.hack』シリーズも当時ものすごい試みだと思いました。ネットゲームを題材にしていたこともあって、その未来感が非常に私の心に刺さりましたよ。

葛西祝 ああー『.hack』!メディアミックスをゲームの世界観にしようとしたシリーズでしたよね。本編ゲームと別に、アニメDVDも同梱していたという。PS2のDVD再生機能を生かした試みですね。

G.Suzuki しかも全4巻で、今で言うところのエピソディック形式でゲームを販売していたのも驚きでしたね。開発が頓挫しないで、次巻発売を今か今かと待ちわびていたのが懐かしいです(笑)。同時期に深夜で放送してた『.hack//SIGN』もよく見ていました。

伊藤ガブリエル 『.hack//SIGN』、ゲーム本編の前日談ですね!「The World」と呼ばれるネットゲーム内世界での事件と、現実世界での事件が徐々にリンクしていくのを別媒体で楽しめるのは面白かったです。その分次巻早く!という気持ちとも戦うことになりましたが…(笑)


SHINJI-coo-K 今でこそよく見る「MMORPGの世界とそのプレイヤーを題材にしたタイトル」ですがジャンル初期のものともいえそうですよね。

G.Suzuki そうですね。これ以降ジャンルの盛況をみると、『.hack』シリーズが開拓したようにも見えてきますね。また2004年近辺は『MGS3』や『エースコンバット5』の「物語と世界観」のタイトルが話題作の多くを占めるようになり、そればかりが注目されるようになったことで、いつのまにか大きな評価点にもなっていましたよね。

自分は、そんなストーリーばかりが評価の中心となってしまったが故に他のハードにも冒険したくなってきたのが2004年の時だったんですよ。

そこで前にプレイしていた『メダル・オブ・オナー 史上最大の作戦』を経由して、PCゲームの『バトルフィールド 1942』(以下、BF1942)と『メダル・オブ・オナー アライドアサルト』に手を出したんですよね。


FPSというゲームジャンルの物珍しさもそうでしたが、『BF1942』の64人対戦はとても衝撃的でした。自分がミリタリー系に興味を持ち始めたのは、『BF1942』で発見した車輌が敵か味方を区別する必要があったからでしたね。

あと、ウェーク島などに登場する日本軍の九七式中戦車チハがコミュニティで揶揄されることに疑問を持ったことから、日本の戦車に興味をもって独自に調べ出しましたね。そこが自分のミリタリーファンとしての始まりでした。

伊藤ガブリエル 私も2002年頃、我が家に初めてパソコンが来まして、そこからPCゲームというものに触れていきました。『スター・ウォーズ ギャラクティックバトルグラウンド』を通じて、初めてRTSというジャンルを知りましたね。ストーム・トルーパーやTIEファイターを自分で生産して、思いのままに進軍させることができるだけでもう嬉しかった思い出です。


G.Suzuki ああ!当時は1998年の「スター・ウォーズ エピソード1/ファントムメナス」公開に合わせての「SW」関連ゲーム発売ラッシュからの流れで、シリーズ最新作が公開が近くなるにつれ『スター・ウォーズ リパブリックコマンド』や『スター・ウォーズ ローグ スコードロンII』など「SW」ゲームがリリースされていましたよね。

SHINJI-coo-K 今となっては「スター・ウォーズのゲーム」ってジャンルがあるんじゃないかというほど目にするようになりましたよ(笑)

伊藤ガブリエル はい、本当に数多くのタイトルが出ていた印象でした。新しいハードが出る=SWのタイトルも出る、みたいな(笑)

タイトルによっては先ほどのメディアミックスのようなものもあるかと思います。映画本編とは別に、小説やアニメなどを含め多くのスピンオフが展開されていたので。ゲームだとN64/PCの『スター・ウォーズ 帝国の影』が代表的な例ですね。(EP5とEP6の間を描いている)


次ページ: ゲームバッシングとコンソール停滞感が漂った00年代中盤を語る

■世間からのゲームバッシングと停滞感―携帯機/携帯電話による日常へのゲームの浸透
葛西祝 G.SuzukiさんはPCゲームにシフトしていったんですよね。自分は「まだコンソールには何かできるんじゃないか」と思って触り続けていた感じです。

G.Suzuki 葛西さんはそうだったのですね。自分はゲームプレイ体験を拡大したいが故にPCゲームに飛び込んだ形でしたね。『BF1942』を筆頭としたPCゲームに心底惚れ込んで、夜遅くまでプレイしていたのが楽しい思い出でした。

またちょっと話を戻すと、2004年って『MGS3』や『エースコンバット5』の他にも、『Half-Life 2』や『DOOM 3』そして『Far Cry』の発売、セガとサミーの合併、PS3のBD搭載とNvidiaとのGPU共同開発の発表。


加えてPlayStation Portable(以下、PSP)とNintendo DS(以下、DS)、薄型PS2発売など今のゲームシーンに続く、ゲーム業界の変化と国内外の人気タイトルやハードが一斉にリリースされた年でもあるんですよね。

また当時海外のゲームエンジンは、HDRレンダリングを筆頭にグラフィックスとゲームエンジンの進歩が著しくて技術的にも驚きと感動に満ちあふれていました。


さらに2005年初頭には、RTSの様に指揮出来る司令官や分隊要素、武器アンロック要素を盛り込んだ『バトルフィールド2』が発売されていたりと、マルチプレイタイトルに関しても変化が起き始めていたんですよね。


