「実は今、海外挑戦に向けて準備しています」。

宮地元貴から連絡を受けたのは、1月8日のことだった。2017年8月、名古屋グランパス(J1)から松本山雅FC(当時J2)に移籍し、昨季はアスルクラロ沼津(J3)でプレー。しかしこの3チーム合計でJの公式戦に出場したのは沼津での1試合のみ。慶應大ではキャプテンを務め、意気揚々として飛び込んだプロの舞台は、彼にとってそれほど華やかなものにはなっていない。「公式記録を見れば苦しんでいる選手のように見えると思う」。宮地はすべてを事実として受け入れながら、だからこそ新たな環境でのチャレンジを自分の手で切り拓くことにした。

この3カ月間、宮地は自分でプレービデオを作成しつつトライアウトと練習参加を繰り返し、最終的にはアメリカのNPSL(ナショナルプレミアサッカーリーグ、4部相当)のチャタヌーガFCに所属することになった。チャタヌーガはアマチュアチームである。だが、「これで僕は一度プロではなくなります」と言う男の眼は燃えていた。ようやく新たな夢への一歩を踏み出した彼に、ここまでの経緯と今後のプラン、そしてサッカー選手としての想いを聞く。

取材=今井雄一朗

◆■大学生に『どうして?』と言われながらトライアウト

―――まずはアメリカプレーする機会を勝ち取ったこと、おめでとうございます。経緯から聞いていこうと思うのですが。

宮地 ありがとうございます。できるだけ正直にお伝えしようと思うのですが、まず僕は2年間、Jリーグでの出場機会がほとんどなかったわけですが、プロとしてやっていけない、もうダメだ、この選手には敵わない、と思ったことはなかったんです。だけどJリーグでは自分は波に乗ることができていないのもまた事実で、そこで新しい環境をと思って考え始めたのが海外でプレーするという選択肢でした。周囲には反対する人もいたのですが、自力でトライアウトを受けることにしました。

まずは現地に行く前に、日本で行われたトライアルを受けました。シアトル・サウンダーズ、ナッシュビル、ノースカロライナというアメリカの3チームのほか、ヨーロッパチームもいくつか参加しているもので、福岡で3日間。大学生たちに『どうしてここにいるんですか?』と言われながらもトライアウトを受け(笑)ナッシュビルとノースカロライナアメリカでのチーム練習に参加させてもらえることになったんです。そして1月10日からアメリカに入り、アメリカ全体の合同トライアウトにも参加しました。最初はカリフォルニアのフレズノというチームに行き、その後ノースカロライナチーム練習に10日間。そしてナッシュビルには2ヵ月間の練習参加をしてプレシーズンマッチにも出場しましたが、最終的には外国籍枠の関係で契約することはできず、今のチャタヌーガFCに決まりました。

―――ノースカロライナにしても、ナッシュビルにしても、戦っていける感触は得られていたのですか?

宮地 そうですね。やれましたし、手応えもありました。公式戦はなかったですが、やっぱり試合に出てプレーすることが自分にとっては楽しくてやりがいのあることだと感じました。レベル的な部分は比べられないですが、日本の方がスピーディーでテクニカルなところがある一方で、アメリカサッカーは速いと言っても縦に速いのも面白いところです。それが基本的なスタイルで、中にはつなぐチームもある。ノースカロライナはそういうチームでしたね。ナッシュビルはつなぐけど、縦に速く行く方が評価されるチームでした。チャタヌーガは外国籍枠のないリーグに所属していることもあって、メンバードイツ人、スペイン人、ポルトガル人、ブラジル人といろんな国の選手がいるのであまりアメリカ的なサッカーにならないところがあります。監督はアメリカ人なのですが、パスのテンポの速さを求めますし、日本的なところがあるチームかもしれません。

◆■サッカー選手としてステップアップしたかった

―――ナッシュビルには2カ月。長く滞在した理由は?

宮地 プレシーズンはかなり試合に出ましたね。契約してないのに契約している選手よりも試合に出たりしてました(笑)。その時は他のチーム探しもやっていた時期でしたが、その間の練習場所としてナッシュビルを使っていいと言ってもらえたこともありました。チームにいた選手兼コーチの木村光佑さんにはすごく良くしてもらえて、福岡でのトライアウトで知り合ったんですが、家にも住まわせてもらいました。そうやって思うと巡り合わせも良かったのかもしれません。ノースカロライナでも監督との“最終面談”のようなところまで行ったんですが、その監督は去年までアメリカ代表の暫定監督をやっていたデイブ・サラキャンという人でした。契約はできませんでしたが、こうした出会いも決して無駄ではなかったなと思いますね。それと実はナッシュビルの監督が僕を気に入ってくれていて、『今は外国籍枠があるから契約できないけど、どこかで呼べる可能性はゼロではない。近くにいてくれれば練習にだっていつでも参加していい』と言われてもいるんです。

―――ここで少し話を変えますが、なぜアメリカだったのでしょうか。

宮地 これはまず、僕の年齢のことを考えました。24歳という年齢はどこの国でも若くはないですし、特にヨーロッパでは遅すぎる。海外を目指すとなった時に、ヨーロッパでのステップアップは難しいなと判断しました。行くならあくまでサッカー選手としてステップアップをしたかったんです。もちろんどこでも自分次第のところはありますが、アメリカは年齢については比較的その傾向が低いということ、そして僕が単純にアメリカという国に興味があったことが決め手でした。MLBNBANFLなどがある中で、MLSの人気も上がってきていますし、2026年にはワールドカップも開催(編集部注:カナダメキシコとの共催)される。アメリカサッカー熱が上がってきているのは間違いないんですが、日本からアメリカに挑戦する選手がそれほど多くないというのはある意味ブルーオーシャン(未開拓の意)で、そこに興味が湧きました。所属していた松本がMLSメジャーリーグサッカー)のレアルソルトレークというチームと業務提携をしていたこともあって、アメリカという選択肢が自分の中にあったこともあります。

―――チャタヌーガでのプレーを取り巻く環境はどうですか?

