同世代の選手が日本代表やワールドカップを経験する光景は「すごく羨ましかった」

 日本サッカー界において1979・80年生まれ組が「黄金世代」と称されるなか、81・82年生まれ組は「谷間の世代」と呼ばれていた。今、30代後半を迎えている彼らは現役続行、引退、クラブスタッフへの転身などさまざまな道を歩んでいるが、2004年のアテネ五輪で日本代表キャプテンを務めたヴィッセル神戸のDF那須大亮は、「各世代で一緒にやれたのは自分の財産」と感謝の言葉を贈った。

 小野伸二北海道コンサドーレ札幌)、稲本潤一SC相模原)、遠藤保仁ガンバ大阪)、小笠原満男ら79・80年組は、1999年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)で準優勝。一方で、那須や佐藤寿人ジェフユナイテッド千葉)、駒野友一(FC今治)、森﨑兄弟(和幸&浩司)、前田遼一FC岐阜)らを擁した81・82年組は、2001年ワールドユースでグループリーグ敗退。彼らは以後、常に「谷間の世代」という言葉と向き合うことになる。

 年代別代表の集大成となるアテネ五輪でも、結果はグループリーグ敗退。20代前半の時期に失意を味わい続けた彼らだったが、所属クラブでは徐々にチームの主軸として存在感を示し、特に那須と同じ1981年生まれ組では阿部勇樹(浦和レッズ)、駒野、松井大輔横浜FC)、田中マルクス闘莉王京都サンガF.C.)が日本代表で主力に定着し、2010年南アフリカワールドカップでベスト16進出の原動力となった。

 アテネ五輪代表で主将を務めた那須は、A代表でプレーする同世代に憧れの思いを抱きつつも、自身の発奮材料になっていたと振り返る。

「同世代が日の丸を背負ってワールドカップで活躍して、すごく羨ましかったですね。ずっとJ1の舞台でプレーさせてもらい、アテネ五輪ではキャプテンも任せて頂きましたが、僕は(世代の)代表格とはまったく思っていなくて、むしろ一緒にやれてありがたかったなと。常にみんなが自分の刺激になる存在で、モチベーションを上げる大きな要因の一つでした。感謝の思いしかありません」

 浦和で同僚だった同じ1981年生まれの鈴木啓太が2015年に引退。アテネ五輪を戦った仲間では、森﨑浩司と高松大樹、黒河貴矢が16年限りで現役生活にピリオドを打ち、石川直宏も翌年に続いた。同世代、そして戦友たちの引退に「寂しさはある」と那須は明かす。

「一緒にやれたことは自分の財産。これからも一緒に切磋琢磨しながら頑張っていこう」

「ああ、引退か、という少し寂しい気持ちはあります。ただ、いずれは自分にも来ること。次のステージへ頑張って進んでいるわけですし、素直にお疲れ様でした、と思います。例えば、森﨑兄弟の弟・浩司はアンバサダー、兄・和幸はクラブ・リレーションズ・マネージャー(C.R.M.)ですよね。浩司は精力的に動き回って、SNSでも発信している。あれもサンフレッチェ広島の発展を願ってのこと。それぞれ思いを持ちながら進んでいるところに学ばされながら、同世代としてすごく嬉しいです」

 一方で、盟友の阿部は現在もJ1でプレーし、闘莉王や松井、前田はJ2、駒野はJFLに新天地を求めて現役を続けている。彼らの姿もまた、那須がプロ18年間を駆け抜けた原動力の一つとなった。

カテゴリーが違くとも、プレーヤーとして負けてたまるかという思いになります。そういう選手が常に近くにいたから、自分も歯を食いしばってここまで頑張ってこられました。各世代で一緒にやれたことは自分の財産。今後サッカー以外のチャレンジをする人もいるかもしれないけど、それぞれが意志を持ってやっている。僕が何かを言える立場じゃないですが……、それぞれが培ったものは生かしていきたいし、これからも一緒に切磋琢磨しながら頑張っていこう、と思います」

 永遠の戦友――。お互いに刺激し合う彼らの関係は、きっと現役を退いた後も続いていくに違いない。

PROFILE
那須大亮(なす・だいすけ

1981年10月10日生まれ、鹿児島県出身。180センチ・77キロ。鹿児島実業高―駒澤大横浜F・マリノス東京ヴェルディジュビロ磐田柏レイソル浦和レッズヴィッセル神戸。J1通算400試合29得点(19年4月16日現在)。CB、SB、アンカーを遜色なくこなす守備のスペシャリスト。2004年アテネ五輪代表で主将を務め、18年から自身6クラブ目となるヴィッセル神戸プレー。昨季は史上23人目のJ1通算400試合出場を達成し、初タイトルとACL出場を目指すチームの精神的支柱の1人として君臨する。(Football ZONE web編集部・小田智史 / Tomofumi Oda

(左から)松井大輔、阿部勇樹、那須大亮、田中マルクス闘莉王【写真:Getty Images】