葛西祝 あの当時から、海外のゲームメーカーがゲームデザインやゲームエンジンを先に進めていて、日本はちょっと止まっていた感じなんですよね。

加えて、国内のビデオゲームに対しての世論も悪い方向に流れてましたよね。代表的な出来事は、2002年に「ゲーム脳の恐怖」がNHK出版より発売されたことです。 脳科学者の森昭雄氏が書いた事で世間から注目を集め、ゲーム=悪の印象が強化されたり。

それだけではなく、『GTA III』の暴力表現も問題になって、神奈川県が有害図書に指定したり。日本国内では、ゲームは良くないイメージに流れていきました。

G.Suzuki そうでしたね。『GTA III』の衝撃が大きかったのか、2005年付近からゲームの暴力表現に関してのバッシングが多かったのを覚えています。神奈川県が『GTA III』有害図書指定に指定したのを切っ掛けにNHKでも特番が組まれていましたね。

葛西祝 テレビ番組で特集されたり、ゲームの表現が現実に近づくにつれて、『GTA III』のような暴力表現の過剰さが問題になったり……国内ゲームメーカーが次の一手を決めあぐねているなかで、世間の評価ではゲーム=悪という、80年代ファミコンブームから言われていた意見が公になっていきました。なので2000年代前半の国内のゲームって、とてもつらいムードがあるんですよ。

SHINJI-coo-K ちょっと停滞感のある時期でしたよね。

G.Suzuki00年代中頃は、洋ゲーの来襲、コンソールの停滞感、合併ラッシュ、暴力表現問題が同時に存在する「混沌(カオス)」と言うべき状況でしたね。

伊藤ガブリエル ゲームに対する評価や見方などさまざまな点が、この頃を境にまた変わっていった印象です。『GTA III』の一件から、日本でもCEROZ区分ができましたし。

G.Suzuki CERO Z区分の登場と施行による余波は現在でも続いていて、まだ2005年頃の問題を完全に解消仕切れていないのだなと思いますね。また同時期には、PSPとDSが発売していることに加え携帯電話のゲーム機能が年々向上し、ゲームを持ち運ぶことにも変化が起きていました。

FOMA世代の携帯電話で、2004年に登場したN900iに初代『ドラゴンクエスト』が、P900iに『ファイナルファンタジー』がプリインストールされ携帯電話でもRPGが遊べるようになったことは衝撃的でしたし、前述の2タイトルがキラータイトルとしても扱われていましたね。

このムーブメントに関係しているように思えたのは、2008年6月の『MGS4』発売近辺の「ゲームは暇つぶしになったのか」という街頭広告からでした。

携帯電話や携帯ゲーム機等によってゲームが日常へと浸透したことで「暇つぶしとしてゲームが遊べるようになった」と、幅広い層にとってゲームがそこまで日常的な存在になったことに驚きましたね。

葛西祝 当時はDSを買ってましたねー。『押忍!闘え!応援団』がすごく好きでした。キワモノに見せかけて、物語主導な音ゲーという。

伊藤ガブリエル 私はPSPと携帯電話でアプリを遊んでいて、PSPロンチタイトルの『メタルギアアシッド』はじっくりやりこんでいました。

また携帯電話では『アーマード・コア モバイル』シリーズや外伝の『女神異聞録ペルソナ 異空の塔編』など、ゲーマーに馴染みの深いタイトルが当時携帯アプリでどんどん出てきていましたね。私の大好きな『シルバー事件25区』も携帯アプリとして配信されました。

SHINJI-coo-K 自分は携帯機種ではPSPを触っていました。まず友人が持ってきたPSPを触らせてもらって、ゲームボーイを遊んでいたときの情熱がむくむくっと蘇って……という感じでしたね~。

G.Suzuki 自分はPSPを買っていました!コナミから出ていたFPSの『コーデット・アームズ』と、アニメ「攻殻機動隊 S.A.C.」をベースにしたepicsのFPS『攻殻機動隊 S.A.C. 狩人の領域』がやりたくて買いましたね。


同作以外のストーリーがしっかりと描写された日本産FPSをもうずっと待っているんですけれど、結局平成が終わろうとしているなかでも数多く出てこなくて寂しいです…。

PS3で発売が予定されていたコナミのFPS『Coded Arms Assult』は、ストーリーも期待していただけに突然の公式サイト閉鎖で発売無期延期になってしまったのが今でもとても残念ですね…。


葛西祝 DSは実験的な要素もあるハードでしたよね。タッチペンはじめ、ボイスや息の吹きかけまで操作に入るという。それらの機能を生かして『赤ちゃんはどこからくるの?』といった変化球みたいなタイトルが出てましたよね。



SHINJI-coo-K DSってなんだかガジェット感があって、ゲーム機なんだけど従来のゲーム機に収まらないものを持っていて、その自由さみたいなものがWiiに繋がったのかなと思いますね。色んなものをハードに仕込んであるからゲームメーカーは自由におもしろい発想を活かしてくれよな!っていう。

G.Suzuki DSはピクトチャットやすれ違い通信などローカル間で繋がる機能が印象的でしたね。友達からよく聞いたエピソードでは、東京ゲームショウやコミケなどイベントの待機列で待っている間にDSのピクトチャットを使って、その場にいたDS持ちの参加者と色々な世間話を話したとか。