宮地 Jリーグチームの方が環境は良いです。天然芝のピッチではなく、練習も行なうホームスタジアムは人工芝。食事も名古屋や松本の時は栄養バランスの取れた食事がチームから提供されましたが、アメリカでは自炊をしています。トレーニング施設についてはさすがアメリカというか、街に大きなジムがあるんです。ここが選手には無料で開放されていて、置いてあるマシンの数と種類は日本のクラブ以上かもしれません。ジムの中に走るためのトラックプールもあるくらい大きいんです(笑)トレーニングの環境を整えることは自分でできますし、自炊にしても材料は野菜も肉も安いので、良い環境を作ることはできます。ケガだけは注意してやりたいですね。

―――今季はチャタヌーガを一つでも上に押し上げるのが当面の目標になるわけですね。

宮地 そうです。チームから言われたことは、ここに来ることは自分にとって大きな意味があるということでした。アメリカプレーできる環境、試合に出て自分の下がりに下がった価値を上げるチャンスがある。そしてこのチームは来年プロになる、と。だけど自分はアメリカにいるからにはMLSプレーしてみたい気持ちもありますし、自分がこれだけできるんだ、ということを見せられる1年にしたいです。

今は商用観光ビザ取得のために帰国していますが、僕はプロではないので就労ビザが取れないんです。このビザは最長6ヵ月ということで、シーズンの最後までいるために次の渡米を少し待っているのが現状です。幸運なことに、NPSLの開幕はそうやって遅らせたとしても最初の1試合に出られないぐらいなので、そこまで問題はありません。チャタヌーガで自分はまずアメリカサッカー市場に並ぶことを考えます。チャタヌーガでは2試合に出場して、センターバックとボランチでプレーしましたが、スタッフからは『ウチの大きなピースだ』と言ってもらえてもいます。そこにやりがいは感じていますが満足してもいけませんから。

◆■アメリカで一番有名な日本人になってやる

―――自分個人がレベルアップしていくために、選手として考えていることは?

宮地 プロになってから自分はいろんなポジションをやりました。名古屋にはボランチとして入りましたがDFもFWもやって、松本ではDFでしたが沼津ではFWもやりました。正直言うと自分の悩みどころがそこで、『オレはどこで勝負していくべきなんだろう?』と。大学の時もそれは同じで、自分にはスペシャリティーがないんです。

だから僕はアメリカではボランチとして勝負したいと思っています。アメリカはフィジカルが重視されるサッカーですが、そのスタイルで戦えるボランチって日本人にはあまりいないと思うんです。身体が強い、速い、大きい選手と闘えるボランチ。そこに日本人らしい献身性と技術、クイックネスを加えて自分は差別化を図るというか、活路を見出そうと考えています。自分のスペシャリティーは、人に強い、世界と闘えるボランチになることで作っていきたい。

―――以前からそうですが、その意欲は頼もしいです。

宮地 何でアメリカ?と言われることがあります。理由は自分がサッカー選手としても人間としても絶対に大きくなれる国だと思ったからです。価値観人それぞれですが、自分はアメリカで一番有名な日本人になってやろうと思っていますよ(笑)。それにアメリカでの生活は楽しいんです。先輩と後輩の関係はあまりなく、年齢が離れていても『マイフレンド』『ブラザー』と呼んでくれる。もちろん人としての守らなければいけない礼儀や挨拶もありますが、よりオープンで主張したいことは言える環境です。だからこそ人の話はよく聞かないといけないんですが、ありのままの自分でいられる環境ではあると思います。

もっと先のことも考えます。サッカー選手って練習が1日2時間ほどで、その他の時間で何をするかは人それぞれです。その時間を僕はアメリカで、英語の勉強にも使いたいし、スポーツビジネスの仕事についての勉強にあてようと思っているんです。昔から時間の使い方についてはずっと考えていたんですが、日本にいると日本の中で思考が完結してしまう気がして、その意味でも周りに外国人しかいないというだけで僕は世界が広がるんですね。アジア人、アフリカ人、ヨーロッパ人、いろいろな人種と関われるのもアメリカの良いところです。次のルームメイトスペイン人なので、だったらスペイン語も勉強してやろうと思います。

―――ご自身もそろそろ結果が欲しいところとは思います。

宮地 あくまでこれは始まりですし、結果を残さないといけないです。これで一度プロフェッショナルではなくなるわけですが、そういうプライドも捨てて、いちサッカー選手として勝負してきます。この決断は自分の決断だと強調したいですし、大学でプロから声をかけられた時のように、試合で自分のプレーを見せて、上の環境を目指したいという気持ちです。こうして宣言してしまうと焦ってしまうところが自分にはあるので、だからこそ毎日を大切に生きることを考えたい。そしてここからアメリカン・ドリームをつかみたいと思います(笑)。夢のある国だと思っていましたが、実際に来てみて、やはりそうだと感じられていますから。

アメリカで挑戦を続ける宮地元貴 [写真]=今井雄一朗