伊藤ガブリエル この頃にはもう、携帯ゲーム機同士の無線通信が標準でできるようになっていて、近くの人と気軽に遊べるようになりましたよね。そういったチャットを楽しめるのは良いなあ…!私自身DSの初期の頃は遊んでいませんでしたが、CM効果もあってか、『nintendogs』や『脳を鍛える大人のDSトレーニング』のイメージが強かったです。

G.Suzuki 一方のPSPにもアドホックモードなどインターネット/ローカル間で繋がる機能がありましたが、それらが本格的に活用されたように感じるのは後に発売されたPSP版の『モンスターハンター』からのように感じましたね。

またPSPでは『グラディウス ポータブル』や『メタルスラッグコンプリート』など、シリーズ全部入りパッケージのタイトルも多かったですね。


加えて、2005年には11月22日にアメリカでXbox 360が、12月10日に日本で発売されて、コンソールにも高精細なグラフィックが入るようになってきましたね。

翌年の2006年に家電量販店でプレイアブルデモとしてタイトーのフライトシム『Over G』が展示されていたのが何故か印象に残っています。


SHINJI-coo-K フォトリアリスティックなゲームが説得力を持ち出しましたよね。それに、今となっては一般的なゲームのトレイラー映像も、その2005年に生まれたYouTubeによるところが大きいと思います。改めて振り返ると、この頃からゲームと動画が親密になったような印象がありますね。

G.Suzukiトレイラーの映像は確かに、それぐらいから重要になってきた印象がありますね!一方でユーザー間におけるゲームとプレイ動画に関しては、YouTube以前だと自分でキャプチャーした映像を自分のホームページ等で公開する流れが主流でしたが、動画サイトに投稿してプレイ映像を鑑賞する流れが2005年付近から生まれるようになりました。

また強豪FPSプレイヤーやクランによるフラグムービーや、ゲームを使い映画のように映像を制作するマシネマ(machinema)など、国内外問わず流行りましたね。

国内の映像制作団体BF1942Movie:JPN制作の「Leave No Man Behind」を筆頭に多種多様な映像がありました。ゲームの実況配信については、2005年より少し前にP2P方式のライブストリーミング配信ソフトウェア「PeerCast」を使って独自にゲームを実況配信し小さなコミュニティを確立する文化がチラホラと誕生しはじめたのを覚えています。またE3のプレスカンファレンスをストリーミング配信するようになったのも2008年ぐらいだったのを覚えています。

葛西祝 Xbox 360を遊んでいて、海外のゲームからすごいものが出てきたと思ったのは『ストラングルホールド』なんですよ、チョウ・ユンファ主演・ジョンウー監督のゲームという。


『マックスペイン』のゲームデザインを使いながらも、往年の「男たちの挽歌」シリーズのアクションをHDで実現しているんです。映画とゲームの近づき方ってことでは、実在の俳優と映画監督が作ったわけですから衝撃的なタイトルでしたよ。

伊藤ガブリエル 自身のプレイを他者に見てもらうという、今でいうところのゲーム実況はこの頃から始まっているのかもしれません。ゲームプレイ映像のみもありましたし、音声を一緒に録音しているものもありましたよね。

G.Suzuki YouTubeが本格的に映像配信サイトとして使われるようになるのはGoogleによる買収の後と機能の拡張後でしたが、それと同時期に一時期ニコニコ動画が国内でゲームプレイ動画投稿のメジャーな場所として使われていましたね。

伊藤ガブリエル ニコニコ動画の、ユーザーが書いたコメントが動画とともに流れるというのは当時本当に画期的でした。私自身今も暇さえあれば見ています。こうした動画へのコメント機能が、ゲームプレイ動画と合わさるとさまざまなユーザーが感想を書いたり、意見を交わしたりと、多くの楽しみ方ができるということで、非常に親和性がありますよね。

G.Suzuki 確かに!今思えばユーザーがゲームに対する評判や評価を判断する基準が、今までの文字だけでなく映像にまで拡大することで、より説得力を持つようになったと感じます。

話を戻すと、Xbox 360発売から約1年後の2006年11月11日には国内でPS3が、12月2日にはWiiが発売しています。PS3は、デモで使われた映像がとても衝撃的で「今まで独自に発展してきたPCゲームはどうなってしまうのだろう…」と少し不安になりましたね……。

それに加えて、PS3は当初2006年5月に価格が発表された時に比較的低価格な20GB版の価格が6万2790円(税込)とPS2発売時より高額なことにも、大きな不安があったことは覚えています。

しかしながらその後のTGS 2006では49,980円(税込)と価格改定されて、価格が下がった事には安堵感を覚えつつも頑張って手を出すにはまだまだ難しいといった印象を受けました。


伊藤ガブリエル PS3のデモ映像は非常に魅力的なものが多かったですよね。その分値段も高くなるのだろう……やっぱり高かった!という。しかし、タイトルのラインナップに加え、後方互換が(初期型のみPS2互換がありますが)PS1/PS2ともに付いていて、メモリーカードもHDD内に仮想カードを作れるのは本当に嬉しかったです。

Xbox360やPS3、Wiiという3ハードがコンソールの主流になっていくなか、PCゲームにも力が入っていきますが、PCゲームタイトルがコンソールへ移植されるというのもこの頃からより目立っていったような印象があります。それ以前にも移植タイトルはありましたが、より多くのユーザーに浸透していったというか。

G.Suzuki そうですね、PCゲームのコンソール移植自体は、『HL2』や『DOOM 3』などPS2やXbox時代にもありましたが、PS3/Xbox 360時代から本格的になりましたよね。それと共に、PCだけでなくPS3/Xbox 360向けにもタイトルをリリースするマルチプラットフォーム時代にも入っていきましたね。

葛西祝 PS3/Xbox 360と出そろった当時、Wiiのやっていることに注目していました。世間に目を向けつつ、同時にアヴァンギャルドなゲーム機だったので。ハイクオリティな処理能力を捨ててまで、何をやったのか?って振り返っていくと面白いんですよ。

2000年代初めの、世論で形成されつつあったゲーム=悪のイメージや、業界の保守的な状況に対し、任天堂がWiiとDSでやったことって、負のイメージへのカウンターというのが強かったんです。

さっきも「ゲーム脳の恐怖」について話しましたが、あれはゲームメディアも、心ある識者も満場一致でデマや偏見でしかない本だった、と結論付けています。だけどその結論は世論を変えるまでには至らなかった。そこで任天堂はプラットフォームホルダーの立場から、カウンターを打ったんじゃないかと思ってます。

『脳を鍛える大人のDSトレーニング』って、まさしく「ゲーム脳の恐怖」に対するカウンターでしたよね。脳科学者である川島隆太教授に監修してもらって、ビデオゲームは脳科学的にも問題ないよって打ち出していたんです。

Wiiはさらにそれを推し進めてましたね。世論でマニアックに思われ、ひとりでゲームプレイに没入しつづけるイメージから、徹底して家族や祖父母と集まって、コミュニケーションを取りながら遊べるイメージ戦略を徹底していました。


SHINJI-coo-K「ゲーム脳の恐怖」は、世間のゲームに対する冷たい眼差しを補強したと思うんです。悪いイメージを持つ者の根拠にされたというか。だからどれだけ言葉で反論してもなかなか説得できない。そこで『脳を鍛える大人のDSトレーニング』で「むしろ脳を鍛えられちゃう」って事をやる、このカウンターってすごく意義深いものだったし、それを任天堂がやったっていうのは今に繋がるゲームのプラスイメージを助けているんじゃないかなと思います。

葛西祝 ただ、当の川島隆太氏も、2016年にはゲームと脳に関するリサーチを発表しています。こちらは「ゲームをすること自体が悪いとは思わない」と前置きしつつ「ゲームの恐ろしいところは、いくらでも多くの時間を注ぎ込めることだ」と語っており、川島氏自体はフラットな立場でゲームを捉えていたと思いますね。

SHINJI-coo-K おお!中立的!この両方の視線が偏りなくあってほしいんですよね。ゲームのプラスもマイナスも過度にイメージを押しつけないというか。2000年代半ばはまだカウンターのフェイズだったのかな、と思いました。ちょうどゲームのレーティングの話題が熱かった時期のようにも思います。

葛西祝 そうですよね。任天堂がWiiとDSで行った、ゲーム=悪へのカウンターはすさまじくて、そのまま2007年前後の大ヒット商品にまで上り詰めました。ゲームデザインを社会に応用する「ゲーミフィケーション」って言葉があります。Wiiが活躍していた時代を再検証すると、当時の任天堂がゲーミフィケーションの最大の成功例だったんじゃないかって思いますよ。僕の家でも買いましたし。『Wii Fit』。

SHINJI-coo-K 脳どころじゃなく身体まで鍛えられちゃう!改めてその流れってすごい(笑)

葛西祝 ゲームばっかりやってると体に悪いという世論へのカウンター!(笑)

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■CERO Zの誕生と現在まで続く表現規制―PS3/Xbox 360時代に主流となったマルチプラットフォーム化
G.Suzuki また一方で、2006年3月からCEROのレーティングが一新されて、新たに18歳以上が対象となるCERO Z指定と、17歳以上対象のDが誕生しました。

2006年に米国で2007年に国内でXbox 360にて発売された『Gears of War』では、CERO Z枠で発売されましたがチェーンソーで敵を倒すと切断面が真っ黒になるなどの規制問題が話題にもなりましたよね。

葛西祝 表現規制は全面的に反対ですし、規制によってクリエイティブの幅が狭められちゃうことは問題ですね。CERO Zのレーティングを作っても、今でも一部に規制が入るケースもあり、100%の状態でゲームを遊べないのはいかがなものか、とは思いますよ。やはり。

G.Suzuki 結局CERO Zが誕生してからも、現時点までの13年の間に規制問題は元々のタイトルに入っている表現を制限してしまっているままですよね。

伊藤ガブリエル CERO Zに関して葛西さんに同意です。表現規制により、物語の意味合いに齟齬が出てしまうものもありますし。またこの問題は現在のタイトルにおいてもよく取り沙汰されるものでもあります。

SHINJI-coo-K 「表現の“行為”」を規制するんじゃなく「表現の“公開範囲”」、つまりゾーニングに留めてほしいですね。その範囲がまた難しいですが、難しいままに「なるべく規制する」という流れだと萎縮しちゃうんですよね。CEROの規制に関しても、2000年半ばでホットなトピックだったなと改めて思います。

G.Suzuki CERO Zは、00年代後半の洋ゲーローカライズブームに直撃するような時期に試行されてしまいましたよね。

葛西祝 今でもCEROの規制基準がはっきりせず、ゲーム体験の大事な部分に規制が入ったりと、納得いかない部分はあります。

一方で、より現実的なグラフィックス、ゲームプレイによる表現の範囲も広まる中で、業界側がガイドラインを引く必要が当時あったから、やらざるを得なかったのかなと。SHINJI-coo-Kさんや鈴木さんはPCゲームのほうに行ったのって、やっぱり規制がかからないからってのもあるんでしょうか?

G.Suzuki 自分の場合は、2004年の時点でゲームプレイ拡大を求めた故に、本格的にPCゲームへ飛び込んだので「規制がないからプレイするようになった」という形ではありませんでしたね。気付いたら規制の掛かっていないオリジナルをずっと遊んでいたことになりましたす。

SHINJI-coo-K おお、G.Suzukiさんはそうなんですね。自分はPCゲームにみられるアナーキーさに引っ張られたところがあります。たとえばシューターの暴力表現もちょっとゲームとして逸脱してると当時は思っていて、それに魅力を感じてよくプレイするようになりました。

当時というのは2000年半ばぐらいでSteamがスロースタートで登場して以降、前回で大いに語ったPCゲームがいよいよ熱を帯びてきた時期です。

G.Suzuki 確かにSteamはスロースタートでしたね!2004年に『Half-Life 2』で導入して以降2年ぐらい経過した後に、『Red Orchestra: Ostfront 41-45』などインディーゲームやActivisionなどの大手パブリッシャーが参加したぐらいから毎日起動するようになりました。Steam開始直後はValveのタイトルしかなくて数が足りませんでしたね。

また2007年と言えば、洋ゲーの本格的な日本への進出…というか露出が目立つようになりました。特に顕著なのが『Call of Duty 4: Modern Warfare』です。

今までのシリーズが第二次世界大戦を舞台にしてきましたが、一気に現代へと移り、リアルタイムで起こる戦いを体験する展開や、ミッション「オールギリードアップ」のように、派手な爆発や戦闘を行わないで緊迫感を出す演出も可能になった事が印象的です。

2003年3月のイラク戦争勃発とそれに続く治安戦争の混沌から少し、余裕を持って現代の戦いに注目出来るようになってきたのかと思えるようになったと感じました。


他にも、PCゲーム関連では長年の延期を繰り返し6年越しに2007年3月に海外でやっと発売された『S.T.A.L.K.E.R.: Shadow of Chernobyl』や、Steamに他のパブリッシャーが参入して、ようやくPC方面でのダウンロード販売が成長しつつある時でしたね。


葛西祝 『Call of Duty 4: Modern Warfare』はPS3や360にでもリリースされ、このあたりから自分の嗜好も海外タイトルになっていきましたね。立て続けにすごいタイトルがリリースされましたから。

『The Elder Scrolls IV: Oblivion』でRPGでリミットがなくなった世界を初めて体験しましたよ。日本のRPGに慣れていた身からすると、驚きでしたね。メインストーリーで終わらず、広い世界に膨大なイベントが用意されていたり、わかりやすい英雄だけではなく、どうしようもない盗賊や怠け者みたいに主人公の人生を自由に作ることができたりするという。


SHINJI-coo-K PCファーストで生まれたゲームがマルチプラットフォームで販売されるようになった時期でもありますよね。

伊藤ガブリエル 『Half-Life 2: Game of the Year Edition』をパッケージで購入してから、私も本格的にPCゲームを遊ぶようになりましたね。PCで生まれたシリーズが、PS3/Xbox 360/Wiiのマルチプラットフォームでも販売されましたし、『BF2: MC』や『CoD3』などコンソールでのみ発売されたタイトルも中にはありましたね。

G.Suzuki 先の『CoD4』もPCだけでなくコンソールでも同内容の物がリリースされることに驚きがありましたね。一方で、マルチプラットフォームによってコンソールでもPCと同等のグラフィックやフレームレートが低価格で確保できるようになったため、PCでゲームを買う/プレイする優位性や特性が大きく薄まってしまったのが寂しかったですね。特徴や癖があるPCゲームそのもの特徴がマルチプラットフォーム化によって薄まってしまうというか…。

葛西祝 だんだんと、特定のハードでソフトを独占リリースするというのが少なくなっていきましたよね。

G.Suzuki 先のPC版だけ切られてしまうタイトルはあるにせよ、基本的に大手パブリッシャーが出すタイトルはPS3/Xbox 360のマルチプラットフォームは多かったですよね。一方でこの時期は、PCゲームは大きな問題を抱えていたので、コンソールなどに駆逐されてしまうことになってしまうかと思えるところが怖かったです。

葛西祝 あっ、むしろ問題があったんですか?コンソール派からすると、我が世の春かと思っていました……

G.Suzuki 特に有名なのが『Crysis』のCrytekは同作で100万本の売り上げを達しつつも、海賊版によってダメージを受けてしまったことによって、PC独占のゲームを開発を行わないと宣言してしまったことです。

加えて、海賊版問題などに関してIntelやMicrosoftなどの企業を筆頭としたPC Gaming Allianceという団体も立ち上がり、この問題をどうにかしようと解決に模索していた時代だったんですよ。


葛西祝 なるほど!それがのちに『Crysis 2』などコンソールの展開に繋がっていったと。

G.Suzuki そう、そうなんですよ!また、これらのPCゲームの問題に関してValveのGabe Newell氏は、直々にPCゲームの海賊版問題や絶好調なコンソールに対して、Steamは大きな成長を遂げつつあるなどのコメントを当時残していたりするんですよね。まるで、PCゲーマーが抱える問題感に対して安心させるような形で。

もちろんPCだけなくPSPやDS、はたまた他のコンソールも含めて00年代後半の海賊版問題は社会的なものだったように思えます。

SHINJI-coo-K特に海賊版に関しては、後の2012年にUBIソフトが「PCゲームは1割しか正規ユーザーがいない」という爆弾発言をしましたからね。大いに反感を買うことになりましたが。

伊藤ガブリエル 『Crysis』の問題、今Game*Sparkの記事を検索してみてはっきり思い出しました…。当時パッケージ版を買いとても楽しんだ分、海賊版での被害がものすごかったことを聞いて悲しくなりましたね…。

PCゲームのデジタル市場はここから一気に成長していった印象があります。私がSteamを使い始めたのは2006年からでしたが、自社のゲームだけではなく、数多くのパブリッシャーと連携し一大巨塔をどんどん築いていくのを目の当たりにできたのは嬉しかったですね。

G.Suzuki そうですね、国内パブリッシャーだとカプコンが一番最初にSteamへ参入して、PC版『ロストプラネット』の配信をしていた事が印象的でした。また2007年以降には、前述の通りマルチプラットフォームでの展開が主流となり、サードパーティーから特定のハードのみに供給されるタイトルが著しく少なくなったようにも思えました。


国産を含め多くのサードパーティー製のタイトルがマルチプラットフォーム化されていくなかで、独占を保ち続けたタイトルと言えば『MGS4』が思い浮かびます。一時期Xbox 360への移植の噂がありましたが、最終的に「容量的な問題で移植は不可能」と報道されましたね。


伊藤ガブリエル この辺りからそれぞれのハードにおいて、人気シリーズかつ独占タイトルがまた出てくるようになりましたよね。G.Suzukiさんが仰られた『MGS4』もそうですし、Xbox360ですと『Gears of War』、『DEAD OR ALIVE 4』や『ACE COMBAT 6 解放への戦火』など……。


SHINJI-coo-K 独占タイトルといわれて即座に思い浮かぶのは自分は『アンチャーテッド』シリーズですね。ソニーのパブリッシュということでよりそのイメージがあるのかもしれません。


伊藤ガブリエル 『アンチャーテッド』もそうですね!あとはPS3だと『デモンズソウル』とかもありました。一方マルチプラットフォームタイトルになると、それぞれの機種ごとによる違いが目立っていった印象があります。例えば、フレームレートであったり、表現の違いであったり。

G.Suzuki 確かに、フレームレートや微妙な表現の違いと言えば『ベヨネッタ』が思い当たりますね。スタイリッシュなアクションに興味を持って調べてみたらハード間の違いがあることに驚きました。

伊藤ガブリエル そうですね、『ベヨネッタ』ですとアクションゲームということもあって、フレームレートの違いが凄く気になりました。ほかにも機種によってグラフィック・演出が一部変わっているといった具合に、本来同じタイトルのはずなのに、ゲーム体験の質が変わってきてしまうという問題があります。

葛西祝 PS3とXbox 360、Wiiが出そろった最初のころは、ハードそれぞれの競い合いみたいなものって割とありましたけども、だんだんとそういうのもなくなっていった気がしますね

SHINJI-coo-K 以前にも話題に挙がったように「なるべくすべてのハードで出す」ことによってその競い合いは収束していった印象がありますね。PCも含めてマルチプラットフォームで、2000年代後半からはコンソール中心の競い合いというものも感じなくなったといいますか。

伊藤ガブリエル またインターネットの普及により、ユーザーも自身で情報提供・収集をするようになっていった結果、それぞれ自分の好きなバージョン・ハードで購入できるようになっていきましたよね。ユーザー投稿のレビューサイトとかもあったりして。

葛西祝 そのインターネットも負の効果もありましたね。昔からネットでは、各社ゲームハードのユーザー同士で争うプロレスのような文化が、狭いコミュニティで根付いていました。

しかしネットが普及し、まとめサイトなどが乱立するようになってから、「WiiやPS3、360のユーザー間で諍いを起こしていた」ことが検索エンジンに引っかかるようになって、悪目立ちするようになったというか。

SHINJI-coo-K ハードウェア同士の、企業間の戦争じゃなくってユーザー間の戦争という。代理戦争みたいな感じですね。

G.Suzuki そうそう思い返してみれば、あの頃の戦争は供給元のハードウェアメーカー同士の争いではなく、ユーザー間によるものでしたよね

葛西祝 序盤こそ、360に『ブルードラゴン』や『ロストオデッセイ』を坂口博信さんがディレクターとなってリリースしてましたし、『テイルズ オブ ヴェスペリア』などサードパーティーも強いIPを供給していたし、ハード戦争らしい側面はあったんですよ。


PS3は勢いを落としていて、ゲームライターの多根清史さんもそれについて分析をした「プレステ3はなぜ失敗したのか?(晋遊舎)」という本を執筆していましたし。

明暗が分かれていた時期に、2ch(現5ch)のまとめサイトみたいなやつが台頭していき、乱立していった余波がいまだに続いているんじゃないですかね。90年代のハード戦争は、企業がCMであからさまに他社のハードを煽るケースがありました。

2000年代では、ユーザーがインターネットで意見を発信することが、活発になって起きた諍いがゲームハード戦争の実態なんじゃないですかね。

SHINJI-coo-K プロレスをしている人たちがいる一方、ガチをやっている人たちもいて、それが余波として波紋を……。

葛西祝 PVを稼ぐのに、ユーザー間の煽りあいがいちばんだったっていう、ひどい時期ですよね…… ん?ちょっと待てよ、煽りあいという意味では、かつてはGame*Sparkもヤバい時期が……

宮崎 (突然横から現れて)一応エクスキューズしておくと、2017年の9月に編集部もガラッと入れ替わって、その当時の編集部メンバーというのは一人として残っていません。

葛西祝 うわっ!びっくりした!すいません宮崎さん(※イードのゲームメディア全体責任者)、聞いてたんですか!?

宮崎 自分も当時はそれこそ学生で眺めていただけなので、聞いた話でしかないですが、やっぱりハードの話はびっくりするほどアクセスがあったそうです。あえて過剰な反応を呼びそうなものを記事にすることで大きくなっていった側面は間違いなくあるんだろうなと。

今はそんな時代でもないし、そういう対立を煽って生まれたものって結局何もないと思っているので、今後同じような状況が起きてもそういう流れに与しないメディアでありたいと思っています。まぁどの口が言うんだと言われたらそれまでなので、これから出して行く記事で判断してもらえればと。

葛西祝 なるほど、ありがとうございます。Game*Sparkにもいろいろあったんですね……

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■10年代へ持ち越された00年代ゲーム業界の課題
伊藤ガブリエル 私はこうしたユーザー間の争いがあることを、ここ最近になるまでほとんど知りませんでした。もともと両親共々ゲームが好きだったこともあり、遊びたいタイトルがそのハードにあるなら、ハードごと買ってしまおうという感覚が根付いていたせいもあるかもしれません。それでも当時買えなかったものは、大人になってから少しずつ買い集めています。

SHINJI-coo-K ま、まぶしい!ゲームを包み込む包容の精神を感じます……!

G.Suzuki 自分の場合はPCゲーマーだったこともあり、様々な規制がありつつも、ちゃんと日本語音声入りでローカライズされる洋ゲータイトル群を見ていて羨ましく思っていましたね。

MOD対応か、日本語の快適なゲームプレイが出来るコンソール版か、という選択肢を考えても、自分も『MGS4』や『エースコンバット6』などプレイしたいし、最終的には主要なハードを揃えてプレイしていました。

SHINJI-coo-K どうあれすべてのハードを揃えるのがもっとも選択肢を増やしますからね。こうなってくるといよいよハードの戦争ではなくなって、競い合いがあるとしたら国産タイトルとその海外進出、もしくはゲームのグローバル化とどう向き合うのか、というのが2000年代後半での重要課題だったように思います。そしてそれは今も続いているのかな、とも。

G.Suzuki ゲームのグローバル化に関して連想するのはマルチプレイですね。特定のジャンルに限らず国産タイトルのマルチプレイのゲームシステムを構築するのが非常に遅れてしまっていたという印象が大きかったです。

ここは、海外のゲームメーカーがPCゲームなどで先に発展したマルチプレイでのノウハウを持ち込めたのが、その差を生んでしまっていたのかと思う部分はありますね。またゲームのストーリーや演出だけではない、プレイヤーに寄り添ったゲームシステム面での進歩という課題も残されたままに感じます……。もしかしたら永遠の課題なのかもしれません。

2009年9月にPS3は、PS2後方互換を切り捨てスリム化し、価格を29,980円(税込)にまで下げたCECH-2000Aが発売され、自分も含めて回りの友人も買い始めようやく普及が本格的になったと感じました。先の海外ゲームが多数ローカライズされることも含め、国産タイトルと海外タイトルとの差異が大きく比較されるようにもなったと思えます。

先ほど出た、『The Elder Scrolls IV: Oblivion』の存在は特に大きくて、その自由度に関して、『ファイナルファンタジー』に限らない国産タイトルのRPGとよく比較されていたようにも感じました。

またFPSを含めた洋ゲーに関しても、PS2時代付近で日本に入ってきた当初はコアゲーマーしかプレイしていなかったようにも見えましたが、動画サイトでのプレイ動画で興味をもった人が買ってプレイしたりと、日本で少しづつメジャーな存在になってきたようにも思えますね。


伊藤ガブリエル しかしこの頃に海外産のRPGタイトルが出てきた結果、国内は国内でリニアストーリーや戦闘システムなどを含めた国産RPGをより推し進めていった印象があります。日本らしさ、良さを追求していったというか。

SHINJI-coo-K 海外タイトルとの比較によって、いわばJRPGの成立にもなっていますね。

G.Suzukiただ、時にはBioWareのGreg Zeschuk氏から「JRPGの下降は、主に進化(Evolution)と進歩(Progression)の不足が原因です」と批判されるなんてこともありました。

伊藤ガブリエル 海外産のタイトルが持つポテンシャルに対抗していくべく、日本らしさ・良さを守りつつ成長させていく構図がこの頃から見えてきているように思えます。

日本らしさを守り抜いた結果、日本のゲームは海外で再び評価された。
葛西祝 RPGをはじめ、この時期から日本が競い合うフィールドが世界のクリエイティブに追いつけるか?というテーマが出てきましたよね。今になってようやく実を結んでいると思います。

伊藤ガブリエル 初期はゲーム企業同士で競い合っていたものが、合併・吸収を通して、世界のゲーム業界へ立ち向かっていく姿勢を作り始めた頃と言えると思います。

SHINJI-coo-K 2000年代最後の時期は国内メーカー再編と海外展開、それが焦点になっていましたよね。海外にもゲームを流通させる、そして海外からも国内にゲームが流通する時代へ。

G.Suzuki 国内の力を結集し、国内/海外向けにも丁度良いバランスで確固たる意思を持ったタイトルを出していくとなると、やはり現時点の2019年という10年以上の年月が必要だったのかなと思えますね。

その10年前である、2009年や2010年付近に出た世界にも向けた国産タイトルは、やっぱりどうしても海外ゲームの影響(容赦ないゴア表現や、ハードな演出/舞台、リアリティある設定など)された表現や演出、ゲームシステムを咀嚼仕切れなかったようにも思えてきます。

自分はPCゲームとして洋ゲーを2004年付近から触れてきたのに加え初代『Half-Life』や『Unreal』の過去作もSteamなどでプレイしたので、洋ゲーがどのように発展していったのかを見てきましたが、どうしてもコンソールメインで国産タイトルを中心に触れてきてしまうと「流星の如く突然やってきたハイクオリティな海外ゲーム」という存在をどのように消化すればいいのか戸惑ってしまうのも無理ないかと思います。

葛西祝 実際『GTA III』と『TES lV』は流星にふさわしかったですからね。この後の時代から、SteamはじめPCゲームも飛躍していきますし、さらにインディーゲームという新たな流れも出てきますし。

■ゲーム業界激動と激震の00年代を振り返って
G.Suzuki 最後にこうやって00年代後半を振り返ってみると、蔓延する海賊版、公開範囲を規制するのではなく表現そのものを規制する表現規制、洋ゲー脅威論、加熱するユーザー間のゲームハード論争、マイナーチェンジを続ける日本のRPGなど……これらの問題が00年代中に解決されなかったため、ユーザーと開発者も含めてゲーム業界そのものが未来を見通せなかったようにも感じます。

この00年代後半で「誰が一番栄光をつかみ取れたか」と考えると、ActivisionやUbisoft、Electronic Artsなど海外の大手パブリッシャーがそれに当たるんじゃないかと思えてきます。

一方で日本のゲーム業界は前述の通りPS3/Xbox 360世代でのゲーム開発の知見習得や、日本のゲームとは違った方向からアプローチをしてきた洋ゲーをどう捉えればいいのかという課題が多くあったように思えます。

葛西祝 21世紀に入って最初に出くわしたことは、平たく言ってしまえば「日本のゲームが面白くなくなってきた」ことから、「世界のPCゲームがコンソールに出てくるようになった」ことで、新たに面白くなっていった時代だなあと思います。今では毎年がゲームの全盛期というくらい、すごい時代になってるなと思いますよ。

SHINJI-coo-K 個人的には2000年代後半はPCでゲームを好んで遊ぶようになった時期でした。マルチプラットフォーム時代へ突入して、PCでゲームをプレイすることがちょっと特殊だった時代から、何も特別なことではない時代へ映り変わるのを感じていたと思います。

同時に、インターネットとゲームが強力に結びつき始める時期とも思えます。振り返ってみて、海外ゲームを堪能した反面、もう少し国内ゲームに触れたかったという気持ちも湧き上がりましたね。ハードの制約をあまり受けずに遊べる時代はよい時代だと思います

伊藤ガブリエル 00年代後半は私にとって多くのゲームに触れる機会があった年代でもあり、魅力的なものがたくさん溢れていた印象が強いです。

そして家族全員でゲームにのめり込んでいた時代でもありました。改めて深く掘り下げていくと、ゲーム業界やメーカー間、ユーザー間、国内外において多くの出来事があったんだな…大きく変わっていく転換期に私は立ち会っていたんだな……と、感慨深くなりました。

コンソールやPCゲームなどを遊ぶようになっていった頃に懐かさを感じつつ、現行のタイトル、そして当時遊べなかったタイトルを新たに体験できていることを嬉しく思いますね。

■次回予告
G.Suzuki 今回は、2005年から2010年までというゲーム業界において様々なイベントがあったことを振り返る事ができましたが、次回は第5回ということで2010年から2015年までの出来事を振り返る予定です。

映像やゲームエンジン面で次の世代へ行こうとする洋ゲー、PCゲームにおけるインディーゲームの勃興、そしてFree-to-Playの形式を筆頭としたモバイルゲームの台頭などを語り合う事ができたらと思います。【ほかの画像を見る】平成ゲームメモリアル第4回「洋ゲーの衝撃―日本のゲーム業界に激震が走った」
平成ゲームメモリアル第4回「洋ゲーの衝撃―日本のゲーム業界に激震が走った」